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表裏と三すくみ

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「故郷が懐かしくなって、地上に戻ってきた時、乙姫から、もらった玉手箱をあけた時に、お爺さんになってしまったのではなく、最初からお爺さんであったということを玉手箱をあけることで認識した」
 ということにしたかったという意識を乙姫様が持っているとすれば、それは、浦島太郎に、
「見るなのタブー」
 というものを認識させることで、ショックを和らげるつもりがあったのかも知れないとも考えられる。
 それは、
「乙姫様が、太郎と一緒にいたいという一心から、太郎に対して与えたごちそうの中に、不老長寿のような薬があったとして、そのかわり、妖怪になってしまう」
 というものだったとすれば、乙姫は最初から、
「太郎と、すっと竜宮城で幸せに暮らすつもりだった」
 と考えられるだろう。
 しかし、それは、乙姫のわがままで、竜宮城に、乙姫よりも偉い。例えば長老のような人がいて、
「太郎を陸に戻してやらないといけない」
 ということを言っていたとしよう。
 しかし、
「あの人には、不老不死の薬を与えました」
 というと、長老は、
「では、これを持たせて、地上に返せばいい」
 ということで、
「地上に帰りたいと言った太郎に対して、乙姫は、しぶしぶかも知れないが、玉手箱を渡して、陸に返したのだろう」
 ということであったが、正孝は、もっと奇抜な発想を、実は持っていたのだった。
 というのは、
「浦島太郎が竜宮城に来るきっかけとなったカメの正体が、乙姫ではないか?」
 ということであった。
 というのは、浦島太郎尾最後のハッピーエンドのところで出てくる乙姫様は、
「カメになった」
 と言われているので。元々、
「乙姫様というのが、カメの化身だった」
 ということであれば、納得もいくというものではないだろうか?
 それを思うと、
「乙姫様がラストで、浦島太郎のことが忘れられずに、丘に上がって、自分はカメになり、太郎は鶴になって。二人は、幸せに暮らした」
 という話にも辻褄が合うということになるであろう。
 浦島太郎という話も、
「カメと乙姫様」
 というのが、同一人物であったということにすると、何か明治政府の中で、都合の悪いことがあったのかも知れない。
 だから、話が中途半端であったが、それを、
「見るなのタブー」
 という戒律に変えることで、辻褄を合わせようとしたのかも知れない。
 もっといえば、
「見るなのタブー」
 と言われる話は、日本のおとぎ話にもいくつかあるが、世界中の神話であったり、宗教の聖典のようなものでは、当たり前のように書かれている。
 それはきっと、浦島太郎の話のように、
「何か隠さなければいけないものがあって、それを隠そうとして、話を盛るというよりも、削ることで、一つの話を完結させようとしているのかも知れない」
 とも考えられないだろうか?
 確かに、
「見るなのタブー」
 という話は、よくよく考えてみると。
「どれも最後は見てしまったことで、現実に戻ってしまう」
 というような、少し中途半端にも感じられる話が多いではないぁ。
 それを思うと、
「浦島伝説」
 というものが、途中で中途半端になっている理由が分かるというものである。
 そういう意味で、ドッペルゲンガーという現象(ここでは敢えて、現象という言葉を使う)も、おとぎ話のような、
「辻褄合わせのような何か」
 が裏に潜んでいるのではないか?
 と思えるのだ。
 特にド@@柄ルゲンガーというものは、
「見ると、近い将来において死ぬことになる」
 と昔から言われているが、実際に、そうだったという記録が、特に、著名人で残っていたりする。
 ということは、よくよく考えてみると、
「ドッペルゲンガー」
 というものを、
「見たから死んだ」
 と考えると、本当に都市伝説になってしまうので、それを、
「死んだから見たことにする」
 と考える方が、分かりやすいうものだ。
 特に、探偵小説などでよく言われている、
「密室トリック」
 というのも、結構その通りだといえるものも多いのではないだろうか?
 例えば、
「密室ということにしてしまったことで、事件は、異様な雰囲気になってしまったが、本当は、犯人側からすれば、自分たちが、誰かの手によって殺されたということにする方が、実際には、分かりやすいというものだ」
 というのも、誰かに殺されたというような証拠を普通であれば、残しておいて、その人を犯人にしたいというような工作をしておく方が、普通の犯行らしいではないか。
 つまり密室殺人というのは、
「その謎を解くのは結構難しいのかも知れないが、案外と、機械トリックであったり、実は、そこで殺されたかのように見せかけたい」
 ということで、
「犯人にとってのアリバイトリックと密接に結び付けておくのだ」
 と考えれば、
「密室にした理屈も分かる」
 ということであるが、これも、やはり犯人にとっては、探偵を惑わす武器として使われるものであろう。
 だから、
「密室トリックというのは、後者であれば意味はあるが、前者であれば、密室にする必要はない。それを密室にしたということは、犯人側にとって、何か意外な事実が起こってしまって、仕方がないから、密室にした」
 ということになるだろう。
 もっといえば、
「本当は、玄関とかをあけておいて、庭に足跡を残しておき、犯人の逃走ルートまで分かるようにしておいたのに、たまたま、雪が降ったことで、その足跡が消えてしまった」
 ということなどがそんな時ではないだろうか?
 探偵小説というのは、そういうアクシデントがある方宇賀、ストーリーにも幅が出るし、トリックに辿り着くまでの心理的な発想が渦巻いているという、
「叙述トリック」
 というものにもなったりするだろう。
 そんなトリックを駆使するのが小説なので、
「ドッペルゲンガーのような話」
 というのも、それこそ、
「叙述のようなものだ」
 と考えれば、エンターテイメントとしての小説やマンガに描かれるのが、正直なところだと思うのだった。

                 大団円

 それこそ
「事実は小説よりも奇なり」
 ということで、逆に小説のネタになるかのような話であるということで、いかにも小説を事実のように書くというのも、テクニックであることから、逆に、
「一室トリックなどは、密室の謎が解けると、意外と他の謎も簡単に解けてしまう」
 という話が多かったりする。
 長政が、なぜ、
「ゆいかとゆりかが同一人物に見えた」
 と言ったのか、その趣旨は分からないが、様子を見ていてしばらくすると、
「長政が、ゆりかのことを気にしているのが分かった気がした」
 と感じた。
 長政は、ゆりかのことが好きだが、ゆりかの方では意識をしていない。しかし、なぜか、本来なら知らないはずの、ゆいか先輩が、長政という人間を気にしているような気がする。
「まさか、好きだなんてことはないよな?」 
 と心が歪に歪んでいるように思えた。
 そう思うと、正孝は、
「俺自身の気持ちが、何か分からなくなってきているような気がするな」
 と感じた。
「俺が好きなのは、ゆいか先輩のはずなのだが」
 ということで、ゆりかに対しては。
作品名:表裏と三すくみ 作家名:森本晃次