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化け猫地蔵堂 3巻 3話 超人坊主

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 刀を抱えたまま、よろけついでに浅草寺の本堂の参道から左の道に入った。

 そこにも見世物小屋や土産物の小屋が並んでいる。
 見物人であふれ、呼びこみ声が飛び交っている。
 トラとミケは、いつ化けて出て伊織を助けたらいいかと機会をうかがっていた。
 だが、その必要はなさそうだった。

 水野伊織と称した老人は、強靭な意志でどんどん前に進んでいく。
 二十五歳だと地蔵堂で訴えたが、若き日の姿を見てみたいものだと、トラとミケも思った。
 全海とやらはどこだ、と伊織は前方をうかがう。
 腰をかがめた伊織の後姿と、重なる人の足が見える。
「なんだ、野良猫が二匹連れ添いやがって。邪魔だ。えいっ」
 今度は並んだ二匹が、足で一ぺんに横に払われた。

 人の足は、いつしか少しまばらになっていた。
 その隙間を転げ、芝居小屋の看板の下で止まった。
 猫の筋力で素早く起き上がる。
 伊織老人を見失いたくなかった。
 先の方から伊織老人の声がする。
 トラとミケは頭を低く構え、毛のするほうに走った。

《いた》
《わあ、乱暴なことしてるよ》
「どけどけどけえーい」
 伊織老人は腰をかがめ、刀の柄を突きだしていた。
 刀の柄で、人を左右に掻き分けていたのだ。
 もし、近辺に心得のある侍がいれば、即、切り捨てられただろう。

 狂気じみた老人に、通行人が体を反らして避ける。
「邪魔だ、どけ、どけえっ」
 一日中眠りこけていた伊織は、朝の様子とはうって変わっていた。
「全海、どこにいるかあー」
 あたりがぼんやり暗くなり、人が減りだした。

 ふいに現れた空間を確かめるように、伊織老人が腰を伸ばした。
 あたりを見回す。左右にあった小屋は消え、木立が現れた。
 密集した人影は消えていた。
「わあ」
 伊織は叫び、前のめりに倒れ掛かった。
 まっすぐの道と思い込み、木立の間に飛び込んだのだ。

 背中を丸め、両手で空を掻いた。たたっと草履の音をたてた。
 が、次の瞬間、老人はなにかにまともにぶつかった。
「あたたー」
 尻餅をついた伊織老人は、両手で頭を抱えた。
 表皮に縦目の筋のある杉の大木だった。

 いまさっきまでの人の賑わいはどこに行ったのか。
《ここはどこでしょう?》
 夢中で伊織の後を追っていた二匹だった。
 同じように、木立の間に飛び込んでいたのだ。
 トラとミケは、ぼんやり明かりの漏れるその空間に目を凝らした。
 さっきまでのざわめきが、離れた背後から聞こえた。

 老人は額の痛さに顔をしかめながら、地面に両足を投げだしていた。
 と、杉の大木の陰から、蒼白の顔の侍がするりと現れた。
 侍は摺り足で老人に近づいた。
 髪が乱れ、衣服も汚れていた。
 まさしく、浪人風情である。まだ若い。

 その侍の目に、稲妻のような光が閃いた。
「お年寄り。お気の毒だが、試し斬りをさせてもらいます」
 若い浪人の腰に納まる分不相応な柿色の鞘。
「試し斬りだとお?」

 伊織老人は、飛び起きようとした。
「や、やめろ」
 刀を構えようとしたが、なかった。
「お覚悟、ごめーん」
 若い浪人が歯を食いしばり、腰の刀を抜いた。
 大きく踏み込むと同時に、刃が伊織老人の頭上に迫った。
ずん……。

