剣豪じじい 1章
寅之助の背筋が、ぞくっと凍りついた。
いきなり、修行は真剣勝負だと告げられたのだ。
殺し合うのである。生き残りを賭けるのだ。
寅之助は、両膝をついたまま青雲斎を見あげた。
青雲斎は、知らぬ顔である。
「そしてここでは、自給自足で生きていく。だが、わしの畑からは盗むな。自分で畑を耕し、山で食料を探せ」
次郎兵衛に聞き、自給自足の生活は納得していた。
寅之助が弓をもってきたのは、山で獣を狩るためだ。
だが修行は、師匠との生死をかけた真剣勝負だという言葉に、一瞬思考が停止した。
弟子になにかを伝授してくれる訳ではないのだ。
次郎兵衛もそこまでは教えてくれなかった。
「以上だ、もう行け。年寄りの弟子だからと言って、容赦はせぬ」
青雲斎は草の茂る左側の細い路、墓標の先を指差した。
その瞬間、真剣勝負が始まったのである。
腰の刀を抜き、襲いかかってもいいのだ。
が、たちまち返り討ちにあうだろう。
寅之助は荷を背負い、言われたほうへ歩きだした。
並んだ墓標には、それぞれ寅之助には意味不明の梵字が一文字づつ書かれている。
奥の柱は風雨にさらされ、もう文字は読めない。
墓標の横をとおりすぎ、林に入った。
そこには茅を葺(ふ)いた小屋が、草の生えた地面に壊れかけて並んでいた。
屋根をしっかり支えた、中央の小屋のまえは小さな畑になり、青い蔓がき勝手に地面を這っていた。
畑の主は収穫もせず、放りだしたようだ。
隙をみて青雲斎に襲いかかったが、勝負にならなかったのか。
それとも決心がつかず躊躇(ちゅうちょ)し、青雲斎に襲われたのか。
あるいは逃亡し果てたか。
小屋と荒れた畑の境の空き地に、幹が傷でささくれた一本の大木が立っていた。
刃の付いていない刀、刃引きの剣で打った跡だ。
何度も打ったため、幹は若い女性の腰のように抉れていた。
8
寅之助が住んだその廃屋には、粗末だが竈(かまど)や囲炉裏があり、すぐにでも煮炊きができた。
小屋の隅には、重さの違う刃引(はび)きの刀が二本、地面に刺さっていた。
以前、そこにいた弟子が使ったものである。
鍬や鎌や笊(ざる)などの農具もそろっていた。
寅之助はまず、畑作りから始めた。
日々青雲斎が鍬を振るっているように、小屋のまえの畑で作業にとりかかった。
青い蔓が生えているとはいえ、もうそこは長い間、雨と風と太陽の熱に晒され、土が固かった。
畑を耕すとき、寅之助は青雲斎の呼吸法を横目で盗んだ。
剣術の整息術である。
固くなった土をふかふかにし、落ち葉などの肥料を入れ、里芋や長芋を育てれば、夏、秋、冬と最低限の食料が確保できる。
寅之助は旅の途中、農家で足を止め、畑の耕し方、種の蒔き方などを教わった。
山間(やまあい)の農家では山菜の取り方、その料理の方法、特に秋の山に入ったときは、どこにでも生えている自然薯(じねんじょや)長芋を採れといわれた。
栄養もあり、冬の間の保存食になるというのだ。
さらに川岸の農家では、鮎や岩魚(いわな)の獲り方も教わった。
年寄りの剣豪修業者と称する侍の問いかけに途惑いながら、どこの家の主も親切だった。
山菜取りは、山菜の生えている斜面まで案内してくれた。何種類かの毒草も教わった。
岩魚は、川の縁にかがみこみ、細く削ったその家独自の竹槍で突いて見せてくれた。
江戸育ちの寅之助は、父親が話していた隣村を襲う戦国時代の飢餓の光景が頭に焼き付いていた。
自分が修行の旅に出ていたときには、どこの村も戦禍の後遺症が残っていた。
家はみすぼらしく、人々は旅人を鋭い目で観察した。
