化け猫地蔵堂 3巻 3話 超人坊主
化け猫地蔵堂 3巻 3話 超人坊主
超人坊主
1
《お年寄りが刀を杖に歩いてくるよ》
天井裏の格子窓からのぞいていたミケ猫が、背後のトラをふり返った。
老人は前かがみの姿勢で首を前に伸ばし、うんうんうんと呼吸にあわせ、参道をやってきた。
朝はまだ早い。
老人が杖にしているのは、黒鞘の太刀である。
一歩一歩あるくたび、かつんかつんと音をたてる。
そのたびに裾が割れ、萎びた脛が剝きだしになった。
老人は地蔵堂の前までくると背中をのばし、ほっと息をついた。
そうしてから、また前かがみの姿勢になり、お地蔵様を睨んだ。
「拙者はまだ二十五であるぞ。それなのに、朝起きたら年寄りになっていやがった。なんでだよ」
侍言葉と町人言葉が入り混じっている。
長年の浪人暮らしで、町の生活に馴染んでしまっているようだ。
侍であればもう一本、小刀がなければならなかった。
だが腰は空だった。
「どれ、どっこい……」
老人は杖にした刀を支えに、地面に座りこんだ。
ザンバラ髪が陽に透け、肩にもたせかけた黒鞘の刀が柔らかく光った。
《なんだ、こいつ》
《まだ、二十五? どう見たって七十過ぎに見えるよ》
牝のミケ猫と牡のトラ猫が、天井裏の格子窓にぐいと額を寄せる。
「あのな、拙者はほんとうに二十五なんだぞ。ふざけるでない」
老人はまた口にした。
ひどく怒っているようすだった。
しかし、着物から投げだされた二本の足は、枯れ木のように干からびていた。
「拙者には大事な仕事があんだ。急に年寄りなんかにされてたまるか。やいおまえ、おまえはお助け地蔵って言うのであろう。眠ってんだか笑ってんだか分かんない顔なんかしてないで、なんとかしろ」
一瞬、老人のからだが輝いた。
そのように思えた。
トラ猫とミケ猫は、赤茶毛をぶるっとふるわせた。
が、それは木立の隙間から射す朝陽が、勢いを増した瞬間であった。
「やい、なんでこうなったのかを、今から話すからなんとかしろ。とにかくは昨夜のあの浅草の糞坊主めだ」
2
老人は水野伊織と名乗った。
前日の夜、伊織は浅草寺(せんそうじ)の境内を歩いていた。
この時期、浅草寺は御開帳(ごかいちょう)で、大賑わいだった。
ありがたい御神体を、庶民一般におひろめしているのだ。
参道は篝火と提灯で飾られ、昼のようで、見世物小屋がずらりと並んでいた。
駒回し、一寸法師の綱渡り、七変化からくり、地獄閻魔国めぐりなど、お馴染みの出し物である。
伊織はふいに足を止めた。
目の前に、歯の抜けたような空間があったからだ。
土間だけの暗い空間だったが、自分を呼んでいるような気配を感じたのだ。
筵がめくられた小屋の入口から薄暗い中をのぞくと、台の上に檻が三つ、仲良く土間に並んでいた。
真ん中の檻のすぐ下の木箱には、赤い着物を着た男が、腕を組んで座っている。
その背後に厚化粧の女が立ち、虚空を睨んでいた。
伊織の肩が、どすんと通行人にぶつかった。
その勢いで伊織は、二歩ばかりよろけて小屋の土間に踏み込んでしまった。
ぞろぞろ通る通行人たちは薄暗い空間を無視し、その先の境内に向かう。
小屋の中の男とその背後の女が、ぎょっとしたように伊織に顔をむけた。
「旦那、うちは見世物、やってませんですぜ」
男は小屋の主のようだった。
「ああ、これはこれは、お侍さんですか」
伊織が二本差しの侍であることを知ると、男はゆっくり腰をあげた。
「聞いてくださいよ旦那。ほんとうにもう。こんな馬鹿な話ってありやしませんですぜ」
