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化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様

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《そうだね。そうすればこの桜藩の三千人の家来たちは助かるし、お助け猫としてのお役目もこれで果たしたことになるしね》
《よし、それでは、あの子の父親はじつは余でござると……》
 そう言おうとして大きく息を吸いこんだときだった。

 いままでの遠慮もどこへやら、畳を叩いて意見を述べる者までがでてきて、わあわあ~、とざわめくその声が、山の中腹の 庭にまであふれだした。
 そして、麓の田んぼや周囲の小高い丘からも、わあ~、わあ~、と声が谺しはじめたのである。

 7
 ご対面所に、白鉢巻の男が走りこんできた。
「との~う」
 その声は、対面所の広間の空間に鋭く分け入った。
「殿、一揆であります。一揆が起こりました」
 白鉢巻の男は代官の小森だった。

 一瞬静まりかえった大広間の空間に、わあ~、という遠くの声が木霊す。
「訴状を受け取ったので、鎮まったはずではないか」
 家老の高橋が、座敷の中央で首をのばした。
「検討する約束をしたではないか」
 側用人の蒲生も声をあげた。

「それが突然、あちこちに湧きおこったのです」
 縁側に立った代官の小森は、呆然自失のていだった。
 するとそれが合図でもあったかのようだった。
 わあ、わあ、わあ、わあ、と声が四方から湧き起こった。

「殿、天守閣のほうに」
 家老の高橋が殿様をうながした。
 庭から道が一本、左上手の楼閣のほうにつづいている。
 あっというま、雄叫びは、城全体をすっぽり包みこんでいた。

 殿様は息苦しさをこらえ、級坂を登った。
 あとに家来たちがつづく。
 入り口から武者走りに入る。
 座間からのぞくと、下を流れる川が見えた。

 橋には大勢の白鉢巻の桜藩の家来たちが詰めていた。
 さらに急階段を上がり、天守閣に辿りつく。
 十畳ほどの空間だった。
 周囲が廊下になり、欄干がついている。

「おおお……」
 家老の高橋や側用人の蒲生や城代家老の森田たちが、ふるえ声をあげた。
 小高い丘に囲まれた城と、その周辺の武家屋敷や町屋のむこう一面に、筵の旗がひらめいていた。

 三毛の殿様は天守閣の窓から、ぐるっと三方を見渡した。
 これは大変な事態になった、と本気で思った。
 背後の山以外、どこも筵の旗で埋めつくされている。
 わあ~あ~と声が天守の高楼に響く。

 代官の小森が天守閣に駆けあがってきた。
「殿が先ほど、田倉総五とやらによいお約束をしたらしいという噂が、あっというま、全国に広がったのです。田倉総五の自分の村を中心にした訴えであったので訴状を受け取ったが、それならわが村もと村長と主だった村人が駆けつけてきたのでございます」

「殿、ご注意申し上げたとおりです。ちょっと甘い言葉をかければこのとおりなのです。百姓は生かさぬように殺さぬようにと、殿の日頃のお考えを貫きとおすべきだったのです」
 小森の声を聞きながら、殿様のトラは、ブチはどこに行ったのかと周囲を見回した。
 急に気分が悪くなってきたのだ。
 死後のからだを利用しているので、肉体の限界なのかと心配になった。

「殿、かくなる上は二、三人とっ捕まえ、丘の上で火あぶりにでもいたしましょう。みんなおどろいてすぐ逃げ帰ります」
 代官の小森が提案する。
「うむ……」
 殿様が腕を組み、天守閣から眼下をうかがおうとしたとき、くにゃっと腰がくだけた。

 ついで頭を左右にゆらし、どすんと床に倒れこんだ。
 それは、トラ猫の意思外ののできごとだった。
「殿」
 周囲の重臣たちが、あわてて声をかけた。

 そして倒れたその瞬間、殿様が、げほっと、なにかを吐きだした。
 喉の奥から出てきたこげ茶の固まりが、床に転げだした。
 一口大のこげ茶の固まりは、ぶるん、と震えながら床の上で止まった。
「殿、今朝お召しの蒟蒻(こんにゃく)です。喉の奥にひっかかっていたんです」
「出てきましたよ。犯人はこいつだ」
「殿、もうだいじょうぶです」
「殿、殿」

