化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様
《でもこの籠、かなり揺れるよ》
《早籠だからな》
死んだはずの殿様が生き返って、驚き、慌てている感じもする。
窓の外の街道の景色が、どんどんながれていく。
かなりの速さだ。
《大川だよ(隅田川)》
一行は大川を越え、千住にでた。成田街道である。
さらに街道を新宿、市川、八幡、船橋へとむかう。
船橋までくると、駕籠のなかに潮の香りがあふれた。
「殿、ご気分はいかがでございましょうか」
小休止のとき、自分の駕籠を下りた家老の高橋が、小窓から話しかけてくる。
「わしも猫も元気であるぞ」
「すでに城のほうに早馬をだしましたので、伝令が城に着けば、城代家老の森田の迎えがあるかとおもいます」
報告しながら殿様を観察する。
一日だけの約束で生き返った殿様のようすが、気になるのだ。
窓の外に、木立に囲まれた村々の景色がひろがりだす。
太陽が一面にふりそそぎ、明るい。
「大和田に入りました」
外からまた、家老の高橋が声をかけてきた。
「大和田とはどういうところだ」
「ここより、我が桜藩の領地でござりまする」
高橋が、あたりをぐるっと手で示した。
田んぼも畑も、豊かに緑色でひろがっている。
《さっするところ桜藩の民は、安泰に暮らしているようだよ》
《安泰といっても、ほとんどの大名の御台所は火の車だって聞いたけどな》
《どこの藩も、収入よりも支出のほうが多いとかで、侍稼業も楽じゃないんだね》
トラ猫ブチ猫が話し合っていると、いままで順調に進んでいた四十名ほどの行列が、ばたばたと足を鳴らし、急に止まった。
「殿、なにやら訴状をもった百姓たちのようでございます」
家老が、駕籠の小窓から告げてきた。
さらに駕籠をのぞく家老の背後から、家来の呼び声が聞こえてくる。
「ご報告申しあげます。田倉総五と称する者を総代とした農民一派総勢二百名ほどが、街道を塞いでおります。殿に会わせろ、とのことでございます。会わないうちは、通さぬなどと申しております。なにやら一揆の気配でございます」
「一揆だとお?」
家老の高橋の声が、跳ね上がった。
「とにかく殿に直訴をしたいとのことで、街道をふさいでおります。いまのところ、乱暴を働く気配はないようです」
声は落ち着いているようでも、かすかにふるえていた。
《一揆だすって?》
ブチ猫がおどろいて背をのばし、籠の小窓から外をのぞこうとした。
《ほんとうに一揆かよ?》
いざとなれば、竹槍の農民と支配者の侍との戦いになる。
国の主に要求を突きつけようというのであるから、ことが治まっても首謀者は許されない。
磔である。だから農民たちは命をかけてやる。
《いったい。なんだって言うんだろうね》
「百姓たちは一揆をおこすほど困っているっていうのか?」
ブチ猫の頭をなでながら、殿様があらためて家老の高橋に訊ねた。
「わかりませぬ。桜藩にいるかぎり、生活はやっていけるはずです」
《直接会って聞いてみたほうがいいよ》
「余は一回死に、以前の事柄はみんな忘れたが、直接会って話をきこうぞ。駕籠をおろせ」
トラはブチの意見を聞きながら命じる。
駕籠がおろされ、片側の戸が開けられた。
青い稲や道端の青草の匂いが、籠の中にあふれた。
置かれた草履に足をのせ、殿様が地面に立った。
その足もとに、猫もすとんと降り立つ。
左右は広い田んぼだ。
田んぼのなかの土色の一本道である。
その五十メートルほど先に、一固まりの賑やかな集団がいた。
めいめいが頬被りをしたり笠を被ったり、手には筵旗や竹槍 や鍬や鋤などをもっている。
みんな、怒った真剣な顔つきだった。
「高橋、ふだん余は、百姓たちをどう扱っていた」
「生かさぬように殺さぬようにと」
「どういう意味だ」
「甘やかしてもいけないし、過酷すぎてもいけないということです」
「それで、わが藩の百姓たちの生活はどうなんだ」
「苦しかろうとも、まあまあだと」
よしと殿様が、待ち受けている集団にむかい、歩きだした。
背後に、家老の高橋と側用人の蒲生ほか、数名の侍がついた。
最後にブチ猫がそろそろとつく。
百姓たちは小山のように群がり、街道をふさいでいた。
群がりの真ん中で、代表らしき髭だらけの男が『上様』と記した訴状らしきものを頭上に掲げている。
殿様の姿に全員が被り物のぼろ切れを取り、崩れるように地面に膝をついた。
「どうしたというのだ」
殿様が正面の髭の男に訊いた。
男がすわったまま姿勢を正した。
不精髭が頬にはみ出し、目の下には隈ができていた。
「訴状があるそうだが、まず、簡素に理由を述べてみよ。ことによっては、考えぬでもない」
ははあ、と男が頭のてっぺんを見せ、深くおじぎをした。
わきの地面に、武器らしき竹棒や鍬などを置いている。
背後の全員もならって頭をさげた。
「田倉総五と申すのであるな。この場で一揆の理由を口上するがよい」
「ははあ。ありがたきお計らい。感謝申します。でもまず申し上げますが、これは一揆ではござりませぬ。あくまでも訴えを訊いてもらうための集まりでございます。殿様のお帰りをお待ちしておりました」
「それにしては鍬や竹棒などをもって、用意周到ではないか」
「集まりが終わりましたら、すぐに畑にでるつもりでございます。農具はわたしたちの必需品でございます」
顔を伏せたまま答える。
いつのまにかブチ猫が殿様の足元にきてちょこんと座っている。
《はやく用件を聞きなさいよ》
よそ目には、猫がにゃあと鳴いただけに見える。
田倉総悟が、なんでここに猫が、とばかりに妙な顔をする。
だが、殿様は無視しする。
「ではさっそく訊こう。用件はなんであるのか」
「年貢の件でございます。あまりにも高くて、暮らしていけないのです」
「しかし、村々は豊かそうではないか。太陽も照っているし、平和そのものだ」
「そう見えても、人々の暮らしとは関係ありません。昔の年貢は五公五民で半々であったのに、今は七公三民、三割がわしらです。それに沼地の開拓やら道の補修やら、石垣の補充やら、日々さまざまな諸役があります。とくに沼地や湿地の開拓に熱心なのはよろしいのですが、使役が十日に三日では満足に自分の田畑も耕せません。なにとぞ、なにとぞ、使役をせめて十日に二日、年貢をせめて六対四にしていただけないかと、お恐れおおくもお願いにあがる次第でございまます。へへ……」
一同、地面にいっそう深くひれ伏した。
《使役が厳しく、税金が高いんだ。首謀者は磔が覚悟というのに、よほど切羽詰まっているってことだよ。いいから良い返事をしちゃいなさい》
牝のブチがトラを急かした。
「ふむ、そのような事情であれば、かわいそうだから、なんとかするであろう。高橋、この男から訴状とやらを受けとれい」
はあ、と側に張りついていた家老は、おでこを光らせてうなずく。
だが、殿、と一言小さく口にする。
「殿は、わたしめではなく、いつから猫と相談するようになられたんでしょう。それに、一国を預かる責任者が、かわいそうだから、なんて言い方をしてはなりません」
「それから殿……」
作品名:化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様 作家名:いつか京