 内蔵が、どっと地面にこぼれた。
 軽く振り下ろしただけだった。すごい斬れ味だった。
 たたたたた……。
 駆け去る浪人の足音。振り向きもしない。

 目の前に横たわる伊織老人。
 腹から、内臓を吐きだしている。
 首を横に曲げ、手足を投げだしている。
 死にましたと言わんばかりに目を閉じ、無言だ。

《辻斬りが、辻斬りにやられた……》
 トラとミケは呆然と伊織老人を見守った。
 一瞬にして死体になり、助ける時間もなかった。
 二匹で身体を寄せ合い、生暖かい臭気を立ち昇らせる伊織を呆然と眺めた。


 赤茶のトラとミケは疲れ果て、地蔵堂に戻った。
 水野伊織と名乗った老人をむざむざ見殺しにしてしまったのだ。
 しかも目の前で、老人と同じ辻斬りにやられたのだ。
 がっかりし、全海とやを追う気力も失せた。

《化け猫なのに、なんにもできなかったね》
《やることがあるなんて言ってたけどな》
《こんなこともあるんだね》
 すると庭に、ざわつく人の気配がした。

 子供の一団だった。
 五つから十二、三歳の男の子と女の子たちだった。
 七、八人はいる。

「おじさんが、帰ってこない」
「おじさんは孤児のおれたちを置いて、どこかに行ってしまった」
「長屋のひとが、『ご浪人さんは内蔵(はらわた)の臭いがする、もしかしたら辻斬りではないですか』なんて冗談を言ってた」
「腕のいい侍だったから、あちこちの道場をまわって試合を申し込み、銭を稼いでいたんだ」

「夕べは変な年寄りが部屋にいて、おじさんの着物を着てた」
「その年寄りはよろけながらでていったけど、その人もそれきり帰ってこない」
「どうか、おじさんが戻ってきますように」
「怒りっぽくって、みんなを殴っていたけど、ほんとうはいい人なんだ」
「またみんなに勉強を教えてくれますように」
 全員が頭をさげた。

《あの水野伊織という老人》
《試し斬りで金を稼ぎ、子供の面倒をみていたんだよ》
《やることって、そのことか》
 江戸の町々には、親のない子や捨て子などの面倒をみる奇特な人がいた。
 とくに、もと侍には学問のある者が多く、寺子屋形式で町の子供たちを集め、勉強を教え、ついでに身寄りのない子を育てたりもした。

《そういうことだったのか》
《だけど、あのじじいがこの子たちの面倒を見てたっていうの?》
《なんだか、よくわかんない変な感じだなあ》
《そう言えば、伊織さんはあのままあそこで死んだままになっているのかしら?》
《うん、どうなってんのか、ちょっと行ってみるか》

 トラとミケの二匹は、いてもたってもいられなくなった。
 むずむず、後ろ足を自然に動かしていた。
 二匹は、地蔵坂を駆けあがり、大川のほとりを疾走した。
 備わった秘密の全速力だ。
 参道の脇道を行った現場に着いて、斬られた伊織を発見しても、なにかが変わる訳ではなかった。

 だが、勝手に手足が動いた。
 あいかわらず人が行き交っていた。
 浅草寺と吉原が人を呼んでいるのだ。
 雷門をくぐった。
 人を縫い、参道を左に折れた。
 突き当りの鉤型の道が迫った。

 木立の間から飛び込んだ。
 薄暗い空間に、人がざわめいていた。
 二、三十名ほどの影があった。
 人影が語りあっていた。
 辻斬りがでた、死体がころがっていたと──。

「ところがそこに……」
「黒い法衣の坊主があらわれた」
「たまげたね」
「すげえ坊主だった」
「呪文を唱えると、どうだい」

「瀕死の老人は、ばっさり殺られ、腸をこぼしてた」
「腸が蛇のようにくねくね蠢き、老人の腹の中に戻っていった」
「そして老人は、ぱっと目を開けた」
「生き返らせやがったんだ」
「いや、老人だったのに、そいつが起き上がったら若い男に変わってた」

「『地獄まで行って充分苦しんだであろう。お前には使命があるそうだな、もとの姿に戻って続けるがいい』そう言って呪文を唱え続けた」