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化け猫地蔵堂 3巻 3話 超人坊主

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そして、入り口に集まりはじめた一堂をじろりとねめた。
 背後の白粉で厚化粧のおかみさんも、顎で坊主をしゃくった。
「ほんとうに、その檻のなかにいる汚らしいお坊主が、呪文を唱えてやりやがったんだよ」

「うそじゃねえ」
 男は赤い着物の袖を振りかぶり、檻のなかの坊主をぴたりと指さした。
「その坊主が、魔法の力を使いやがったのさ」
 おかみさんが調子を合わせた。

「なんだ、ばかばかしい」
 野次馬の一人が、足もとにぺっと唾を吐いた。
「なにか始まるのかと思ったらよ」
「なにもねえ、見せ物小屋の口上かよ」

 なんだ、なんだ、と足を止めた野次馬たちが散りだした。
 去っていくみんなと一緒に、伊織も小屋を出ようとした。
 するととそのとき、声がかかった。
『お侍さん』

 ふりむくと檻のなかの貧相な坊主が、光る二つの目で伊織を見据えていた。
『いま、今戸に出ている辻斬りはお前だろう。お年寄りを何人斬った』
その坊主が、不意にそう告げたのだ。

3 
 木漏れ陽がお地蔵様の前にあふれた。
 陽が昇り、あたりが温かい空気に包まれた。
「あのときの坊主が、たしかにそう指摘しやがった。そんな馬鹿なとは思っても、夕べの浅草の一件しか考えられぬのだ」

 老人の水野伊織は、信じられないというように首をひねった。
 陽を浴び、からだが暖まってきたからなのか、あるいは長く話しをして疲れたからなのか、伊織は肩で息をついたかと思うと、こくんと顎を落とした。

 伊織は座ったまま両足を投げだしたまま、居眠りを始めた。
 トラとミケには、なにがなんだかさっぱり分からなかった。
《今戸に出ている辻斬りはお前だろ、って告げられたって言われたらしいけど、その話からするとこの老人、もしかしたら辻斬りだよ》

《でもな、辻斬りは若い侍じゃなきゃ無理だろ》
 昨今、年寄りばかりを狙う辻斬りが、巷で話題になっていた。
 場所は今戸近辺でである。
《何人もの年寄りを斬ったからいま話した坊主とかに、罰として年寄りにされたんじゃあないの?》
 牝のブチが、思いつきを口にしてみる。 
《ほんとかなあ》

 トラとミケも超人的な力をもつ偉い坊主について、噂を耳にしたことがある。
 猫に化ける力をもつ超猫(ちょうびょう)がいるように、人に超人がいてもおかしくはない。

 今戸は浅草寺の先にあった。
 日本橋の商家のご隠居たちの別荘が並び、商いで財をなしたお年寄りの ご隠居たちが、若い妾を囲っていたのだ。
 爺(じじい)が金で娘たちを自由にしていると評判がよくなかった。

 辻斬りは、大川堤沿いの人の途切れる場所で獲物を狙った。
 犯人は若くたくましく、かなりの腕だった。
 辻斬りは仲介者に頼まれ、大名たちの名刀を試しているも噂された。
 試し斬りである。

 老人の伊織が鼾をかき始めた。
《いま話していた浅草の見世物小屋に、本当に坊主とやらがいるのかどうか、覗きにいってみるよ》
 トラは、老人の話がどこまで本当なのかを確かめたくなった。

《それならわたしはここで、このおじいさんを見張ってる》
 ミケが、お地蔵様の前の居眠り老人に目を凝らした。
《じゃあな》
 トラは屋根裏から裏側に出た。

 地蔵坂を登り、大川(隅田川)にむかった。
 大川のほとりをまっすぐいけば、浅草である。
 仲見世には、見世物小屋が並び、まだ午前中なのに、参道はもう老若男 女であふれていた。
 ほとんどが地方からのお上りさんである。
 月に一度、数日間だけのありがたい『御開帳』なのだ。