 家老の高橋や側用人の蒲生、城代家老の森田たちが呼びかけた。
《もしかしたら肉体的な限界かな。もう殿様はやめて、トラに戻ったほうがいいかな》
 ブチがトラに声をかけた。
 探していたブチは、外の欄干の手すりの上にしゃがんでいた。

《ほら、みんながコンニャクの固まりに気を取られている今のうちだよ》
 殿様の丹前の裾がもぞりと動いて、肉体を借りていたトラが、すっと抜けだした。そしてブチの声のする天守閣の欄干の上に、すばやく飛びあがった。

「殿、せっかく生き返ったのに、また死なないでください」
「殿、世継ぎはまだ決まっておりませんですぞ」
「急に死んだりしたら困ります」
「書類に、世継ぎの名前と殿の花押を記してからでないと死なせません」
 みんなで必死に呼びかけた。

 だが殿様は、糸の緩んだ操り人形のごとく床の上で大の字になっている。
 両手を大きくひろげ、反応を見せない。
 城の外側で、わあ、わあと雄叫びが、しきりにあがる。
 一面がムシロ旗で埋まっていた。
 田倉総五の噂は、風よりも早くひろがっていたのだ。

 家老の高橋が、殿様の着物の襟元をゆるめた。
 床にころがっていた蒟蒻の塊が、かがんだ膝にぶつかり、ぶるんとふるえて横にはじかれた。
「殿、殿、お気をたしかに」
 頬をかるく叩いたが、殿様は二度と生きてやるものかとばかり、しっかり目を閉じ、唇をかき結んでいる。

 が、白かった頬や唇に、かすかな赤みがさしていた。
 と、仰向けの殿様が鯨の息継ぎのように、ひゅっと息をもらした。
 さらにからだをふるわせ、ふふふと小刻みに息を吸いこんだ。
 殿様の手と足が、もぞっと動いた。

 のぞきこんでいた家臣たちが、わあっとのけ反った。
 殿様が、ひょいと首をあげたのだ。
はあはあ、と肩で息をつき、あたりを見回す。
 両肘でからだを支え、そろりと上半身をおこす。

「ここはどこだ──」
 殿様が不思議そうに目をしばたたく。
「みんな、なにをしておる」
 ぐるっと一堂を見まわした。
「高橋、その腰の抜けたようなざまはなんだ」
 家老の高橋は、中腰の姿勢でぎゅっと目をつぶり、そしてまた見開いた。

「余はなにをしておる。たしか江戸で将軍に謁見して……上屋敷を駕籠で出発して……すこしいったところで気分が悪くなり、急に……そうだ。胸苦しくなり、頭がぼっとなったのだった……それで、今はなにをしておるのか?」
 殿様は両足を床に投げだした恰好で、あたりに目をやる。

《殿様、完全に目覚めたみたいだけど》
《ほんとかよ》
 さっきまでは、本当に死んでいた。
 だから三毛は、桜藩を助けるつもりで桜藩の殿様を演じていたのだ。

 天守閣の欄干の上のトラ猫とブチ猫が、あれ? とばかりに並んで殿様を見守る。
 楼閣の外、天守の回廊に大勢の人々の叫び声が聞こえている。
 殿様は首をのばし、城下の騒音に耳をかたむける。
「あの騒ぎはなんだ」
 床に両手をつき、起きあがろうとした。

 家老の高橋も家来たちも手を貸すことを忘れ、片膝を立てる殿様を呆然と見守った。
 殿様は、よろけかかりながら自力で起き上がる。
 ゆらり、と揺れるからだを両足を踏ん張ってこらえる。