Ironhead
― 現在 ―
「戻りました」
午後六時、咲丘が呟くように言うと、椅子から体を起こした外山はオーディオのボリュームを少しだけ下げた。
「どうだった? いよいよ殺しか?」
「いえ。ゲンチョーの依頼でした。でも、最後って気がします。わたしが主になって、片付けて欲しい感じでした」
咲丘はそう言うと、上着をハンガーにかけた。ヒップホルスターに収まる拳銃を見た外山は、眉をひょいと上げた。
「やっぱ卒業かよ。いつものV10はどうした?」
「ツグミに取り上げられちゃいました。こっちを使って欲しいって」
外山は何も言うことなく、仕出し弁当を掲げた。
「メシ、どうする? 卒業だと思って、うな重を買ってきてんだけどな」
「マジですか、いただきます」
向かい合わせに座ってご飯を食べるのは、何回目か分からない。でも、こんな気分で食卓を囲むのは初めてだ。咲丘はお茶でご飯を流し込むように食べながら、言った。
「菅原さんのことなんですけど。立石さんにも、どうやったらパールの店主になれるのか、聞いていたそうです」
外山は当時の記憶を呼び起こして、苦笑いを浮かべた。
「ちょうど、おれがモズの手伝いをしたときだな。あいつの初仕事で、おれにとっては最後の現場仕事。菅原は立石と話し込んでたよ」
咲丘は、ほとんど味が感じられない漬物を食べてから、呟くように言った。
「最初は、代わりがしたいなんて、そのポストに就いている人に対して失礼じゃないかと思ったんですけど。長く生きるための道がそこにしかないのだとしたら……」
お茶をひと口飲むと、外山はうなずいた。
「そうだな。菅原は、長生きできる方法を見つけたがってた。考えることは、みんな同じだよ」
「でも、最初の仕事であっけなく死んでしまうんですね。ネガティブな話なんですけど、わたし、頭を撃たれて死ぬのが一番楽だと思ってて」
咲丘はそこまで言うと、言葉を切った。外山は、うな重の最後のひと口を食べて箸を置くと、咲丘の目を見て言った。
「そういう意味では、菅原はラッキーだったな。頭に一発受けて、それで終わった」
後片付けや洗い物はなく、ただゴミ箱に容器や割り箸を捨てるだけ。咲丘はツグミから受け取ったファイルを鞄から取り出して、小さくため息をついた。営業時間が終わったから、外山はシャッターを閉めに行った。今はひとりだ。
信じたくなかった。でも、菅原が頭を撃たれて死んだのが事実なら、それを知っているのは外山だけなのだから、引き金を引いた本人であることはもう間違いないのだろう。咲丘は白熱灯のデスクライトを点けると、作業台に地図を広げた。店仕舞いを終えて戻ってきた外山は、懐かしい光景を目にしたように、頬を緩めた。
「ひとりでやるんじゃないのか」
自分の感情を正しく表情に伝える手段が思い浮かばず、咲丘は目を伏せた。昨日までは普通に話せたのに、外山の言葉を文字通りに受け取るための方法は、どこかに消えてしまった。
「これ、わたしからすれば最後の仕事なんです。もう、卒業だから。失敗したくないんです」
「そうだな」
外山はそう言うと、咲丘の隣に立って地図を見下ろした。
「現場は三叉路か。射線は通らないな。何を使うんだ?」
咲丘はずっと張りつめていた空気が少し緩むのを感じた。仕事になれば、その表情は切り替わる。外山は、これを十五年やってきたのだ。しばらく地図を眺めれば、古い世代のものだとすぐ気づくだろう。咲丘は言った。
「車を使うそうです」
「北進して、後ろから追突して分離帯に突っ込ませたらいい。その場合、確実に逃走用がもう一台要るけどな」
外山はそう言うと、咲丘の横顔に視線を向けて、言った。
「めちゃくちゃ疲れてんな。おれがもうちょい見ておくから、今日は帰ったほうがいい」
咲丘は無意識に歯を食いしばった。いつも通りなら、明日の朝から現地調査をする。これまでの仕事は、全部そのように進めてきた。しかし、今は状況が違う。咲丘が動かないことに気づいた外山は笑った。
「なんだよ、本当にひとりでやるのか? 明日の朝から、現場に行くんだろ?」
「そうするつもりです」
咲丘はそう言うと、地図を作業台の上に残したまま、外山の方を向いた。
「立石さんは、本当はなんて答えたんですか? 菅原さんに、代わりをするにはどうすればいいかって、聞かれたときです」
外山は、それが昨日のことのように、咲丘の目を見て言った。
「今ここで、おれを撃て。そう言ったらしい」
しばらく沈黙が流れた後、咲丘は地図を置いたまま一歩引いて、頭を下げた。
「うな重、ごちそうさまでした」
外山は小さくうなずくと、口角を上げた。
「おごりだなんて、言ってねーぞ」
咲丘は思わず、歯を見せて笑った。
「そんな……、後払いだなんて。失礼しまーす」
外山が地図と睨めっこを始めたのを見て、咲丘は裏口から外へ出た。これ以上同じ場所にいたら表情で何を考えているか見抜かれそうだ。駐車場まで小走りで向かってスイフトに乗り込み、エンジンをかけるのと同時に咲丘は顔を覆った。体が正常な機能を忘れてしまったように、細いうめき声が漏れただけで涙は流れなかった。同時に、危険信号を放つように割り込んでくる考えがひとつだけあった。それは、モズならどうするかということ。不死身のように振る舞っているが、死を間近に見ている分、本当は人一倍自分の死を恐れている。だから、ありとあらゆる可能性に気づく必要があるし、現地調査はその『気づける』下地を頭に作るための作業だ。
隣に停まるソアラ。骨董品だがよく走るし、外山は少なくなってきた部品を取り寄せながら、長く乗り続けている。明日、外山がソアラで行こうと提案したとすれば、それはどういう意味を持つのだろう。どの車を使うかは特に決まってはいない。咲丘はギアを一速に入れると、駐車場からスイフトを出した。これからは、頭が放つ危険信号を絶対に無視してはならない。全てにカウンターを打てるよう、対策を考える。どの道、相手の頭の中は読めないのだから、こちらとしては、解決策をひとつでも多く持っておかなければならない。そうやって考えれば考えるほど、外山と自分の関係は標的とモズのそれに置き換わっていく。咲丘は繁華街から抜けて、新しいアスファルトで舗装された橋を渡った。真新しい拳銃、生身の人間を確実に破壊するためのホローポイント弾。残るお膳立ては、自分だけだ。引き金を引くべき自分だけが、土俵に上がっていない。
まだ、何かが足りないからだ。
咲丘はシフトレバーを四速に上げて、アクセルを踏み込んだ。
― 四年前 ―
車のヘッドライトは、入口に届く前に消えた。相手もそれなりに警戒しているということになる。外山は抑えた声で菅原に言った。
「歩きで来るぞ。お前が撃ったら、おれも撃つ。同時に片付けよう」