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剣豪じじい 1章

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そして、のめりかかる青雲斎の首筋を、手刀でとんと叩いた。
真剣ならば、青雲斎の首が落ちている。

かすれた悲鳴を残し、青雲斎は飛翔の術で地を跳ねた。
月夜の空に白髭をなびかせ、さらに三度ほど木刀で地を突いて跳躍し、青雲斎はねぐらに戻った。
悪戯をして叱られ、逃げ帰る八十歳の子供だった。

「お師匠は、私の師匠の青雲斎殿様のさらなるお師匠なのでしょうか?」
寅之助は、聞かずにはいられなかった。
「ま、そんなところかな」
座りなおしたご老体は、せっせと肉を口に入れていく。

「おれは肉を食うと、三ヶ月はなにも食わず体がもつ。胃の中で少しずつ消化するように訓練したからな。たまにここらまで降りてきて、栄養を補給するのだが、ここに来るのは年に一度、二、三日だけだ」
「失礼ですが、まだ旅をなさっておるのでしょうか?」
まだというのは、一番弟子の小野次郎衛門にすべてを与え、姿を消してから、という意味だ。

生きていること自体が驚きなのに、まだ旅を続けているようなのである。
姿を消したのは、三十年か四十年もまえになる。
その後、小野次郎衛門は小野派として徳川将軍家のお召し抱えの剣術家となった。
しかし、勝負に勝つという露骨な神髄が、治安を望む徳川家に疎まれ、剣術と武士の生き方を結び付けた柳生派に重きを奪われている。

着物の前が破れ、ずたずたの生地からは、あばら骨がむき出しだ。
頬骨の張った顔が月明りで光る。
「おれは、剣のために大勢の人を殺してきた。人殺しの術は戦争にも役立ち、剣豪と称すれば、その行為は天下のお役目のように堂々と演じられた。だが天下が統一され、戦争はなくなった。人を切り殺すことで自己を主張してきたおれにとって、時代はゆゆしき方向に向かっていた。

どこの生まれかも分からない捨て子同然のおれには、自分を証明する唯一の手段が剣豪であり、勝負に、勝って、勝って、勝つことが宿命だった。俺の弟子や他の剣豪たちは、生まれながら侍の身分であったり、あるいは領主であったりした者までがおり、人々は黙っていても剣豪と称する人物を尊敬した。だが、剣豪としての目的が大藩によるお召し抱え、というような流れができあがったとき、勝負に勝つことに生きがいを見出していたおれは目標を失った。

だが、卑しい生れで体格のいい暴れ者の己の生き方は、容易に方向転嫁が効かない。心も肉体も、人を殺さずにはいられない力と魂を満たしていた。そしてそれが、非道であり、間違いであることも分かっていた。本来、助け合って平和に生きていかねばならない暮らしの中で、人を殺していいなどという天理は通用しないのだ。

それで一番弟子にすべてを与え、お召し抱えを申してきた徳川家に栄誉を推挙したあと、おれは決心した。人を殺さないためには、人のいない場所にいくしかないとな。人がいなければ決闘もできない。果し合いで争うこともない……」

瞼に宿す点のような眼を光らせ、寅之助に問いかけた。
『お手合わせを……』『一刀流の極意を……』と寅之助はさっきから口にしようと機をうかがっていた。
しかし、一刀斎のおもわぬ心境の吐露に、心が揺さぶられた。
「それで、だれもいない山奥で暮らし、今やっと、人助けの剣の神髄に達するようになった。
人のために生きる剣だ。剣は人のために使うのだよ、若いの」

超百歳の古老の剣豪が、七十歳の若い剣豪にその成果を告げた。
まるで二十歳の若者に、自らの人生の悟りを講じているかのごとくだ。

11
山の月は煌々(こうこう)と輝き、下界の不浄を忘れさせた。
星空の下、黒々と稜線を引いて天と地を分かつ磐梯(ばんだい)の山々。
遠く、谷川のせせらぎ、狼たち夜行性の動物の叫び。
風に揺らぐ木立。

