剣豪じじい 1章
こんな簡単におれが……過去に一度たりとも負けたことのないこのおれが……こんなに……。
頭の痛みがなくなった三日後、寅之助はまた他の道場におもむき、試合を申し込んだ。
が、老人の道場破りは、みごとに失敗した。
叩きのめされ、また表に放りだされた。
寅之助には信じられなかった。
三度目の道場破りを試みた。
だが、やはり無残な結果となった。
打ち身だらけの寅之助は、組屋敷の部屋でうんうん唸り、布団に伏せていた。
「お父上、どうしたというのですか。近ごろ町で噂の、老人の道場破りというのは、まさか父上ではないでしょうな」
倅の重太郎が枕元に座り、父親をのぞいた。
背後の襖の向こうから、倅の嫁、夏江の声がした。
「お父上、お客様でございます。次郎兵衛様です」
仰向けに布団に寝ていた寅之助が呻き声を止め、痣(あざ)だらけの顔をあげた。
片方の目が青黒く腫れ、塞がっている。
「とおしてくれ」
7
山田青雲斎輔矩(せいうんさいすけのり)は、畑を耕していた。
青空に磐梯山が霞んでいる。峰の頂に、残雪が光る。
青雲斎は鍬(くわ)を振るった。
頭が半分ほど禿げ、白い髪と鬚が山羊のように胸まで伸びていた。
身につけているのは褌だけだ。
八十歳を迎えようとしているその体躯は、筋骨隆々とはいえなかったが、鋼のように締まっていた。
青雲斎は、ふっと息を吸って鍬を振りおろし、ほっと吐いて土を掘った。
滑らかな呼吸と動作のくり返しだ。
剣術使いの整息術だった。
その鍬の動きが止まった。
青雲斎はからだを二つに折り、足元に手を伸ばした。
次の瞬間、その手が横に払われた。
寅之助の頬に、痛みが走った。
頬から、小指の先ほどの小石がほろりと剥がれた。
木立の間隙をつき、飛んできたのだ。
「いつまでそんなところにおるか。でてこい」
青雲斎が白髭とともに、白鬚の顔をふりむけた。
ようすを覗っていた寅之助は枝を払い、畑の縁にでた。
「江戸は神田弓引町に住む御家人、松下寅之助と申す。長谷川次郎兵衛殿の紹介状を持参し、剣の修行に参った」
一息で告げる寅之助の喉に、澄んだ山の空気が沁みた。
鶯谷の茶の師匠、長谷川次郎兵衛は、老人の道場破りは寅之助に違いないと神田の組屋敷を訪ねた。
憶測どおり寅之助は竹刀で打たれ、うんうん唸っていた。
それでも寅之助は、若き日の剣豪のようになりたい、このまま無残に死にたくない、と腫れた顔で訴えた。
次郎兵衛は、そんな寅之助の決意を確かめ、本格的な修行しかないと提案した。
昔の一刀流の師匠が、剣豪として会津藩に召し抱えられ、家老にまで登用されながら隠居を決意し、山に住みこんだというのである。
八十歳の剣術求道者だ。
師の教えを受けようと、剣豪を目指す何人もの侍たちが弟子入りを志願した。
しかし、厳しさについていけず、逃亡したり、命を落としたりしているという。
話を聞いた寅之助は決心した。
傷が癒(い)えると同時に、奥州街道から日光道中を経て六日後に下野国の今市に着いた。
そこから山深い会津の西街道を歩き、峠を何度も登りくだりをし、田島に入った。
会津若松までは次の宿が残されているだけという地点で、田島から脇道に入り、さらに一日をかけ三本槍岳を目指した。
会津藩、白河藩、黒羽藩の三藩の境になった山だ。
次郎兵衛の一刀流は、戦国時代後期から江戸時代初期に生きた剣豪、伊藤一刀斎の流派に属した。
一刀斎は、二代将軍秀忠からの師範の要望を断り、武者修行をつづけた。
しかしある日、愛弟子の一人に愛刀を授け、忽然と姿を消した。