男の着物は女物だった。
男は小屋の入口に立つ伊織に、訴えるかのごとく話しかけた。
「いま小屋はこんなふうになっちまってるけど、昨日までここは大勢のお客さんが押し寄せ、大繁盛してたんですぜ。蛇女、河童娘、ろくろっ首、のっぺら坊、牛男、一寸法師、馬面、犬女、豚男って、いい玉がずらりそろって、仲見世の路はうちのまえで蛇が卵を飲みこんだように膨らんでた。それなのにあっと言う間、このざまあになりやがった」
「腹が立つったらありゃしないんだよ。もう」
男のうしろの女が眉間に縦皺をよせ、甲高く訴えた。
白粉で顔が真っ白だ。こっちの着物は男物の紬(つむぎ)だった。
二本差しの侍に訴えればなんとかなるとでも考えているのか、男は一息ついてさらにつづけた。
「まだ、境内に人がでていねえ早朝だと思いねえ。そこに、あいつがひょっこり現れやがったのよ」
そう言って、土間に並ぶ手前の檻を、赤い着物の男は顎でしゃくった。
さっき男が座っていた真ん中の檻である。
よく見ると薄暗い檻の底に、坊主らしき一人の男が身を伏せていた。
「おい糞坊主」
男が赤い着物の裾を揺らし、片足でどんと土間を踏んだ。
坊主が小柄な体をゆっくり起こした。
汚れた黒い衣だった。歳がいっているのか若いのか、よく分からなかった。
「ほんとうにもう、聞いてよ」
白粉を塗った女が、声高に叫んだ。
その声が表にも飛びだし、通行人が立ち止まる。
「それで、あの坊主が言いやがったのよ」
小屋の主らしき男が、女の台詞を受け継ぎ、語りだした。
「あの坊主、乞食みたいな成りでふらっと小屋に入ってきたと思いねえ。そして、つかつかと檻のまえでやってきたかと思うと、ぴたりと足を止め、いきなり語りだしやがった。『蛇女、河童娘、のっぺら坊、ろくろっ首、牛男、一寸法師、馬面、犬女、疣蛙男、それにそっちの豚男。その者たちは蛇や河童や角のある動物や馬や豚や犬を苛(いじ)めた報いを受け、そのような姿になった。だが、お前たちは長きにわたって人前で辱めを受け、十分にその罪をつぐなった』
なんて言いだしやがった。そして懐から数珠をだし、なにやら呪文を唱え始めやがった。するとどうだ。今朝の食い物が悪かった訳でもねえのに、檻のなかの見世物たちの顔が急に青ざめ、頭をかかえて苦しがりだしやがった。なんだ、なんだ、どういうことだ、とおれは坊主に飛びかかって首ったまに掴みかかった。『もしかしたらお前、坊主の格好をした他の小屋の廻し者だろ。おれんとこにあんまり客が入るもんで、嫌がらせをしにやってきやがったな』って地面にねじ伏せてやった。
そうしたらあの坊主のやつ『拙僧はだれかに頼まれたものではない。お前はもうあの者たちで充分稼いだであろうから、ここらで自由にすべきである』なんて偉そうにぬかしやがった。『醜い姿を隠すように町の片隅で生きていたのをおれが拾ってやり、寝るところや食う物をやって面倒みてきたんじゃねえか。なにを言いいだしやがる』っておれは坊主の首をいっそう絞めつけてやった。だけど首を絞めつけられているのにあの坊主は、うーうー呻めきながら呪文を唱えつづけやがった」
こんな客寄せの口上とも思える口調が、通路にも飛びだした。
何人もの通行人が足を止め、入口をのぞいた。
「するとなんてことなのか、檻のなかの見世物たちが、見る見るただの男や女に変わっていきやがったじゃねえか」
男はここで、ぱんと手を打ち、赤い着物の片袖を腕までめくった。
