小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様

INDEX|4ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 さらに横から耳打ちしたのは、桜藩の財政の責任者である側用人の蒲生だった。
「殿、甘い約束など、してはなりませぬ。我が藩には使役を免除し、税を安くする余裕はございません。殿だって、よくご存じではありませぬか」
 財政事情をよく知った蒲生は、殿様が一回死んで記憶を失ったということを忘れ、怖い顔で進言した。

「我が藩は、そんなに貧乏なのか」
 殿様が訊き返した。
「はい、大変に貧乏です」
 側用人の蒲生は自信ありげに答えた。

「どのくらい貧乏なのだ」
「家来たちは昼飯ぬきで、歩きつづけております。江戸では三食を食べ、外観もしゃんとしておりますが、領地内には別の決まりがございます。殿がつくったお決まりでございますが」
 側用人の蒲生は、むっと唇をひん曲げた。
《一揆のみなさんにも訊いてみたら》

 すかさずブチが、殿様に声をかける。
 そうだなと頷き、殿様は、伏せて道を塞ぐ一揆の中心の男にまた声をかけた。
「田倉総五とやら、昼はなにを食したか」
「昼飯などとんでもありません。昼飯どころか、もう二日も食っておりません。それに使役を終えたあと、自分の畑や田んぼで働くので、空腹と疲労でもうふらふらでございます」
 からだを起こした田倉総五は、訴状を手にし、泣きそうな声で首をふった。
 頬がそげ、乱れた髪が左右にゆれる。

 側についた家老の高橋が、殿様に耳打ちする。
「事情が込み入っておりまする。お考え下さい。このたび殿が生き返った目的は世継ぎを決めるためです。あとはわれわれにお任せください」
《うん、そうだよ。こんなところでぐずぐずしていたら、このからだ持たないよ》
 ブチも時間が気になっている。

「田倉総五とやら、訴状を財政担当の蒲生が受け取るであろう。沙汰は追って告げる。ただちに道をあけよ」
殿様がおごそかに命じた。

4 
 領地内に一揆が起こるなどと、殿様は夢にもおもわなかった。
《だけど、お百姓も桜藩のお侍もろくに食ってないなんて知らなかったよ》
《ということは、桜藩の侍もお百姓も貧乏人てことじゃないか》
《でもわたしたちは、世継問題のために一日殿様になったんだから、このさい、よけいなことは考えないようにしましょう》

 現実に無理矢理目をつぶり、一行は、土下座をする五百名ほどの農民たちを尻目に街道を急いだ。
《町があるよ》
《宿場をとおりすぎるよ》
《田んぼがひろがってるよ》

《川をこえて、また町をとおりすぎるよ》
「殿、だいぶ猫と話がはずんでいるようですが」
 自分が乗った駕籠から下りた家老が、横を一緒に走りながら中をのぞく。
「猫めが、桜藩が美しいと、ごろごろ喉をならして景色をほめてくれるのでのう」

「それはそれは結構な猫めでございます。で、殿のお体の調子はいかがでしょうか?」
「すこぶる良いぞよ。高橋、海が見えるぞ」
 反対側の左手、田んぼのむこうにひろがる水面に、何艘もの 帆かけ舟が浮いていた。
「あれは海ではござりません。印旛沼でございます」
 広大なその沼の干拓のため、農民たちが藩から動員を課せられ、苦労しているのだ。

「あっちの高台に白いものが見えるが、あれはなんだ」 
 右手の丘の木立のなかに、何層かの屋根を重ねた白壁の建物があった。
「殿、あれがわが藩、桜城でございます。殿のお住まいではござりませんか。まさかお忘れとは」
 横に沿って走りながら、家老の高橋はさすがに悲しそうな顔をした。