まさかその一刀斎が名を変え、密かに会津藩に仕官したのではないか、と寅之助は次郎兵衛に尋ねた。だが、生きているとしたら百歳はゆうに越えていると次郎兵衛は笑った。
「ご老体。お歳はいかほどでござるか」
畑を耕していた八十歳の青雲斎が、寅之助に訊ねた。
「六十八でござる。剣豪時代、長谷川次郎兵衛殿とは三度対決しましたが、勝敗はつきませんでした。次郎兵衛殿と決着をつける気はありませんが、いま一度、昔を取り戻したくて参りました」
「ほう、あのときの御家人であるか」
江戸一を掛けた自分の高弟の対決を、青雲斎は覚えていた。
「その歳でよく決心した。だが、一度失われた覇気(はき)は容易に戻らぬ。覚悟するがいい。山からは降りられぬかも知れぬぞ」
鍬を手にした青雲斎の目が鋭くなった。
山から降りるとは、修行を終えるという意味である。
「いいや、必ず山を降り、江戸へ帰ります」
荷を背にした寅之助が、決意を述べた。
青雲斎は鍬の柄を握りなおした。
「その意気があればよし。では、わしの小屋までご足労願おう」
そう言うと鍬の柄を杖のように突いてからだを支え、やあっと跳ねた。
そうして三度ほど、鍬の柄を使って空中を飛び、畑の反対側に立った。
畑の端の林の中に、屋根の低い小屋があった。
屋根に雑草が盛り上がり、全体が右横に傾いていた。
青雲斎はその小屋の中に消えた。
寅之助は畑の縁をまわり、小屋に向かった。
山に籠るための背中の荷は重かった。
手には、弦を外した小ぶりの弓を持っている。
青雲斎は家のまえの切り株に腰をおろし、寅之助をまっていた。
正式に弟子を迎える儀式なのか、羽織を着、袴をつけ、腰に刀を差していた。
羽織には徳川の親藩の印、三つ葵の紋がついていた。
剣豪の山田青雲斎輔矩は山に籠ってはいるが、徳川家の幕臣にお召し抱えの身なのである。
会津藩の藩主は保科正之(ほしなまさゆき)だ。
三代将軍、家光の腹違いの弟である。
「紹介状を見せよ」
白髭の青雲斎が、羽織の袖から手を伸ばした。
荷を脇に置いた寅之助は、青雲斎のまえに両膝を突き、懐から折り畳んだ書状をだした。
青雲斎は書状をひろげ、書面に目をとおした。
「了承した。松下寅之助を弟子として認め、本日より修行を開始する」
切り株に腰をおろし、正装した青雲斎が宣誓した。
「ありがとうございます」
寅之助は頭をさげ、礼を述べた。
青雲斎は振りかえり、切り株の陰に用意してあった二つの猪口と徳利を取りだした。
青雲斎とともに酒を飲み干した寅之助は、気になっていた疑問を口にした。
「ほかのお弟子さんの姿は見えないようですが、おられないのでしょうか?」
三本槍岳の頂は森閑とし、人の気配がなかった。
山々が静かに連なり、その遥か向こうに磐梯山が峰を見せていた。
「最後の弟子は必死に挑んできたが、わしの剣を避けきれず、亡くなった。墓はそこにある。おまえもわしに負ければ、弟子たちと仲良く眠ることになる」
青雲斎の家の左手に細い横路があった。
路に沿って左右に木立ちが並び、その片側に木を削った墓標らしきもの奥に向かって続いていた。
一番手前の柱は、まだ木肌が生々しかった。
「以前の弟子たちの小屋が、その路の奥に残っている。気に入った小屋を選ぶがよい。そしていいか……」
青雲斎の細い二つの目が、冷ややかにまたたいた。
「ここでの修行は真剣勝負を意味する。隙があれば師匠のわしをいつ襲ってもいい。師匠に勝つか引き分けるか、あるいは反撃をかわして生き残れば、修行はそれで終わる。躊躇(ちゅうちょ)して長い間襲ってこないときは、わしのほうから掛ける」