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悪魔への不完全犯罪

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年8月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。

                 坂下財閥の「やんちゃ坊主」

 坂下財閥の坂下銀二という男がいるが、この男は、よく言えば、
「やんちゃ坊主」
 と言っていいのだろうが、それこそ、
「親の七光り」
 で生きているのだった。
 中学、高校時代は、
「親が金持ちだというだけで、まわりに皆寄ってきて、取り巻きのような連中が、うようよと湧いてきている」
 かのようであった。
 そんな坂下は、金があることで、
「何をやっても許される」
 という感覚を抱いていた。
 親も、子供には甘いということなのだろうが、子供の頃から、何でも与えていて、
「我慢することを知らない」
 ということであれば、誰が何をするというのか?
 そんな状態で、中学生くらいまでは、
「やんちゃ坊主」
 という言葉が合っていただろうが、思春期を越えてくると、そうとばかりも言っていられなのかもしれない。
 坂下が、童貞を卒業したのは、中学生の2年生の頃だっただろうか?
 父親の息のかかったソープランドの女の子がその相手だった。
 店では、
「童貞キラー」
 という異名を持つ女性で、
「たまに、自分では大人だと言い張っているけど、いかにも、まだ中学生ではないかという子も、きますよ」
 と言っていた。
 だから、坂下が来た時も、別に驚くことなどなかったのだが、身体は明らかに子供であり、まだまだ大人になりかけてもいなかった。
「僕は大人だ」
 と言って、やってくる男の子は、
「明らかに子供だ」
 と分かるのは、話をしていて、その言動などから分かるのであって、肉体は、正直、大人のそれ以外のものではなかったのだ。
 だから、相手をする嬢としても、そんなに罪悪感や、違和感を感じることはなかったのだが、坂下の場合は、背も低いし、体つきも華奢だった。明らかに、
「肉体は、まだ子供であり、当然、精神も考え方も子供以外の何者でもなかった」
 と言ってもいいだろう。
 しかも、彼女が、
「童貞キラー」
 と言われるほど、男性の扱いに慣れているとはいえ、さすがに坂下に対しては、嫌な気分になってきたものだ。
 しかし、ここで、変に嫌な顔をして、客から、
「あの女は態度が悪い」
 と言われてしまうと、まずいということを他の女性に比べて敏感に感じる方だった。
 しかも、相手が店に相当に影響力のある財閥の息子だということになると、この店にいられなくなるだけではなく、さらに、もし、この店をクビになった場合に、他の店に面接に行っても、
「あの大御所である財閥のドンを怒らせてしまった女」
 ということで、まず、採用されることはないだろう、
 これまで、
「童貞キラー」
 ということで、自分の立場を築いてきた時間がすべてムダになってしまい、下手をすると、
「次の日からの生活もままならないことになってしまう」
 ということになるかも知れない。
 というのも、彼女は、
「自分は、この仕事以外、何もできるわけはない」
 と思っていた。
 一般事務員というのも、いまさらできるわけはないと思っているし、そもそも、手に職を持っているわけではない。学歴もあってないようなものだし、そんな、
「学歴底辺で、しかも、この業界で幅を利かせてきた」
 と思っているオンナにとって、
「一般会社の事務員などできるはずもない」
 というわけである。
「じゃあ、他の風俗、キャバクラなんかだったら?」
 と、言われるかも知れないが、こちらの方が実は、彼女としては、
「無理だ」
 と思っていた。
 それは、
「プライドが許さない」
 という考えがあるからだった。
 自分が今まで積み重ねてきたのは、あくまでも、
「身体を売って」
 ということであり、他の人から見れば、
「同じ風俗ではないか?」
 と言われるかも知れないが、彼女にとっては、
「一般事務員のような職業よりも、相当、遠い距離に違いない」
 というように見えていたのだった。
 確かに、
「近くに見えるものの方が遠く感じる」
 というのは分かり切っていることだ。
 例えば、簿記などの、
「損益計算書」
 などと作ろうとする時、売り方と買い方の金額を合せる時、
「金額の差が、大きいよりも、小さい方が、その原因を見つけるのには、かなりの時間がかかる」
 と言われるのと同じである。
 つまりは、
「売り方と買い方というのは、それぞれ、プラスとマイナスを積み重ねることで、結果、期末時点を合わせて、金額が合えば、それでOK」
 ということになる。
 だから、金額が小さすぎると、その金額が、
「プラスとマイナスが入り食ったことで、微妙な金額差」
 となるのだ。
 だから、金額もれであったり、計算ミスがあった場合は、
「それが、必ず複数ある」
 ということになるのだ。
 これと似た現象として、思い出されるのが、ある、
「テーブルゲーム」
 で、双六ゲームだった。
 普通のゲームであれば、ゴールが近づいてきた時、どうなるだろう?
 ゴール近くにいる人が、圧倒的に有利だということになるのだろうが、果たしてそうだろうか?
 確かに、有利は有利だが、それは、あくまでも、
「さいころの目が、ゴールまでの数より大きければ、すべてゴールとみなす」
 ということであれば、圧倒的有利なのだろうが、双六ゲームによっては、
「さいころの目が、ちょうどでない場合、ゴールまでの数を、賽の目がオーバーした分だけ、戻る」
 ということであれば、ゴール近くであれば、有利かも知れないが、圧倒的に有利というわけではない。
 つまり、ゴールできるかどうかというのは、あくまでも、
「運」
 ということであり。さいころの目自体が、運でしかないのだから、圧倒的有利ということはありえないということだ。
 これと同じように、最終的に、合わなかった場合、数が大きいほど、ちょうどの数が見つかる可能性があるということで、有利であるだろう。
 少なくとも、最初から、
「プラスとマイナスのどっちも確認し、その数の辻褄を合せる形にしないと、ゴールしない」
 ということであるのだから、数が大きい時よりも、
「圧倒的に不利だ」
 といえるのではないだろうか。
 もちろん、損益計算書で合わなかったのを、合せるという行為は、間違っても、
「運」
 というわけではない。
作品名:悪魔への不完全犯罪 作家名:森本晃次