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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Ironhead

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 外山は包丁の刃に水を流しながら、小さく息をついた。咲丘は大抵『ご飯食べて帰ります』と言って、二人分の夕食を作って一緒に食べ、後片付けをしてからアパートに戻っていく。あまりに長く続けすぎて、これが普通になってしまった。キャリアのほとんどを現地調査で終えた自分のことを、咲丘は『天性の才能が要るし、基本の部分だから配置転換できない』のだと解釈している。それを肯定するだけのプライドは微かに残っているし、実際間違えた資料を渡せば、モズは死ぬ。
 自分自身がモズとなって、その資料を元に引き金を引く想像は何度もした。しかし、手伝いこそ何度もしたが、結局モズとしては成立しなかった。最後に呼ばれたのは四年前で、その時点で四十一歳だった。そのとき研修をしていたのは菅原という名前の二十歳の男で、一員になった時点で四人を殺している筋金入りのモズ候補だった。おおよそ店員と呼べる顔つきではなかったから、裏方をやらせていた。菅原はホテルとも頻繁に連絡を取り合っていて、自分を売り込むのも得意だった。控えめな性格の咲丘とは、百八十度異なる。
 今、スマートフォンには立石からの着信が何件か入っていて、不在着信を知らせるランプの点滅ですら、自分を四年前に引き戻そうとしているように感じる。菅原、三好兄弟、自分の四人。残土処理場での仕事。まだ体が動く自信があって、現地調査の結果をこの目で確かめるいい機会だった。自分を誘ったのは菅原で、『外山さん、モズも悪くないっすよ』と言っていた。
 得たのは、銃創のせいで今でも微かに痛む右足だけだった。
 自分が乗せられやすい性格だというのは、十分承知している。菅原が話し相手だった当時は、人を殺す仕事に今から飛び込むのも悪くないかとすら、思っていたのだから。今は咲丘の隣に立ってネギを切っている上に、それを楽しいとすら感じている自分の芯の無さに、少しだけ情けなくなる。
 ただ、殺しの仕事への憧れは、常にあった。速い車、大口径の銃、オーダーメイドのスーツ。少しずつ不文律になっていった立ち振る舞い。ひと言も発することなく、無表情で不死身のように立ち尽くしている、人間のふりをした何か。それがモズだ。現場の知識を与える側ではなく、その知識を仕事のために最大限使い切る側。
 菅原の顔を思い浮かべたとき、曲が唐突に止まり、咲丘がスマートフォンとオーディオをペアリングしているのを見た外山は、顔をしかめた。
「曲の途中だぞ」
「もう終わってましたよ。ちょっとギア変えましょうよ」
 咲丘は大きな目でスマートフォンの画面を見つめると、再生ボタンをタップした。イントロを聴くなり、外山はネギで赤くなった目をしばたたかせながら、宙を仰いだ。
「ついていけねーよ。おれはおっさんだから、ギアの段数が少ないんだ。これ、あいつか? ケーシャ?」
「伸ばさなくていいんですよ。ケシャです」
「はいはい」
 そう言いながら外山がネギを切る作業に戻ったとき、咲丘は目を細めて鍋用の出汁パックの説明書きを読み始めた。外山は切り終えたネギを掬い上げてボウルに放り込むと、笑った。
「ゲンチョーじゃないぞ、メシだろ。そのまま放り込めよ」
「はい。いや、待ってください。やっぱり、細部は重要なんです」
 咲丘は説明書きを暗記すると、小さく声に出して復唱しながら残りの野菜を切り始めた。外山は自然と残りの分担をこなし、アサヒビールの中瓶を冷蔵庫から出すと、小さな鍋を挟んで向かい合わせに座った。自分の分を小皿に取り分ける作業が終わったとき、湯気の向こうで咲丘はわざとらしく顔を伏せて、指の隙間から外山の顔をちらりと見た。外山が気づかない振りをしてかまぼこを掴んだとき、咲丘は湯気を手でかき分けて外山の目をじっと見ながら、言った。
「あーあ」
「それはもはや、ため息とかじゃねーよ。声だろ。なんだよ? 察してオーラを連射するなって」
「明日、ホテルに呼ばれてるんです」
「ここから直で行くのか?」
 外山が言うと、咲丘は首をゆっくりと横に振った。
「パールを経由して、そこからボウズさんに連れてってもらう段取りになってます」
 車で四時間コース。わざと遠回りさせて、色んな人間に面を取らせるような行程を考えるのは、ひとりしかいない。人事のアザミだ。間にいくつか拠点があって、咲丘の移動はあちこちで記録される。喫茶パールの駐車場では、立石に鍵を預けなければならない。まずチェックされるのは、走行距離とガソリンの残量だ。外山がホテルまでの道を頭に思い浮かべたとき、咲丘はスマートフォンを操作して曲を切り替えた。ローリングストーンズのストレイキャットブルースが流れ出し、外山は笑った。
「このままピコピコすんのかと思いきや、渋いの聴いてんな」
「視野を広くがモットーです」
 咲丘が歯を見せて笑い、外山は七味唐辛子の蓋を開けながら同じように笑った。
「ホテルの用件はなんだと思う?」
「ゲンチョーのネタ回収だと思ってます」
 咲丘の自信なさげな口調に、外山は思わず笑った。だとしたら、会う相手はツグミだ。ホテルに住み込みで働いている数人のひとりで、若くても幹部扱い。装備の調達と、地図に注意すべきポイントを書き込む仕事をしている。後者はこちらの仕事と重複する部分があるが、ツグミが載せる情報はあくまで信号のサイクルやパトロールの頻度など、事実関係だけ。それを踏まえて現地での妨害工作やモズの立ち振る舞いを決めるのは、こちらの仕事だ。小さな仕事なら、現地調査なしで駒のモズを送り込む。わざわざ地図を取りに来させるということは、大きな仕事だ。外山は言った。
「それなら、結構な大仕事なんじゃないか? でも、誰もそんな話はしていないし、想像とは違うかもよ」
「わたしを呼ぶって、他にどんな用件があるんでしょう」
 外山は手で銃の形を作り、人差し指を動かした。
「こっちだろ。永遠の新米、まいまい」
「もー、やめてくださいよ。なんか韻も踏んでるし。いきなり殺しですか?」
「真面目な話だけどな、もういきなりじゃない。去年、一回逃してるだろ」
 外山が言うと、咲丘は露骨に顔をしかめた。春川のことを『標的』扱いしたら怒るというのは、分かりきっている。しかし、そこに触れることなく大事な話をするのは難しい。咲丘はいつもならそのまま黙り込むところだが、今日は違った。
「わたしは、引き金を引く気なんかありませんでした。指示はアザミさんから直でしたけど。あの人、見た目は上品で静かなのに、結構口が悪いんですよ」
「ホテルの連中はみんなそうだよ。アザミはなんて言ってたんだ?」
 咲丘が一年前のことを話すのは、初めてだった。もしかしたら、こちらの言葉を頭の中に浸透させて、本当に地図をもらうだけではないと思い始めたのかもしれない。外山が耳を澄ませると、咲丘は小さく咳ばらいをしてから言った。
「春川さんのどこを撃ってもいいけど、顔は必ず吹き飛ばしてって。お相手の男がうまく生き残ったとしても、その可愛い顔を二度と見られないようにするためだって」
作品名:Ironhead 作家名:オオサカタロウ