 見世物小屋が並ぶ。
 伊織が話した小屋があるのかどうか──。
 トラは仲見世に沿い、人込みを縫った。

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。とんでもねえ糞坊主だ。そんじょそこらの坊主じゃない。人の姿を呪文で変える怪僧だ。罪あるもんは近づくな。だが、離れって一メートルあれば大丈。注意を聞かず、勝手に近寄り、犬畜生にされても知らないよ。こっちに責任はないからね」

 赤い着物の男が台に乗り、口上を唱える。
 小屋の入り口には女がいる。顔に白粉を塗り、口に紅を差している。
 人が列になっていた。
 女は手にした箱に、入場者から銭を集めていた。

 トラは人にまぎれ、身をよじり、入口の端から入った。
 なかは薄暗かった。
 聞いたとおり、土間の台には檻が三つ並び、真ん中の檻に坊主が座っていた。
 ほかの檻は、空である。
 伊織とやらの言うとおりだった。

 トラはすぐ気づいた。
 呼びこみの男のおり、すごい坊主なら、なぜあんな半分やくざのような 小屋の主に捕まえられているのか。
 小屋の主を犬畜生の姿に変え、さっさと逃げだせばいいのに……。

 トラは土間の隅に座り、檻のなかの小さな坊主を見守った。
 人は表から裏の出口にむかい、ぞろぞろ通り抜けるだけだ。
 だが、みんなは恐ろしそうに坊主をながめ、外に出ていく。
 文句を言う者はだれもいないようだった。

 坊主は目を閉じ、座禅を組んでいた。
 自分が囚われの身で、見世物になっていることなど、意にも介していないようすである。
 伊織という老人は、この坊主に、老人をねらった辻斬りの報いで年寄りにされた、と主張しているのだ。

 檻のなかの坊主は、真面目そうにただ座っているだけだ。
 伊織の言い分では、この小屋の赤い着物の主が『蛇女とか、のっぺら坊とか、牛男とか全員を、もとの姿に戻されてしまった』と話していた。

 だが、この坊主からそのような気迫は微塵にも感じられない。
 化け猫の力で念力を送ったが、なんの反射もなかった。
 坊主は、冷静に手を合わせ、口の中でぽつりぽつりなにかを呟いている。
 一時間ほどようすを窺ったが、変わりはなかった.
 まちがいなく、ただの坊主だった。





 朝からばかばかしくなって、からだの力が抜けてしまった。
 伊織とやらのカタリだったのかと、トラは浅草寺の境内をあとにした。
 そして、駿河台下の地蔵堂に戻った。
 屋根裏では、格子窓の前に座り、ミケが横目で庭を見下ろしていた。

《どうだった?》
 トラの姿を見つけるや訊いてきた。
《うーん、あいつが言うほどの坊主とは思えなかったけどな。こっちはどうだ?》
《まだ気持ちよさそうに居眠りをしているよ》
 言われ、トラも格子窓から庭をのぞいた。

 水野伊織は刀の柄を肩にもたせかけ、まだ眠っていた。
 老人の頭や肩には、木漏れ陽があふれていた。
 今朝から同じ姿勢だ。身動きひとつなく寝入っているようすだ。
《死んでんじゃないだろうな?》

 トラが格子窓の額を押しつけ、注意深く観察しようとしたとき、人の気配がした。
 人影は、地蔵様のまえの石畳に腰を据えて居眠りをする歳のいった侍を見つける。
 おどろいたようすだったが、居眠りだとわかり、肩に手をかけ、かるく揺すった。
 老人の伊織は刀を抱いた姿勢のまま、横に崩れた。
 それでも鼾をかきつづけた。

「しょうがないな」
 お参りにきた男はあたりを見まわした。
「他人がいたんじゃ、御利益はねえっていうし、またこよう」
 願いごとは、他人に聞かれてはならないのだ。