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化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様

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 鼻の丸い男が、家老の背後から話しかけた。
 家老は高橋という名前だった。
「この度の件、側用人である拙者、蒲生めの不測の至りにございまする。からだがすぐれない、こみあげるように気分が悪い、という殿を無理にご出仕させたのがいけなかったのです」

 側用人は、殿様のすぐ下で政治、経済をはじめとし、日常の様々な問題に対処して、意見を具申する重臣である。
「たしかに朝食後、殿は屋敷でも、吐き気がすると申しておった。将軍に謁見のさいにも顔色がすぐれなかった」

 家老がつづける。
『いらいらするので松の廊下あたりで刀を抜き、だれかを傷つけるかもしれぬ、だからすぐにでも国もとに帰りたい、などと言うので、わがままをおっしゃるものではありません、ときつく叱り、無理に将軍様に謁見させた。ほんとうに気分がすぐれないのならば、そうとおっしゃればよかったのに。殿、殿お一人の身ではありませんのですぞ。お亡くなりになるのでしたら、せめて世継ぎを決め、書類に花押をお印しになってからにしてくださればよかったのに、殿」

 家老の高橋は、泣きだしそうに殿様に語りかけた。
 どうやら桜藩の若い殿様は、江戸のお城で将軍に謁見し、国もとに帰る途中のようであった。
「かくなる上は拙者、ここで腹を切って責任をとらせていただきます。ですから、どうかせめて一日だけでも生き返ってくだされ、命をかけての願いでござる」

 家老の高橋は、地蔵堂の庭に膝をおろし、腰の刀を鞘ごと抜いた。
「ならば拙者もお供つかまつる。たった一日だけでいいんです。どうしてでも生き返っていただかないと、困るのです」
 側用人の蒲生も顎をぐっと噛みしめ、家老の背後で膝をついた。

 すると、ほかの家臣たちも、拙者もお供いたす、拙者も、拙者も、とあちこちで鞘ごと腰の刀を抜き、脇に置いた。
 と、そこに一人の侍が駆け込んできた。
 うしろに白っぽい衣をつけた婆さんを連れている。
 婆さんは家臣に手を引かれ、いまにものめりそうに足をもつれさせていた。

「この占い師のババアが、一日だけならなんとかすると申しておるぞ」
 地蔵堂の庭で、いまにもと覚悟を決めていた面々は、腹をだしたまま、え?と顔をあげた。
 占い師の婆はそんなみなさんの視線を無視し、腰をかがめ、 敷物の上の若い殿様をのぞいた。

「この若さの男なら、わしがもっている万金丹を服用すれば、一日だけ生き返れるじゃろ。どうだ、やってみるか」
 家老の高橋と側用人の蒲生は出した腹を撫で、汚れた白い衣のババアを見守った。
「どうじゃ。やるか、やらぬか」
 ババアが腹を抱えている二人を見下ろし、また訊いた。

 二人は、はたと顔を見合わせた。そして抜き身の脇差を手に、声をそろえた。
「やります。やります」
「ただし、ほんとうにたった一日だけじゃぞう」

「いかほどでござるか?」
「そんなものは要らぬ。困った人を助けるのがわしの仕事じゃい」
 ババアは唇を引き結び、うんとうなずく。
「ではここにいる全員、目を閉じ、手をあわせて祈祷してくだされい」

2 
「あっ」
 家老の高橋と側用人の蒲生が、ならんでうしろにひっくりかえった。
 二本の抜き身の脇差しがきらりと光り、宙で一回転した。
 そのわき差しが、腹をだし、仰向けに倒れた高橋と蒲生の頭のてっぺんすれすれの地面に刺さった。

 二人はごろんとからだをかえすと、そろって両手をついて顔をあげた。
 殿様が、すっくと立っていた。
 その傍らには、ブチ猫が一匹たたずんでいる。
 殿様は細く目を開け、上半身をかすかに揺らしている。
 いかにも、いま生き返ったばかりのからだを、定まらぬ足腰でけんめいに支えているというようすだった。

「と、との……」
 家老の高橋が、手足を地面につけたままの姿勢で首をのばす。
 が、目を瞬かせるばかりで次のことばがでない。
「ね、ね、猫がおりまする」
 苦し紛れに口走る。

「この迷い猫は、本日よりわが友でござる」
 殿様が、愛おしそうにブチ猫を抱えあげた。
 殿が生き返った、生き返ったぞ、と家臣たちが口々に叫ぶ。
 午前の庭の木漏れ日が風に揺れ、いっしょにざわついた。

 殿様はブチ猫を右手に抱え、片方の手をあげた。
 握った拳骨に一本、人指し指が立っている。
「約束どおり一日だけだ。わしは今日一日だけしか生きられん」

「殿、聞いておられたのですか」
「死んでも、声は聞こえておった」
「殿、その猫はなんでしょう。いつから猫が好きになられましたか」
「前から好きだったが、口にしなかった。いまは、気が付いたらここにいたから可愛がることにした。猫の話はいいから、みんな早く腹をしまえ」
 殿様が命じた。

 言われた家老と側目用人が、あわてて着物を着なおした。
「皆の者、拙者は生き返ったぞ。しかし、一日しかもたぬ。その一日で、やることがあったな……高橋、世継ぎを決めなければならぬのだな」
 家老の高橋はまだぼんやりし、半分口を開けたままだった。

「高橋、しっかりしろ」
 家老も側用人も、焦点の定まらぬ目をけんめいに見開き、起こった現実を考えようとしていた。
「みなの者、余は生き返った。ただし、世継ぎを決めてからまた死ぬことにする。それゆえわが藩は……家老の高橋、わが藩はなんというのだ?」
 家老の高橋が広い額を光らせ、殿様を見かえす。

「桜藩ですが?」
「その桜藩……高橋、桜藩は何万石であったか?」
「十七万石です」
「十七万石の桜藩の……高橋、直属の家臣は何人おる?」
「二千余名ほどです」
「桜藩、十七万石、二千余名の家臣は、永遠に安泰にするように致すので、取り乱すでないぞ。ところで桜藩はどこにある」

「房州にございます。このお江戸から急いで半日の距離です……殿、いちいちお忘れでございましょうか?」
「なにしろ一度死んだのだからな。とにかく、世継ぎを決めるんだったな? それではさっそく決めようぞ。余に子供は何人おるか?」
「お子はおりません」

 二人の重臣が顔を見合わせた。
「いなければ、世継ぎは決められぬではないか」
「はい、決められません」
「ではどうする」
「養子をもらいます」

「心あたりはあるのか」
「心あたりがあったとしても、そう簡単には決められません。たとえば拙者にも伜がおりますが」
「賢いか?」
「はい。いちおう賢いほうです」
「よし、決めた。そちの子にしよう」
「殿、賢さならば町奉行の伜、友之進殿が藩一番でございましょう」

 家老の高橋がそう提案しながら、さらにつづける。
「だが、賢さだけで殿の世継ぎを決めるのも、なにかと問題がありましょう。世継ぎの基準にも、いろいろ意見があろうかと思われます。ですからこのさい、国に帰り、城代格や奥方様や各奉行などともじっくり相談をすべきでしょう。殿も先代がお亡くなりになったとき、合議で選ばれ、養子縁組で決まったではありませぬか。同じように一同面々のご意見をお伺いたし、合議の採決をいたさねばなりませぬ。即、国もとに帰りましょう」


 殿様と猫を乗せ、駕籠が動きだした。
《房州、桜藩だそうだそうよ》
《跡継ぎの殿様を養子縁組で決めるのだそうだが、もめなければいいんだけどな》