「もちろん忘れてはおらん。万金丹とやらの効き目が強すぎ、混乱しておるだけだ」
 こんどは前方から、馬の歪めや人の足音が聞こえてきた。
「殿、代官の小森にございまする」
 殿様は、代官の小森などといわれてもだれだかわからない。
「一揆の報告を聞き、早速お役目で出動してまいりました。駕籠を止めろ」
 家老が命じた。

 右手前方から土煙をあげてやってきた一行も、ぴたりと止まった。
 馬に乗り、陣笠をかぶった代官らしき男が先頭だった。
 総勢は二百人くらいか。
 全員が白鉢巻に白襷だ。手には槍をもっている。

 一行の先頭の男が馬をおり、殿様の籠の横にきて地面に片膝をついた。
 代官の小森だった。
「お役目ご苦労である。しかし百姓たちの訴状はすでに受け取ったであるぞ」
 籠の横に立った家老の高橋が小森を見下ろして告げる。

「出動は無用でございましたでしょうか?」
 小森が、下から家老をうかがった。
《訴状受け取ったんだから、捕まえて締め上げたりしないでよ》
 ブチ猫が念のため、殿様のトラ猫に告げ口する。
「百姓たちはそれぞれの畑を耕し、昼食も抜きで答えをまっている。なにもしてはならない」

 武骨派らしき代官の小森は、太い眉をぎゅうとねじりあげる。
「お言葉でございますが殿、このまま放っておきますとつけあがります。一揆のばあいの首謀者は、お定めどおり、磔ということで処置をいたさなければなりません。殿の日頃からの御意思ではありませぬか」
 過激な殿様のようだった。

「いや、今回は見逃す」
「しかし殿は普段より、生かさぬように殺さぬようにと」
「であるから、今回は殺さぬようにいたすのだ」
代官の小森の横で、家老の高橋が難しい顔をしている。
「代官、殿が申すように訴状はすでに受け取った。城に帰って吟味いたすので、今回は殿が申すように出動は控えるように」

 家老の高橋が懐の訴状を、ちらりとだして見せる。
「とにかく今回は、一揆とは別に緊急に解決せねばならぬ問題があるので、すぐ出発する」
 家老の高橋も厳しい顔で告げる。
 一揆が起ころうが、嵐がこようが、世継ぎを決めなければ御家は御取り潰しになってしまうのだ。

5 
 橋を渡ると町になった。
《城下だよ。落ちついたきれいな町みたいだね》
 ブチはトラの殿様の膝から背伸びをし、さっきから窓の外の 景気に見とれていた。
 道をはさみ、右手に武家屋敷、左手に町屋がひろがっている。
 武家屋敷の土塀も町屋の板壁も黒塗りで、屋根瓦も黒い。

 どっしりと威厳を漂わせながらも、もの静かな空気が城下に流れている。
《お出迎えらしい大勢の人が、あっちの道沿いに立っているよ》
 町屋の人々が、軒下に立って頭をさげていた。
 男女を問わず、大人も子供も地味で、さっぱりした服装だ。

 町屋と武家屋敷の間の道をすこしいくと、大きな門があらわれた。
 門前の道の左右には、さらに大勢の人々が人垣をつくっていた。
 殿様の駕籠がちかづくと波がくだけるように、順繰りに人々が頭をさげた。

「おとのさまあ」
 女性の声がした。
 まだ二十をすこし過ぎたばかりだろうか。
 紺の絣の着物に、赤い鼻緒の下駄をはいている。
 頬の白さが目だった。

「おとのさまあ」
 駕籠にむかい、また声をあげた。
 女性は胸に小さな赤児を抱えていた。
 駕籠がとおりすぎようとした瞬間、その女性が、腕に抱いた 赤児を空中高く投げ上げた。
 赤児が宙に浮かび、はたはたと手足をもがいた。

 宙を泳ぐ赤児を支えるように伸ばした白い両腕。
 手先の五本の指がぱっとひらいた。
 女性は落ちてきた赤児を、腕と胸でしっかり受けとめた。