超人坊主
1
《お年寄りが刀を杖に歩いてくるよ》
天井裏の格子窓からのぞいていたミケ猫が、背後のトラをふり返った。
老人は前かがみの姿勢で首を前に伸ばし、うんうんうんと呼吸にあわせ、参道をやってきた。
朝はまだ早い。
老人が杖にしているのは、黒鞘の太刀である。
一歩一歩あるくたび、かつんかつんと音をたてる。
そのたびに裾が割れ、萎びた脛が剝きだしになった。
老人は地蔵堂の前までくると背中をのばし、ほっと息をついた。
そうしてから、また前かがみの姿勢になり、お地蔵様を睨んだ。
「拙者はまだ二十五であるぞ。それなのに、朝起きたら年寄りになっていやがった。なんでだよ」
侍言葉と町人言葉が入り混じっている。
長年の浪人暮らしで、町の生活に馴染んでしまっているようだ。
侍であればもう一本、小刀がなければならなかった。
だが腰は空だった。
「どれ、どっこい……」
老人は杖にした刀を支えに、地面に座りこんだ。
ザンバラ髪が陽に透け、肩にもたせかけた黒鞘の刀が柔らかく光った。
《なんだ、こいつ》
《まだ、二十五? どう見たって七十過ぎに見えるよ》
牝のミケ猫と牡のトラ猫が、天井裏の格子窓にぐいと額を寄せる。
「あのな、拙者はほんとうに二十五なんだぞ。ふざけるでない」
老人はまた口にした。
ひどく怒っているようすだった。
しかし、着物から投げだされた二本の足は、枯れ木のように干からびていた。
「拙者には大事な仕事があんだ。急に年寄りなんかにされてたまるか。やいおまえ、おまえはお助け地蔵って言うのであろう。眠ってんだか笑ってんだか分かんない顔なんかしてないで、なんとかしろ」
一瞬、老人のからだが輝いた。
そのように思えた。
トラ猫とミケ猫は、赤茶毛をぶるっとふるわせた。
が、それは木立の隙間から射す朝陽が、勢いを増した瞬間であった。
「やい、なんでこうなったのかを、今から話すからなんとかしろ。とにかくは昨夜のあの浅草の糞坊主めだ」
2
老人は水野伊織と名乗った。
前日の夜、伊織は浅草寺(せんそうじ)の境内を歩いていた。
この時期、浅草寺は御開帳(ごかいちょう)で、大賑わいだった。
ありがたい御神体を、庶民一般におひろめしているのだ。
参道は篝火と提灯で飾られ、昼のようで、見世物小屋がずらりと並んでいた。
駒回し、一寸法師の綱渡り、七変化からくり、地獄閻魔国めぐりなど、お馴染みの出し物である。
伊織はふいに足を止めた。
目の前に、歯の抜けたような空間があったからだ。
土間だけの暗い空間だったが、自分を呼んでいるような気配を感じたのだ。
筵がめくられた小屋の入口から薄暗い中をのぞくと、台の上に檻が三つ、仲良く土間に並んでいた。
真ん中の檻のすぐ下の木箱には、赤い着物を着た男が、腕を組んで座っている。
その背後に厚化粧の女が立ち、虚空を睨んでいた。
伊織の肩が、どすんと通行人にぶつかった。
その勢いで伊織は、二歩ばかりよろけて小屋の土間に踏み込んでしまった。
ぞろぞろ通る通行人たちは薄暗い空間を無視し、その先の境内に向かう。
小屋の中の男とその背後の女が、ぎょっとしたように伊織に顔をむけた。
「旦那、うちは見世物、やってませんですぜ」
男は小屋の主のようだった。
「ああ、これはこれは、お侍さんですか」
伊織が二本差しの侍であることを知ると、男はゆっくり腰をあげた。
「聞いてくださいよ旦那。ほんとうにもう。こんな馬鹿な話ってありやしませんですぜ」
男の着物は女物だった。