燃える薪の弾ける音。
寅之助は火が消えぬよう薪をくべながら、一刀斎の言葉を頭で繰り返した。
『人のために生きる剣、剣は人のために使うのだ』と。
それが一刀斎の剣の極意だった。

「えい」
「おう」
「やあ」
寅之助は、はっとなって耳をそばだてた。
明らかに剣の響きだ。
しかも、最後の『やあ』の声は女性だ。
ついで、重たい鉄の刃物と刃物がぶつかり合う。真剣である。

一刀斎はもう立ち上がっていた。
褌をした鋼(はがね)の一枚の板だった。
寅之助も傍らの木の棒をつかんでいた。
畑の路の突き当りの傾いた家の前に、白髪の青雲斎も姿を見せた。

「観念しろ」
「逃げても無駄だ」
「小娘、刀を捨てろ」
はっきり声がした。複数の男だ。
畑の下の藪の路だ。

山の中で、獣路同然の藪に迷い込んだのか。
女が男たちに追われているようだった。
それでも女は刀をもち、勇敢に対抗しているようすである。
『夜道を追われながら、女が剣を振るっている』と寅之助は即座に判断した。

青雲斎が木立の枝をかすめ、寅之助と一刀斎のまえに舞い降りる。
こっちも、あいかわらず褌一丁である。
二人の長い白髭が、肩で揺れる。
「師匠、こっちの路です」
一刀斎を導き、勝手を知る青雲斎が走りだす。

下の獣路に着いた。
頭上に茂る木立が邪魔で、飛翔の術は使えない。
青雲斎を先頭に、三人のじじいが走りだした。
二人は髭をなびかせ、一人は顎髭をそよがせる。
一刀斎も洗濯板の胸をさらし、走っていく。
気力は充実していても、さすがは百歳越え、左右によろけかかっている。

路は木立の下を、じぐざぐに進む。
足元の笹藪を突っ切る。
ざざざざざ。
やがて、辺りがぱっと開けた。

そこだけ木立が切れ、空が浮いている。
月明かりが灯っている。
熊や鹿の遊び場でもあったのか、笹が倒され、小さな広場になっていた。
月明りの笹藪、下方から音がせまった。

笹の茂みを泳ぐ、女の顔が見えた。
やあっと両手両足で跳ね、青雲斎が宙に舞った。
広場に女性が飛びだしてきた。
着物を着ているが、旅姿である。
抜き身の小刀を手にしていた。
色白の十七、八の娘だった。

「娘さん、こっちだ」
広場に立った一刀斎が手招きした。
ざざざざざ。
ざざざざざ。
さらに笹をかき分け、男たちが姿を見せた。

五人いた。束髪で髭だらけだ。
いかつい四角い顔で、獣のように汚れ、いずれも赤い目をしている。
よくは見えなかったが、唇の端からはよだれを垂らさんばかりの不適さだ。山賊である。
一刀斎と娘を前にし、山賊たちが五つ顔を横に並べた。
五人の山賊の背後に、退路を塞ぐように褌の青雲斎が着地する。

「山賊ども、ここでなにしてる」
長い顎髭を肩になびかせ、五人の背後から青雲斎が言い放つ。
にわかに降ってわいた、褌一丁の二人の白髭の男ともう一人の男。
人など存在しないはずの夜の山奥だ。
怖い者知らずの山のならず者たちは、その異様な姿にも血の気が引く思いだった。
「征伐してくれるわい」

山賊たちは、下の裏街道からいたぶるような余裕で獲物を追ってきた。
街道からはずれた裏路に分け入り、娘は必死に逃げてきた。
髪を乱し、着物の衿口もゆるみ、胸で息をつく。疲労困憊のていだ。
背後に一人、前方に二人の人間の出現に、五人の屈強な男たちは立ちすくんだ。
そして、月明りに照らされた前方の二人と背後の一人をたしかめた。
が、一瞬の沈黙のあと、五人がそろって笑いだした。
作品名:剣豪じじい 1章 作家名:いつか京