戦国時代の旅人は、往々にして村の食料や財産を狙う偵察要員でもあった。
この偵察要員を人々は忍者と呼んだ。
だが今回の旅では、街道のどこの村の家も大きくしっかりした造りだったことに気づいた。
そして、人々はみな笑顔を絶やさず、親切だった。
百姓たちの生活は、下級武士をはるかにしのぐ豊かさだった。
青雲斎の弟子になって、三ヶ月、四ヶ月と過ぎていった。
寅之助は畑の耕作のあいまに山を歩き、山菜を採った。
おかげで、近辺の山路はすべて覚えた。
裏路を下ったところで、鮎や岩魚の泳ぐ谷川も発見した。
食料調達に精をだしながらも、寅之助は先人が残した刃引きの剣を使い、毎朝、庭の幹に挑んだ。
攻撃の打ち太刀と受け太刀を想定し、目の前の幹に刀をぶつけた。
木の幹はもちろん、青雲斎を想定している。
食料にしろ剣にしろ、生きるために必死だった。
そんなある日、人の気配を背後に感じた。
禿頭に白髪の青雲斎だ。
「おう、やってるな」
生死の戦いを演じている相手は、笑みをたたえていた。
隙があればいつでもよい、といいながら裸足で浴衣着一枚だ。
師弟で対決するときの殺意は、どこにもない。
しかし、いつ襲われてもいいように帯を締め、腰に一本、小刀を差している。
離れて姿を確認し、目礼はするものの、入門以来初めての会話だった。
「なにか食い物はあるか。腹が減った」
青雲斎は白髭を揺らし、小屋の入口をのぞいた。
「蛇がちょうど、二匹おります。焼いて召し上がりますか」
長く生きる蛇は、捕まえたら袋に入れて保存食にする。
それも道中の農家で教わった。
もってきた米と味噌はすでになくなっていた。
「岩魚はあるか」
青雲斎は、だらけた浴衣の裾を揺らし、鼻を鳴らした。
「昨日の夜に食ってしまいました。午後、また谷に降ります。ところで青雲斎殿、そろそろ組太刀(くみたち)のお相手をお願いできないでしょうか」
浴衣を着て胸をはだけ、だらりと佇む青雲斎に乞うてみた。
組太刀とは、木刀なり刃引きの剣なりで打ち合う型稽古である。
「いいよ。だがまだ早い。そのときになったら、いつでも相手にするぞよ」
白髭に覆われた青雲斎は、生死の一歩手前の稽古をあっさり承知する。
「準備が整いましたら、お願いいたします」
未熟な弟子を襲うことはないと読んではいたが、剣豪を取りもどしていない現状では相手にならない。
「今日はこれから谷まで降り、夕刻ころには魚をお持ちいたします」
「そうか、まっておる。ではな」
ふわっと、かき消えた。
青雲斎はただ食料をたかろうとして訳ではない。
ようすを探りにきたのだ。
籠を背負い、寅之助は裏路から谷を降りた。
腰に刀を差し、手には細い竹槍と小ぶりの弓をもっている。
途中、山芋や野苺や山菜などがあれば、籠に入れる。
自給自足の生活は、時間と労力が必要だ。
山を下り、そして登り、岩肌を這う。
笹原で猪に遭遇したときは、突進する相手から逃げた。
弓を射る隙はなかった。
食料を手に入れるため、ときには二日も三日も山に籠った。
冬に備えなければならないのだ。
同時に、それらすべてが修行でもあった。
六十八歳の老人に、徐々に昔の力がよみがえろうとしていた。
若き日の十年間の武者修業は、無駄ではなかった。
いちはやく勘がよみがえり、息ひとつ乱さず、斜面を上り下りできるようになった。
額の先の感覚もぴんと張りつめるようになり、向こうの藪で獲物に遭遇しそうだという予感も働きだした。
寅之助は谷川に着くと、岩の岸に立った。
川の流れは速く、水は深かった。
川面をのぞくと岩の下の淵に、岩魚が群れていた。