男は小屋の入口に立つ伊織に、訴えるかのごとく話しかけた。
「いま小屋はこんなふうになっちまってるけど、昨日までここは大勢のお客さんが押し寄せ、大繁盛してたんですぜ。蛇女、河童娘、ろくろっ首、のっぺら坊、牛男、一寸法師、馬面、犬女、豚男って、いい玉がずらりそろって、仲見世の路はうちのまえで蛇が卵を飲みこんだように膨らんでた。それなのにあっと言う間、このざまあになりやがった」
「腹が立つったらありゃしないんだよ。もう」
男のうしろの女が眉間に縦皺をよせ、甲高く訴えた。
白粉で顔が真っ白だ。こっちの着物は男物の紬(つむぎ)だった。
二本差しの侍に訴えればなんとかなるとでも考えているのか、男は一息ついてさらにつづけた。
「まだ、境内に人がでていねえ早朝だと思いねえ。そこに、あいつがひょっこり現れやがったのよ」
そう言って、土間に並ぶ手前の檻を、赤い着物の男は顎でしゃくった。
さっき男が座っていた真ん中の檻である。
よく見ると薄暗い檻の底に、坊主らしき一人の男が身を伏せていた。
「おい糞坊主」
男が赤い着物の裾を揺らし、片足でどんと土間を踏んだ。
坊主が小柄な体をゆっくり起こした。
汚れた黒い衣だった。歳がいっているのか若いのか、よく分からなかった。
「ほんとうにもう、聞いてよ」
白粉を塗った女が、声高に叫んだ。
その声が表にも飛びだし、通行人が立ち止まる。
「それで、あの坊主が言いやがったのよ」
小屋の主らしき男が、女の台詞を受け継ぎ、語りだした。
「あの坊主、乞食みたいな成りでふらっと小屋に入ってきたと思いねえ。そして、つかつかと檻のまえでやってきたかと思うと、ぴたりと足を止め、いきなり語りだしやがった。『蛇女、河童娘、のっぺら坊、ろくろっ首、牛男、一寸法師、馬面、犬女、疣蛙男、それにそっちの豚男。その者たちは蛇や河童や角のある動物や馬や豚や犬を苛(いじ)めた報いを受け、そのような姿になった。だが、お前たちは長きにわたって人前で辱めを受け、十分にその罪をつぐなった』
なんて言いだしやがった。そして懐から数珠をだし、なにやら呪文を唱え始めやがった。するとどうだ。今朝の食い物が悪かった訳でもねえのに、檻のなかの見世物たちの顔が急に青ざめ、頭をかかえて苦しがりだしやがった。なんだ、なんだ、どういうことだ、とおれは坊主に飛びかかって首ったまに掴みかかった。『もしかしたらお前、坊主の格好をした他の小屋の廻し者だろ。おれんとこにあんまり客が入るもんで、嫌がらせをしにやってきやがったな』って地面にねじ伏せてやった。
そうしたらあの坊主のやつ『拙僧はだれかに頼まれたものではない。お前はもうあの者たちで充分稼いだであろうから、ここらで自由にすべきである』なんて偉そうにぬかしやがった。『醜い姿を隠すように町の片隅で生きていたのをおれが拾ってやり、寝るところや食う物をやって面倒みてきたんじゃねえか。なにを言いいだしやがる』っておれは坊主の首をいっそう絞めつけてやった。だけど首を絞めつけられているのにあの坊主は、うーうー呻めきながら呪文を唱えつづけやがった」
こんな客寄せの口上とも思える口調が、通路にも飛びだした。
何人もの通行人が足を止め、入口をのぞいた。
「するとなんてことなのか、檻のなかの見世物たちが、見る見るただの男や女に変わっていきやがったじゃねえか」
男はここで、ぱんと手を打ち、赤い着物の片袖を腕までめくった。
作品名:化け猫地蔵堂 3巻 3話 超人坊主 作家名:いつか京