ウィタセクスアリスー言の葉の刃
ああ、今更ながらわかってきましたよ。「へっへ、お前は今俺に犯されているんだぜ」とか「オラ、俺のおもちゃにされている気分はどうだ」くらいに乱暴な言葉にすると、これレイプしてる時に言うセリフ以外の何物でもないですね。私は好きな人に抱かれていると思っていたけれど、先生の頭の中は完全にレイプしているモードだったんですね。そうよね、考えてみたら一番最初からそのモード全開だったんですよね。だから私はあれほど混乱していたんだ、と妙に腑に落ちました。
やるせない気持ちが後々までも残るのはそのせいだったか。変なこと言われる度に泣きそうな気分になってたけど、そりゃそうよね、レイプされかけてんだから泣きそうにもなるわ。やれやれ、何だったんだろう、私の恋って。物理的な暴力は(頭押さえつけられた程度で)受けていないけれど、先生は頭の中では完全に私を強姦していてそれは心理的な暴力だった気がしますよ。
高度なテクですねえ。合意の上で精神的に強姦するなんて。そこまで読めませんでしたよ。最初からそうだったのに私ってば今頃気づくとはおめでたいことです。さすがエロ師匠は思いつくことが違うねえ。
言霊は実現するって言ったでしょう。私には先生が口にした通りに「呪(しゅ)」がかけられ、私は先生に犯され、おもちゃにされる状況から抜け出せなかったんですよ。先生と最初に契ってからの年月、そういうのを受け入れるのが当たり前になり、その上で愛を期待し続けていたんですよ。だから言葉は呪いなんです。黙ってやってりゃよかったのに、余計な事言うから私はずっと縛られたんです。
私は今の夫に「あなた実はMでしょう」とか言われちゃうんですよ。冗談で「誰に調教されたんだ」って。先生に決まってるじゃないですか。
先生は私がこういう恋を好き好んで選んだとお思いですか?世の中にはお手当いただくことを目的に付き合う女性もいるでしょうけど、私は利害は無関係にリスクを承知でどうしても先生を好きになってしまっただけ。お気楽なわけがないでしょう。
例えば嫌味ったらしい日本のクリスマスだのバレンタインだのは私のような立場の人間にとって最も辛いシーンの一つです。会うことは不可能でも私だって好きな人にプレゼントをあげたりしたかたったですよ。でも足がつくような証拠残せないでしょ。(先生も私にお金じゃない何かをくれたことはなかったでしょう。これで買って、とお金渡されたって嬉しくないですよ)とにかく春夏秋冬、日本にはカップルや家族で過ごすイベントがたくさんありますものね。愛人は海外旅行にでも行くしかないじゃないですか。
そうやって自分には絶対手に入らないもの、を見ないようにしていても結局は埒が明かず根本的な解決にはならず、ただ年を取っていくだけ。転職してもキャリアを積めるわけでもなし。第一先生に会いたいという目標を失った私にとって、もはや仕事は糊口をしのぐためでしかなかった。だったら今まで避けまくっていた見たくないものたちのグループにいっそ自分が飛び込んでしまえ!と婚活したんですよ。それもまあ色々あったんですがね。
私は露骨に態度に出したりしないからわからなかったかもしれませんけど、理不尽なかつ猛烈な嫉妬もするし、そういう自分に自己嫌悪するし、罪悪感も抱えていますよ。ただ、よく考えてみたら私が奥さんに嫉妬するのは私があまりに差別的に扱われることに対してです。先生が奥さんとどれだけセックスしようとそこは気にならない、全然かまわないんです。そんなことに嫉妬しません。それより、奥さんにはやらせないようなことを私には要求するとか、奥さんに対するのと比べて私を底辺の女みたいに扱うところとか、そういう序列が、悔しいだけです。嫁は大事に囲っておいて、私はやりたい放題される奴隷みたいで人間扱いされてないみたいで。
そういや学生時代の課題で思わず「葵」をタイトルにしたことがありましたっけ。無意識に生霊とばすほど嫉妬した六条の御息所に共感したんですね。頭ではわかっていても感情はいやがうえにも沸き起こるものです。苦しくないわけがないでしょう。
この苦痛を代償とした対価が、ひと時の逢瀬であり受け取る愛でしょう。バカな制約にとらわれないで嘘でもいいから「本当は愛している」とでも言っていただけたらだいぶマシでした。せめて最低限の社交辞令として「きれいだ」とか「かわいい」とか、いや、「エロい」とか「そそるぜ」でもいいからさ。「犯されてるんだ」よりましだって。いえ、言わなくてもいいからわずかでも態度で示してくだされば。でも、実際は真逆、精神的レイプみたいで。苦しいうえにさらに上乗せ。
だったらこんな男見限ればいい、と第三者は思うでしょうね。それができれば苦労しません。見限れなかったから苦しいんじゃないですか。少なくとも数年間、私はそれでも先生を本当に愛していたから。あと最初に刷り込まれ調教され呪をかけられ、依存に陥っていた可能性もあるかもしれませんね。
男の人は射精すること自体が目的だったかもしれませんけど、私にとってはセックスそのものは目的ではなくもっと精神的なものを求めていました。もちろん性的に興奮はしました。でも交合が私にもたらすのは痛みだけ。(結婚した友達も「あんなもん痛いだけよ」と言ってたし。中には「私は健康」と答えた人もいたけど)なのになんでこんなことを続けたのかと言われれば、好きな人と肌を合わせていたかっただけです。
先生を好きすぎて苦痛も含めて欲していたところはあります。まあ、言ってみれば先生を一時的でも私のものにしたかったんです。年に2,3回、数時間でもいいから、私が先生を独占する時間が欲しかった、というところでしょう。先生の腕に抱かれて自分の体が、自我が、氷解し、滲みだし、やがて崩れて世界と一体化していくような、あの感じ。痛みという儀式を経て自分が先生を受け入れていく時に感じる被虐的な充足感。小昏い道の先にあるのは一緒に堕ちていく地獄でしかないという恐怖。みたいなものを感じたかったのでしょう。愛も希望も喜びもいつの間にか手放し、諦めて、落ちていった奈落の底の闇で。
ささやかな望みじゃありませんか。人生における時間のほんの一瞬くらい、私の望みを叶えてくれてもいいじゃないですか。こんな小娘の願いを踏みにじらなくてもいいじゃないですか。
先生は私が本気でのめりこむのを恐れて突き放していた?もうとっくののめりこんでいるからこうなってるのよ。そんなことしなくても私は先生に迷惑かかるようなことはしないですよ。愛人の定めは最初からわかってるんだから。私と結婚してくれとか絶対言いませんよ。(せいぜい朝ごはんを一緒に食べる場面を夢想してみたことがあるくらいで)発覚するような真似も、脅迫するようなこともないですよ。旅行したいとか朝まで一緒に居たいとか、もっと長く居たいとすら頼んだこともないでしょう。先生に別れようと言われたら、諦めますよ、追いすがったりしませんよ。
作品名:ウィタセクスアリスー言の葉の刃 作家名:ススキノ レイ