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二つの世界と同じ顔

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「別物」
 と考えておきながら、
「刑務大臣という人種が関わってくるから、ややこしくなるんだ」
 と言われるのだった。
 それは、死刑囚に対しての扱いにも似たもので、
 実際には、
「死刑執行に判を押すのは嫌だ」
 というよりも、もっと卑劣な考えで、
「この俺が、死刑囚と関わらなければいいけないのは嫌だ。下手に死刑執行して、自分が呪われたり、祟られたりするのは、困る」
 ということであった。
 以前、死刑執行を行おうとして、今では廃止された、
「電気椅子」
 というものがあったのだが、
「その電気椅子が、水に濡れていた」
 という初歩的なミスで、電流が流れた瞬間に、
「火花が散り、死刑囚が燃え出した」
 ということが起こったのだ。
 それも、死刑囚は一瞬にして死ぬというのが電気椅子だったのだが、放電してしまったことで、なかなか死ぬことができず、しかも、身体が燃えている状態になったので、その刑場は、
「地獄絵図」
 となったのだった。
 そこにいた人たちは、誰も口を開くことはない。まわりの人が驚いて、水をぶっかけたが、火が消えるわけではなく、結局、身体が燃えつきるまで、死刑囚は、苦しみ抜いたということであった。
 刑務大臣は、ちょうどその日、別の場所にいたので、遅れてきたことで、時間に間に合わなかった。
 そのために、刑務大臣は、
「後からその話を聞いたので、悲惨な状況は見なかった」
 ということなのだが、
「聞いた話で想像する方が、相当きつい内容で、それだけに、本人にとって、トラウマになったので、死刑執行には、二の足を踏むというのも当たり前のことであった。
「死刑執行」
 と、
「安楽死」
 との関係というと、これまでは、
「まったく関係のないもの」
 ということになっていたが、
「死刑廃止」
 という法案が通ったことで、
「安楽死」
 さらには、
「尊厳死」
 という考え方が、クローズアップされてきたのであった。
 そもそも、
「安楽死と尊厳死」
 ということの違いというものが、
「人間は、生まれる時を選ぶことはできないが、死ぬ時を選ぶこともできない」
 と言われたのは、
「尊厳死」
 というものを考えた時のことだった。
 確かに、
「生まれる時を選べない」
 というのは、同意語として、
「親を選べない」
 ということであり、
 民主主義の理念として、よく言われることとして、
「人間は、生まれながらに平等だ」
 ということであるが、実際には、
「どの親から生まれるかを選べない」
 ということで、
「本当に民主主義は平等なのだろうか?」
 ということになるのであった。
 民主主義というものが、いかに曖昧ものかというと、
「誰から生まれるか、それは運でしかない」
 ということになると、元々の。
「平等」
 という言葉の意味も分かったものではない。
 それを考えると、
「個人単位での平等というのは、いくら民主主義であっても、叶えることはできない」
 ということで、それこそが、
「民主主義の限界」
 だといえるのではないだろうか?
 よく言われる、
「民主主義の限界」
 というと、民主主義の理論としての、考え方として、
「多数決」
 であったり、
「個人の自由」
 というものをどこまで認めるか?
 ということになるのだ。
 法律において、よく問題になるのは、
「公共の福祉、占領な風俗」
 という大きな単位では、よく言われることである。
「公共の福祉」
 が、
「個人の自由」
 というものを凌駕する。
 といってもいいのではないだろうか?
「個人と公共で考えれば、公共が勝つ」
 という理屈は、民主主義の理論である、
「公共の福祉」
 というものが生きるということになるのであった。

                 大団円

 死刑執行は、それからほどなく行われたが、あまりにも多い人数だということで、政府の発表だけで、詳しい人数や、姓名までは、公表されなかった。
 最近では、
「死者への尊厳」
 ということを言われるようになり、死者というのは、
「死刑囚であっても、死んでしまえば、罪は許される」
 という考えから、その尊厳は守られるというのが、この世界であった。
 他の世界では、
「被害者家族に対して、気の毒すぎる」
 ということで、死刑執行される人には、
「基本的な人権はない」
 と言われてきた。
 それでも、死刑執行の前日から、執行されるまでというのは、
「死刑囚であっても、罪にならないことであれば、少々のことは許される」
 ということであった。
 だから、死刑囚が、
「食べたいものがある」
 といえば、お金さえ払えば食べられるし、
「オンナを抱きたい」
 という希望も叶えてくれる。
 それはまるで、戦争中における、
「出征兵士の前日を思わせる」
 というものだ。
 前の日には、若いということで、童貞であれば、すぐに嫁を取らせて、契りを結ばせる。
「この世の愉しみを少しでも味合せる」
 ということで、
「オンナの権利は、この際ない」
 といってもいい。
 お互いに好き同志であればいいが」
 と言われるかも知れないが、それも辛い。
 好きな人が戦争に取られて、
「明日をも知れぬ命」
 ということになるのだ。
 そんな時、
「替え玉がいればいいのに」
 と思った人もいたかも知れない。
「同じ顔の人が他にいて、その人に戦争に行ってもらえればな」
 という考えであったが、もっと奥深く考える人は、
「何も人間でなくて、ロボットのような兵士がいて、ロボット同士で戦わせるということにすれば、人は死なずに済むではないか?」
 ということを考えていた。
 そう思うと、
「なぜ、戦争などが起こって、人が死ななければいけないのか?」
 という基本的なことが分からなくなる。
 だから、
「同じ顔の人に身代わりになってもらう」
 という考えもあるわけで、実際に、
「整形をした人が、本当は殺されるところを助けられて、その人に恩を感じることで、その人の代わりに、戦争に取られる」
 というような小説を読んだことがあった。
「顔の整形」
 というのが、その時には、どういうことなのかということがよく分からな方ので、それ以上何も言えなかったが、
「国家の公共が大切なのか、個人の尊厳が大切なのか?」
 ということを考えるのが、この国だったのだ。
 死刑囚が全員処刑されたということが伝わってから、数日後に、一人の男が、ある島から脱出してきたということであった。
 記憶は失われていて、医者が、その人物を診たのだが、医者は、何やら、頭を傾げていたのだ。
「これは口にしてもいいことなのか?」
 ということを考えていたが、それが、国家に関わることであれば、
「公共の福祉」
 ということで、口外をしてはいけないことだといえるだろう。
 さすがに、病院に帰って、院長には報告しないといけないので報告を行った。
「今日の脱出してきたという人なんですが、完全に記憶を失っているんですよ」
 というと、院長は、
「ほう、それはどういうことなのかな?」
 と落ち着いた様子で答えたが、
作品名:二つの世界と同じ顔 作家名:森本晃次