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化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様

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「あれは一揆でございますが……あのう、なにも覚えていらっしゃらな……」
 高橋が唾をのむ。

 殿様が天守閣の回廊に歩みよった。
 わあ~わあ~と桜藩の三層の天守をめがけ、懸命の雄叫びがこだます。
「だから、なんだこれは」
 殿様が家来たちをふりかえった。
「一揆でございますが」
 家老の高橋が応える。

「一揆……一揆だと?」
 目を覚ましたばかりの殿様の目玉が、くりっと動いた。
「いろいろ不満があるそうで」
「不満だと?」
 殿様はまた回廊から外をながめた。

「不満があるのは農民だけではない」
 殿様は片足で、どんと床を踏み鳴らした。
「こんなになるまで、お前たちはなにをしておった」
「はい……なにも覚えていらっしゃらないのでございましょうか」
「なにをだ」
「さいぜんまでの件ですが」

 家老の高橋は、まだ信じられないと目をぱちぱちさせている。
「実は、殿はお命が一日だけだということでありましたので、みなでお世継ぎを決めようとしておりました。殿にはお子がありませぬゆえ、お家の一大事といろいろ……」
 殿様は、ぎょろりと目を剥いた。
 その仕草は生命力にあふれていた。
 もしや、本当に生き返ったのではないかと、だれしもが思った。

《でもまた逝っちゃうよ。いままでからだは死んでいたんだから。いまのうち支えて助けてやった方がいいよ》
《よし、じゃあまた殿様になるぞ》
《がんばれ》
 トラが欄干から飛び降りた。

「余の命が一日だけだと? それに余に子供がいないだと? いや、そのようなことよりこの一揆だ。高橋、どう手を打った」
「話し合いを行う予定でございます」
「話し合いか……」
 殿様は奥歯をかみしめ、腕を組んだ。
 それは元気なときの殿様の仕草そのものであった。

「一揆など起こされていろいろ要求されても、わが藩に譲れるものはもうなにもなかったはずだ。こっちが一揆を起こしたいくらいだからな。もし連中が言うことをきかなければ、勝手にさわがせておけばいい。どうせあれ以上連中は攻めてこん。代官の小森、郡奉行の佐々木、すぐに間諜を放て」
 代官と群奉行に告げる。

「いいか、こういう話をばらまけ。『話し合いにはいくらでも応じるが、桜藩にはもう譲歩するものはなにもなにない。桜藩はほんとうに貧乏で、これ以上貧しくなろうにもなれない。だからこれからは藩の侍もみんなと一緒に沼地を開墾し、田畑を耕すつもりである。

ただし開拓を終えたら、桜藩の田んぼは四割がた面積が増える。畑の作物も効率のよい作物を研究中であり、五年後には他藩には見られない豊かな藩になっているであろう。いまは我慢のときだ。みんなで一緒にやってくれ』とな。いいな」

 殿様は二人に命じ、目覚めをよりはっきりさせるかのごとく、ぱんぱんと左右の頬を手の平で叩いた。
なんだか張り切っている。
 獲物をまえにした猫のように、かっと目玉が見開かれている。

「いけ」
 殿様が命じた。
 代官の小森と群奉行の佐々木の二人が床板を踏み鳴らし、天守閣の階段をおりていった。
 すっかりもとにもどったようすの殿様の声が、回廊に囲まれた天守閣の四角い空間に響いた。


 殿様は、天守閣で一揆を見守っていた。
「もし、外堀を突破してきたら容赦するな」
 家老の高橋に命じる。
 内堀の塀の陰には、槍や鉄砲をもった兵隊たちが、いざというときのために待機していた。
 ことが起きれば、一揆を一挙に潰す覚悟である。

 高橋も額に汗をにじませ、一揆の成り行きを見守っている。
喚声が、静まりだした。
「殿、なんだか、潮が引くようなようすです」
「そうだろう。百姓たちはいままでこっちの事情など知らなかったからな」

 沼地の開拓を命じたのは殿様だった。
 重臣たちは、百姓たちの労働に負担がかかりすぎると反対した。
 侍たちが一汁一菜であることや、殿様が半身の魚のおかずであることなどは、支配者の矜持に関わる極秘事項であった。

 そこへ、家臣の一人が家老に近づき、そっと耳打ちをした。
 家臣が去ると、家老の高橋が殿様に告げた。
「殿、横山町のお春の件でございますが」
「なんだ。こんなときに」
「一応、確かめておきませぬと」

「やや子の件だな」
「さようで。まことに殿の子であるかと」
「まことの男の子だ。お春にはいざというときのために書類も渡してある」
 殿様はあっさり肯定した。

「夜遊びは、ならぬと申すのか」
「いいえ。そのようなことは。このたびは、まことに結構なかぎりでございます。これで、私ども一堂、ほっといたしましてございます。今後ともぜひ夜遊びを」
 高橋は、額の汗を掌でぐっと拭った。

 と、わあわあと声をあげていた一揆が、にわかに静まった。
 殿様の間諜たちが放った現実的な話が、みるみるひろまっていったようだ。
 さらに、『そうだったのか』とばかりに、筵の旗が、そくさくとおろされた。
 そして城に後姿をむけ、人影が散りはじめた。

 太陽が西に傾きはじめたころだった。
「やった」
 殿様は、小さくつぶやいた。
「一人も罰するではないぞ……」
 そういったとき殿様は、ぐらりと影をゆらし、床に膝をついた。

 そして、そのまま前のめりに手をつき、ずるりと上半身を床にのばした。
「殿、いかがなされましたか」
 家老の高橋が、うつ伏せの殿様の背中に手をかけた。
 そのとき、伸ばした下半身の袴の裾から、焦げ茶の影がさっと抜け出した。
「まさか、またお亡くなりになったり……」

 家老の高橋は殿様のからだを仰向けにもどし、着物の胸をひらいた。
 殿様の顔がにわかに青ざめていた。
 それに、ずしりとからだが重かった。
「さっき、ほんとうに生き返っていたではありませんか」
 殿、殿、とほかの家臣たちも床に膝をつき、呼びかけた。

「殿、殿」
 家老の高橋は額に青筋をたて、呼びかけた。
「医者を呼んでこい」
 高橋が殿様を床にもどし、命じた。
 殿様は、固く口を閉じていた。
 すでに生命力を使い果たした生き物でもあるかのように唇が乾き、肌がかさかさになっていた。

 すぐ下の階で待機していた桜藩の御殿医の準天は、殿様のからだに触れただけで、首をふった。
「殿は、お亡くなりになってずいぶん時間がたっているような気がいたします」
「お目をお覚ましください」
「殿、殿」
 家臣たちはみんなで声をかけた。

「殿、いたずらに何度も、死んだり生きたりするものではありません」
「準天殿、延命用の万金丹とやらはお持ちではないか?」
 家老の高橋が御殿医の準天にたずねた。
「なんでしょう、それは?」
「延命用の万金丹だ」
「そのようなものはございません」
「殿……殿」

 忙しい日であったが、殿様は見事に自分の役割をはたし、一日を終えた。

《二度目に化けたあと、ずいぶんうまく事が運んだよね》
《あのな。おれもなんだか変な気がしてな。おれじゃないだれかがおれに言わせたような気がするんだよ。あのとき、殿様、ほんとうに生き返ってたんだよ》
《じゃあ、最後のあの一時は、殿様とトラが一緒になって動いてたってことなの?》
《そんな感じだったかなあ。はっきりしないんだよな》