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化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様

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化け猫地蔵堂 3巻 2話 一日殿様


一 日 殿 様 


1 
 足音が響いた。
 なんと、狭い庭に徒(かち)に担がれた黒塗りの大名駕籠が運びこまれたのだ。
 地蔵堂の小さな庭は、たちまち人であふれた。
 侍の集団だった。

《なんだ、なんだ》
《なにごとだっていうのよ》
 天井裏のトラ猫とブチ猫は、格子窓の下の騒ぎにおどろいた。
 突然の人出である。

「殿、殿、お気をたしかに」
 額の禿あがった初老の男が中腰で駕籠をのぞき、声をあげた。
 地蔵堂の椎の木の下に置かれた駕籠を、侍たちが取り囲む。
「医者はどうした。はやくしろ」
 初老の男が、地蔵堂の出入口のほうをふりかえる。

「つかいの者を町中(まちなか)に走らせております。もう少々お待ちください」
 参道の入口のほうから家来が答えた。
 駕籠の横に敷物が敷かれると、侍たちが駕籠の扉を開け、なかから殿様を抱えだした。

 敷物の上に寝かされた殿様は、まだ二十歳半ばほどの若さに見えた。
 からだは細身で、眉間に縦皺を刻み、無念そうに唇をゆがめている。
「殿、殿」
 初老の男が額につぶつぶつの汗を浮かべ、けんめいに呼びかける。

 と、地蔵堂の入口のほうで声がした。
「どういうことでしょう。わたしは、いま急の病の患者のところへ診察にいくところです。通りを歩いているところをいきなり両脇をかかえて……ここはお助け地蔵堂ではないですか。わたしにこれといった願いごとはありません」

 そこは、願いごとが叶えられるといわれている『お助け猫地蔵』だった。
 人々は、困ったことや願いごとがあると、この地蔵堂にお参りくる。
 地蔵堂に祀られている地蔵様はかなり古く、その顔かたちは猫が笑ったようにも見えたので、お助け猫地蔵、とも呼ぶ者もいた。
 その地蔵堂の天井裏には、二匹の猫が住んでいた。
 牡のトラ猫と牝のブチ猫である。

「ご家老、お医者様をお連れもうしました。わが殿の急の病、お家の一大事、早速に診察を願いたい」
 往診の途中で攫われてきた医者は、まだ呆然としてあたりを見回している。
 そんな医者の戸惑いを無視し、初老の男は続ける。
「お急ぎのところを、わざわざご苦労さまです。江戸城をでて駿河台下までくると、殿が急に苦しみだしましてのう」

 家老が説明するまでもなかった。
 医者は職業的な反応なのか、敷物の上に仰向けになった若い殿様を目の前にすると、反射的に膝をつき、患者の脈をとっていた。
 ついで、素早く殿様の襟を左右にひろげ、上半身を折り畳むように伏せ、裸の胸に耳をつけた。
 そして、閉じた殿様の瞼を親指と人指し指でひろげてみる。

 医者は真面目顔で二度、三度とまばたき、つるつる頭の丸顔であたりを見まわした。
 家老を中心に、二十名ちかくの侍たちが肩をならべている。
「これはもう、だめですな」
 医者は、ぽつりとつぶやいた。
「お亡くなりになっております」

《死んでるだってさ》 
 窓の下の騒ぎを見守っていたブチ猫が、大きな緑色の目を見開く。
《参勤交代の途中で死んだってか》
 横にならんで事態を観察していたトラ猫もおどろいた。
 表の通りから急遽、横道に入って地蔵堂に運びこまれたものらしい。

 トラ猫とブチは窓の縁に手をかけ、格子に額を押し付けるようにならんで庭を見守った。
「亡くなっただって?」
 一瞬、その一言に、騒然とした地蔵堂の庭に、 しーんと空気が響き渡ったようだった。
 中腰の姿勢のまま、家老は呆然と空(くう)に目を据えている。

「脈も息もございません。心臓も止まっております」
 動揺もみせず、医者は事実を告げる。
「……殿は、さっきまで元気でござった」
 家老は、ぽつりとつぶやく。

「いくら元気でも、亡くなるときはこのようなものでございます」
 医者は、きれいに剃った丸い頭を小さくうなずかせた。
 家老は口を開けたり閉じたり、なにかを言おうとしたが、言葉がでない。
「亡くなるときはこのようなものなどとわれても……にわかに死ぬなんて……」

「わたしは、ただ真実を申しあげているだけでございますが」
 小柄な医者は、役目は終わったとばかり、膝をついて立ちあがろうとした。
「いいえ、だめです」
 家老は、あわてて医者の肩をおさえた。

「事実だかなんだか知らぬが、このまま死なれては困るのだ」
「困るとおっしゃられても、真実には逆らえません」
 医者は冷静である。
「実は、殿にはお子がいない。このまま亡くなられたら我が桜藩は、どうなるのか」
 家老は遠くを眺める目つきで、ごくんと唾を飲んだ。

「そんな場合、ごく普通にはお取り潰しでしょうな」
 医者は、他人事のように口にした。
「頑張ればそのうちにと、側女を二十名ほどはべらせておいた。だからいつかだれかのお腹にお子がと安心し、養子ももらわず、のんびりかまえておった。このままでは、桜藩の家臣二千名……どど、どうしよう」

 家老はすっかり蒼ざめ、同じように呆然としている家来たちを見回した。
 子供がなく、しかも世継ぎが決められていないまま藩主が亡くなれば、その藩の領地は徳川家に没収される。藩は消滅し、家来たちは浪人になる。

「お気の毒ですが、わたしは他に行くところがあるので、これで……肩から手を離してくだされ」
「だめだ。いま一度、ちょっとだけでもいいから殿を生かしてもらいたい。手段は問わぬ」

「手段を問わぬと言われても、そのようなことなどできる訳がございません」
 丸顔の小さな医者が困惑し、首をふる。
「せめて一日だけでよいのだ。武士の情け、なんとかしてくだされ」
「できないのもはできません」
「一日あれば世継ぎを決め、幕府に申請できる。なんとか、たた、頼む」
 家老は坊主頭の医者にむかい、手を合わせた。

「一日くらい、いいじゃないか」
 背後の家来のなかからも、声が飛んだ。
「頑固者め」
「だれかが損する訳でもないだろう」
 みんな、なんだか本気になって言っている気配だった。

《ねえ、一日だってさ。やってみない。なんだか気の毒になってきたよ》
 天井裏の格子窓からようすをうかがっていたブチ猫が、口を開いた。
《一日くらいだったらいいかなあ、殿様なんて面白そうだし、やってみようか》
 トラ猫もつられ、そう答えた。

《わたしが占い師になって現れて、万金丹かなにかを飲ませて殿様を生き返らせてみせるので、呪文を唱えているあいあだに、みなさん、目を閉じていてください、って言うから、その間に、あなたが殿様の体に忍びこんで殿さまになっちゃうのよ》
 格子窓の下では、死んだばかりの殿様が、青白い顔でしっかりと目を閉じている。

 そのそばで、無理に連れてこられた医者が、早いところこの場を離れなければとなければと機会をうかがっている。
「わたしは、ほかの患者に緊急で呼ばれているのです。いかねばなりません」
 医者はそう言って、足もとの薬籠(やくろう)を脇にかかえた。

 そうして、なんでもないような素振りをみせながら、脱兎のごとくわっと駆け出したのである。
 家来たちのあいだを駆けぬけ、あっというまに姿を消した。
 地蔵堂の庭が一瞬、しんとなった。

「ご家老、高橋どの」