Ironhead
スイフトまで戻る間、咲丘は季節が真冬に切り替わったように肩をすくめた。拠点の椅子というのは、中々得られないポストだ。ただ、近くにいれば、自分の手元に滑り込んでくる可能性もある。外山にとっては菅原が最も近い存在だったし、菅原もどうやってそういうポストを手に入れるか、あちこちに聞いて回っていた。スイフトの運転席に座り、咲丘は想像を巡らせた。外山の元に戻って、一年が経つ。そして昨日、今回は卒業じゃないかと冗談のように言っていた。裏の事情を知ると、悪い方向に想像が働くのを止められない。モズになりかけて再び帰ってきた自分は、どのように映っていたのだろう。咲丘はヒントを求めるように、ツグミから託された地図をファイルから抜き出した。現場の航空写真。三叉路が真ん中にあって、最もスピードが乗るのは北上する道だ。しかし、赤信号だと対面のどちらかは青だろうから、大事故になるかもしれない。横断歩道は掠れていて、交差点の真ん中に工事中のような白線が何本も書かれている。その中途半端な状態に違和感を覚えた咲丘は、同じ地図をスマートフォンで表示して、気づいた。今は歩車分離式に切り替わっている。ツグミから渡された地図にある交差点内の細い白線は、ゼブラを描くための下書きだ。だとしたら、この地図は古い。地図の端には、レストランの赤い看板が見切れている。ここは、外山と初めて外食した場所。今は閉業して、コンビニになっているはずだ。ツグミがこんなミスをすることはない。ホルスターに収まったレンジオフィサーに意識が向いたとき、咲丘はホテルから出るときに預かったメモのことを思い出した。恐る恐る開くと、アザミの丁寧な字が一直線に並んでいた。
『菅原くんは、最初の仕事で行方不明になった』
咲丘は心臓の動悸に耐えられなくなり、胸を手で押さえた。ようやく分かった。
わたしに課せられた仕事は殺しで、標的は外山だ。
菅原が死んだということを知っているのは、外山だけ。だとしたら、菅原は残土処理場のどこかに埋まっていて、工事が始まるのと同時に掘り返されたのかもしれない。アザミはそこまで分かった上で、この仕事を自分に与えたのだろうか。例え事実に四方を固められたとしても、にわかには信じたくない。咲丘は地図に目を落とした。これをそのまま返したら、ツグミは地図が古いと真っ先に指摘するはずだ。そうなれば、見落としたのは誰になるんだろう。咲丘は地図をファイルに戻しながら考えた。ツグミは単独でもいいと言っていた。つまり、この仕事に外山はカウントされていない。だとしたら、この地図が古いことを指摘されて困った立場に置かれるのは、おそらくわたしだ。
― 四年前 ―
「なんで夜なんすか」
菅原が言い、外山は笑った。
「鳥目だからって、標的に昼に来てくださいって言うのかよ。慣れとけ」
FTOのエンジンは高く唸っているが、菅原の頭の中は不安で溢れているだろう。外山は窮屈なホルスターの位置を調節した。菅原は神経質に笑いながら、言った。
「ヒップホルスターは邪魔でしょう」
「慣れが要るな」
外山はそう言いながら、USPコンパクトのハンマーに一度触れた。変に動かし過ぎて暴発されたら困るし、その不安を抱えているということを菅原に見抜かれることだけは避けたい。分岐路まで辿り着いたとき、前を走るランドクルーザーが打ち合わせ通りに天井のフォグランプを点灯させ、加速し始めた。南側の出入口に向かう道に折れた後、外山は言った。
「さっき、立石と何を話してたんだ」
「仕事の話です」
菅原は静かに答えると、ギアを三速に落とした。外山は地図で睨めっこしていた『現場』が目の前に迫っていることに、改めて驚いた。いつも上から見下ろすだけだったが、今はその渦中にいる。南側の出入口は広く、照明の光が届かないスポットも多い。夜になれば、待ち伏せに最適な場所になる。そこは調査した通り。菅原は夜になることだけを嫌がったが、調査の精度自体は中々のものだった。頭がいいのは、間違いない。気にかかるのは、ゲンチョーのポストに収まるにはどうすればいいのか、アザミに聞いてたらしいということだ。小耳に挟んでいたツグミから教えてもらった。
菅原の質問をアザミがどう考えるのかは、分からない。さらに上まで菅原の『希望』を伝えるのか、新人が勢い余って質問攻めにしてきただけだと、受け流すのか。そんなことを気にしなければならないのが、すでに情けなく感じる。少なくとも、菅原は確実にゲンチョーの頭をやれる。つまり、自分が椅子から立ち上がった瞬間に菅原が座ることも、不可能ではない。新しい仕事が来たとしても、歯車は元通りに回る。外山が頭の中を巡る考えに呑み込まれそうになったとき、菅原はギアを二速に落としてさらに減速し、残土処理場の照明が当たらない場所にFTOを滑り込ませて停めた。
「喫茶パールって、色んな用途に使われますよね。連絡にしろ、顔合わせにしろ」
菅原は、エンジンを止めながら言った。外山がうなずくだけに留めると、さらに続けた。
「そういう場所にいる人ってのは、やはり特別なのかなって、思ったんです。なので、どうやったらなれるのか聞きました」
「そうか。なんて答えてた?」
「簡単だ。今ここで、おれを撃てと」
いかにも、立石が言いそうなことだ。相手が変に遠慮していると、その臓物に手を突っ込んで外へ引きずり出すような答え方をする。外山は思わず笑うと、首を横に振った。
「極端だな。ある程度フェアじゃないと、人事は受け入れないだろ」
菅原はうなずいたが、言葉では答えなかった。無線が雑音を鳴らし、ソウマの声が続いた。
『持ち場に着きました』
「了解」
外山はボタンを押して短く言うと、FTOから降りた。三好兄弟が待機する北側の交差点は廃屋が建っていて、その裏側は全く光が入らない。三好兄弟は銃身の短いFALを持っている。相手がどんなスピードで走ろうが、国産車の薄い鉄板は紙の的同然だ。こちらはベレッタ1201FPを用意した。距離が近いから、車ではなく人を撃つために特化されている。
外山がUSPコンパクトをホルスターから抜くのと同時に、トランクから1201FPを取り出した菅原は、薬室にバックショットを装填して安全装置を掛けた。持ち場に身を伏せるその後ろ姿を見ていた外山は、右手に収まるUSPコンパクトに意識を集中させた。
ただの仕事のようで、そうではない。二手に分かれているから、実質この場にいるのは二人だけだ。この業界は、穴が空いたときに一番近くにいた人間がそのポストを埋めるのが基本だ。そして、穴さえ空かなければ、何も起きない。外山は菅原の隣に並び、身を低くして息を殺した。菅原は何も言うことなく安全装置に指を乗せて、目をできるだけ慣らせるために暗闇を見つめていた。
三十分ほど同じ体勢で隠れ続けたとき、山道にひと筋の光線が伸びた。菅原は1201FPの安全装置を解除し、銃全体を体に引き寄せた。外山はUSPコンパクトを両手で保持しながら、シルエットが現れるのを待った。どの方向から来るかは正直賭けだったが、相手はこっち側に来た。だとしたら、菅原の仕事ぶりを確認するのと同時に、その後の立ち回りも考えておかなければならない。