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剣豪じじい 1章

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山をおりる路で、菊乃は寅之助に語った。
妻として一緒に暮らしたいと申し出、青雲斎も承知した。
その件を藩主に書状で報告し、承認も得た。
詳しくは訊けなかったが、会津藩内部でそれにふさわしい女性と判断されたのであろう。

寅之助と菊乃は山からおり、街道にでた。
菊乃の家は会津若松の城下にあった。
育ちもよさそうだった。
少なくとも、禄高五十石の御家人よりは遥かに上の地位にあった。
一人旅にはなれています、ここからは一本道でございます、と主張する菊乃と、寅之助は三本槍ヶ岳のふもとの町で別れた。

三年近くでしかなかった。
だが、山での生か死かの日常が若き日の感覚を寅之助に呼びもどさせた。
寅之助は、街道沿いにあった町道場に目をやった。
武者窓の向こうで、男たちが木刀を振っていた。
ほう、と寅之助は声をもらした。

対戦している男たちの、剣の筋が読めたのだ。
どちらが勝つかが、一目で分かった。
たしかに山での修業には、価値があった。

会津西街道を下り、日光街道から奥州街道の宇都宮、古川を経て江戸にむかった。
そして五週間後、神田、弓引町の組屋敷にたどり着いた。
台所と六畳の部屋が三つの、なつかしい武家屋敷である。
「ただいま」
玄関を開け、三和土に立ち、荷物を足元におろした。
家の匂いがした。

上り框(かまち)の前で草鞋(ぞうり)を脱ごうと屈みこむと、小走りに男の子がでてきた。
三歳だった孫の寅太郎も、五歳の生意気ざかりだ。
以前よりも元気そうだった。
「どなた様で……あっ」
寅之助を指さし、くるっと背中を向けた。

「母上、母上、髭だらけだの汚らしい変なじじいがきておるぞ」
奥の部屋でそんな報告していた。
すぐに足音がし、唇を固く結んだ嫁の夏江が姿をあらわした。
手に座敷箒を持っている。
孫の寅太郎も怖い顔をし、腰に子供用の木刀を差している。

「おい、おれだ」
勇気ある嫁と孫の行為に関心しながら応じると、箒が飛んできて、ばさっと頭を叩いた。
「おれって、だれなのよ」
頭を叩いた箒で、ぞろりと顔を撫でおろす。
「おまえはだれだ。押し売りか」
寅太郎が木刀の柄を握り、寅之助を見守る。

「おじちゃんが、もうすぐ剣豪になって帰ってくる。拙者は剣豪のおじいちゃんに稽古をつけてもらって強くなるんだからな」
一歩下がって、木刀を晴眼にかまえた。
「さあ、帰んな。痛い目にあうよ」
夏江もむっと唇を引き結び、睨みつける。

「よく見ると、だらだらの着物なんか着て、刀なんかも二本も差して、いかにも侍らしき格好をしているけど、近頃界隈を荒らしまわっている泥棒の一味だろう。その荷物はなんだい、よそから盗んできたのかい。うちにはなんにもないよ。帰れ」
また箒が飛んできた。

「馬鹿者。おれはおじいちゃんの寅之助だ。帰ってきたんだ。よーく見ろ」
寅之助は大声をあげ、胸を張った。
二人は、はっとなって髭面の寅之助を見守った。
「ま……父上。でも本当に、父上ですか?」
箒を持ちなおした嫁の夏江は、まだ疑っている。

「本当におじいちゃんかよ? なんだか前よりもすごく強そうに見えておっかしいよ」
寅太郎が木刀を腰に治めながら、正直な感想を述べる。
「乞食みたいじゃないの。手紙書いて下さいって申し上げたのに、どうして一通も送ってくださらないんですか。もしかしたら、もう山の中で亡くなっているんじゃないかって。心配だから、重太郎殿と善光寺のお参りついでに、山に寄ってみようかって話してたところなんですよ。まあまあ、お帰りなさいませ」

