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ススキノ レイ
ススキノ レイ
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ウィタセクスアリスー言の葉の刃

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 こんなお堅い人を篭絡したという優越感があったかって冗談で私に聞きましたよね?どうなんでしょうねえ。私は好きな人に受け入れられて喜んだだけですが案外狙った獲物は逃がさないタイプだったのかしら。でも先生のほうも「やった、10代の処女ゲット」だったんでしょ。自分に惚れてるからいいように扱える、こんな便利な女いないですよね。
 その後先生のこの極端な二面性がわけわからなくて、自分が先生の一体なんなのか、愛人なんだかセフレなんだか奴隷なんだか、疑問だらけの日々が始まったんですけどね。
 普通、片思いを告白して相手から了承の返事をもらったらならそれは両想いってことよね、と当時の私は単純に考えていたんですよ。制約上言葉にはできなくても気持ちの上では先生も私のことを好きなんだ、って。両想いでもなんでもない、ただ下半身だけの付き合い、という他の選択肢があるってことがよくわかっていませんでした。特に先生に対してはそんなことのできる人だととても思えなかった、という先入観もあって。事前説明が足りないです。そういう時は一旦断って下さい。その上で「体だけでいいなら」と条件提示して選択肢を与えてくださいよ。ついでに二年契約でその都度更新とか。いっそ契約書でも交わせばよかったんですよ。愛人契約だか奴隷契約だか知りませんけど。そうすれば私はいつか先生も私のことを好きになってくれるかもしれない、なんていうクモの糸みたいな一縷の望みを手放せず、何年も悶々と引きずらないで済んだんです。契約見直しの時点で見込みないなら更新しないという選択もできたんです。
 ところで自分を好きになってくれる相手にはなんとなく関心が湧いていつの間にか自分も好きになるってのはよくありますけど、先生は私のことを少しは好きになってくれたりしたんですか?ノーコメントですか?今更もういいでしょ、正直に教えてくださいよ。
 
 先生は「花さき山」っていう絵本を絶賛していましたよね。
 貧しい子供が山で見たこともない花をみつける。そこへ現れたやまんばが「それはお前が晴れ着を買ってもらうのを我慢して妹に譲った時に咲いた花」と花の咲く秘密を教える。それは人の優しさが咲かせる花、献身や自己犠牲がきれいな花を咲かせるという美しい良いお話ですよ。こういうの好きな人に悪い人はいないって思えそうな。
 とにかくオモテの先生は、尊敬すべきいい人で周囲の人もそう思ってるし、私が惚れてもおかしくないですよね。私のほうがよほど対極にありそうなホラーものやらグロい本読んでるから傍から見ればかなり危ない人に見えるでしょうね。でもホラー好きでも私って実はけっこう優しいですよ。こうしてドSな先生に付き合ってきて許してるんだからさ。
 実は絵本を紹介されたあの時、大学生だったかな、他の人もその場にいたと思うけど、あれを理解できる人がどうして私にあんなことするんだろう、ってひたすら思ったんですよね。その後もそれを思い出すたびに、本屋であの絵本を見かけるたびに、どうして?っていう思いがふつふつと湧いてきて、息苦しくなるのです。下手すると涙が出そうになる。いい作品でもそういう変な事情があると遠ざけないわけにいかなくて残念です。
 
 結局先生のドSぶりにいつの間にか調教されて私も精神的Mになりかけてましたよ。自己肯定感なし、自殺願望あり、自傷行為しそうになるし、血を見るの好きだし。ああ、これじゃ私けっこう被虐的なところありますね。これ、なりかけ、じゃないですね、かなり調教されてましたね。調教って言うなら、快楽を得られる体にドレサージュして欲しかったものです。むしろ真逆。気持ちいいどころか、精神の苦痛を忘れるために肉体に苦痛を与えていたようなものです。生きる苦痛を感じないためあらゆる感覚を麻痺させていっただけ。それが続くほどに私の眼は自分を苦しめる光景を見透かして、その向こうにある虚空の闇ばかりを無感情に見つめるようになっていきました。
 自殺願望ったって自分に価値がない、とかいうレベルではないですよ。自分の存在が他者にとっては害になるなら私が消えなければいけない、という自罰的自殺願望です。Mっ気あるのはこれ故ですね。告発されれば賠償金を要求されるのは私のほうですものね。自分が加害者の側でしかないことを自覚している私が自己肯定感持てるわけないでしょう。このエロ師匠はこれでも誰かの夫や父親としてのオモテの顔があるんだから。私はその裏側の受け持ち。世間の人が先生のダークサイドを知らない以上、私は存在すらしない影のようなもの。というより存在してはいけないもの。私は裏街道を生きるしかない、それは先生に惚れた時点で百も承知。私に恋心を抱いてない先生は恋人ですらない。囲われてお金だしてもらえる愛人というのともちょっと違う。愛し合うだけの愛人はフランス語のアマンってところですかね。冠詞ついてラマンかな。
 マルグリット・デュラスの「ラマン」は小説も映画もけっこう共感しましたよ。年齢設定が自分と近くて。あんな風に奔放になれるフランス人がうらやましい。植民地時代のベトナムの中国人街ショロンの家で、扉の内側に入るやその場で寸暇をおしんでヤりまくる32歳の中国人青年と15歳のフランス人少女。やがて中国人青年は親の定めた中国人処女と結婚し、フランス人少女と別れる日が来る。それがわかっているからこそ、燃える二人。燃え尽きればいいんですけど。あれはデュラスが晩年になって回想して書いたんですよね。年とったからこそ書いたその心境はわからなくもないわ。最初から絶望的な未来がわかっているからこそ、盛り上がる恋はドラマになりますけど、私の場合はね、片思いでは盛り上がらないし、愛人道を悟った物わかりの良すぎる愛人では修羅場にもならないから面白くないですね。
 
 もう一つ大事な点。妊娠したらどうする?の話。先生は即答しましたよね。「堕してもらわなければならないしな」そうですよ、当然そう言われるにきまってます。わかってます。どうにもなりません。でも、それでも、一瞬の間ぐらい返答を躊躇してほしかった、ってのは私の願望。いいですよ、わかってますよ、そんなこと、私だって無理です。
 ただね、先生はご自分の長子が誕生時、吸引分娩で予後頭の血が引かないと障害が残るかもと医者に脅されて、深夜山に登って無事を祈ったとかなんとか言ってましたよね。そこまでやる奴があっさり「堕胎」って口にするんだものね、ってちょっと思っちゃいましたね。ほんのちょっとですけどね。なまじそういうエピソードを聞いちゃっていましたのでね。
 産めない状況である以上、私は避妊しないでセックスする人の気が知れません。基礎体温つけて体調管理完璧で不安要素がない日にちを確信できる人以外はどうかしているとしか思えません。先生もそこだけは徹底して嫌味なくらい用心深く、生でやりたい、なんて決して言いませんでしたものね。膣外射精なんて論外。そのぐらいの根性なきゃ浮気する資格?はないですよね。だから私は先生と付き合っている間、精液を見たことも触ったこともなかったですよ。飲めって言われなくてほんとよかった。