倅の重太郎もそうだが、いったいこの夫婦は剣豪たちの精神をどう捉えているのか。
「とにかく、おれは帰ってきた」
「成果はどうだったのですか?」
「まあまあだな」
免許皆伝は無理だったが、熊の胆を袋に詰めてもってきた。
これを薬屋に売れば、かなりの額になる。

だが、このことは内緒にしておこう、と寅之助は荷物を上がり框に置きながら考える。
「おじいちゃん。剣豪の免状、貰ってきたの?」
寅太郎が聞く。
「そういうものはいらないんだよ。剣は人のためにあるんだからな」
寅太郎も夏江も、目をぱちぱちさせた。

14
山から帰ったあと、寅之助は鶯谷に行き、茶の師匠の次郎兵衛に会った。
そして、経過と始末を告げた。
次郎兵衛は絶句した。
「それでそのとき、師匠は最後まで……」
虚空に据えた目が、寅之助にもどる。

寅之助は、山小屋の場面を頭に浮かべるように答える。
「たぶんな」
「じゃあ、師匠は極楽の境地で、天国に」
師匠の青雲斎は、自らの運命を山で迎える気でいた。
とにかく、望みどおり山で全うできたのだ。

「青雲斎殿、山の中でゆっくりお眠りください」
次郎兵衛は北の山に向かい、手を合わせた。
「ところでおまえはどうなんだ、剣豪になれたのか」
黙祷を終えた次郎兵衛が顔をあげ、ふいに訊いた。

「おまえの見取りではどうでてる?」
神田川のほとりや、町道場でやられたときの悔しい気持ちが、いまはなかった。
泰然自若の心境だ。
「いぶし銀だ。鈍く光ってるぜ」
次郎兵衛は背を反らし、目を細めた。

寅之助は、いつものように神田川のほとりの茶屋にでかけ、お茶を飲んだ。
だが、静かだった茶屋は、店の中まで若者たちに占拠されていた。
武士の旗本奴と町人の町人奴が徒党を組み、仲良く入り乱れていた。
以前よりも派手な格好で、ビロードの着物に、皮の帷子(かたびら)や毛皮の羽織などをまとっている。
そんな装いで江戸の町をめぐり、迷惑料をせしめていたのだ。

「おめえ、もしかしたら、ずーっとまえのじじいじゃねえのか?」
川岸の縁台に、髪を肩に垂らした立髪(おつがみ)の親玉がやってきた。
木刀を担ぎ、楊枝をくわえ、寅之助の顔をのぞきこむ。
近々、かぶき者を一斉に取り締まる話を倅からも聞いていた。
放っておいてもよかったが、弱い者をいたぶる陰険な若者が許せなかった。

寅之助は縁台に茶碗を置き、腰をあげると同時に腕を伸ばした。
肩に担いだ立髪の若者の木刀を奪い、一撃を放った。
親玉は頭をおさえ、尻餅をついた。
寅之助を見上げるその目に、驚きと恐怖の色が重なった。

「なんだ、じじいい」
「やろう」
仲間が怒気をはらんだ眼で、寅之助を取り囲んだ。
寅之助は、すっと岸に移動した。
川を背にした寅之助をかぶき者が、二重(ふたえ)に迫った。

寅之助の木刀が唸った。
派手な装いの若者たちは、次々に頭や脇腹に渾身の一撃をもらい、地面にうずくまった。三、四人が川に落ちた。
「やりやがったな」
怒った一人が真剣を振りあげた。

寅之助は刃をかわし、前のめりになったその男の両手首に、どしっと木刀を当てた。
新陰流の得意技だ。
ぎゃっと男の声がし、真剣が手からこぼれた。
両手首を折られた男は、痛みに耐えかね、あわあと叫んで地面を転げた。
ほかの若者たちが撃ちかかったが、次々顔面に一撃を受け、地面にうずくまった。

15
お茶をすする寅之助の前に、町のおかみさんらしき女性が歩み寄った。
「あのう、お願いがあるんです」
深刻な顔で話しかけ、頭をさげた。
作品名:剣豪じじい 1章 作家名:いつか京