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化け猫地蔵堂 3巻 1話 殺人鬼

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 江戸城は用途により、表、中奥、大奥と別れている。
表は政治を行う役所。中奥は将軍の住まい。大奥は将軍の正夫人や夜のお相手を勤める女性たちの住まいである。
大奥と中奥は石垣で仕切られ、男の出入りは、将軍にしか許されない。

 トラは、与助の跡をつけた。
 与助は懐から手拭いをだし、頬かむりをした。
 速足で大手門から紀尾井町にでた。
 腰に一本の刀を差し、うつむいて歩いた。
 やがて紀州藩、紀伊家の中屋敷に入った。

 屋敷に築庭がひろがっていた。
 浅倉仁右衛門の住まいは奥だった。
 与助が庭から声をかける。
「ご家老様、与助にございます」
 頬かむりの手拭いを取り、片膝をついた。

 障子が開き、紀州藩、江戸家老の浅倉仁右衛門が姿を見せた。
 仁右衛門が廊下の縁に立った。
「紅葉様の件でございます」
「申せ」
「紅葉様は完璧を望んでおります」

「かんぺ……」
 仁右衛門は息を止めた。
 白足袋の親指がぴくっと動いた。
「この世に……完璧など、ない。ちと甘やかしすぎたようだな」
 口調は重い。

「幼いころや、少女のころ、日本橋の丸屋の女中時代の仲間、自分を贔屓(ひいき)にしてくれた客、昔の自分の日常を知っているすべての者をこの世から消し去るなど、できん。紅葉を将軍に献上したのは間違いだった」
「それで、いかがいたしましょう」

 仁右衛門は口を閉じた。
 白足袋がじれた。
「消せ」
 ややあって唇から声が漏れた。
「残念だがな」
「……」

「やるのだ。紅葉は俄かな病になる」
 こんなとき不都合な人間は、急病で身罷る。
将軍であろうとお世継ぎであろうと、または大老であろうとみな同じだ。
御家の繁栄と存続のために、重臣たちに毒を盛られるのだ。

 トラのからだに怖気が走った。
しかし、多くの人たちを殺そうとするその訳が、トラにはわからなかった。
 道を急ぐ、与助の背中が丸い。
 が、なにかを警戒するかのごとく、ときどきふりかえる。
その目は、するどい。

トラは物陰に隠れ、何度もやりすごした。
 その夜、御中蘢の部屋では、一人の娘が胸をときめかせていた。
当夜の相手は、宵までに将軍から大奥に報らされる。
《今夜は紅葉が相手だったんだよ。それでそわそわして、子供のように部屋を出たり入ったりしていたんだね》
 帰ってきたトラにブチが報告した。

今日二匹は、それぞれが別々に行動した。
 紅葉のときめきに対し、かりかりしていたのは対抗相手、千代だった。
いままで寵愛(ちょうあい)をうけていた千代を差し置き、ここのところ紅葉は二日か三日おきだった。

紅葉以外の日は、不特定多数の御中蘢(ごちゅうろう)が相手なので、千代は半月にいっぺんあるかないかである。
 千代は正夫人の朝顔の御方の部屋にしばしば出向くようになった。
将軍お気に入りの、紅葉の悪口を言いに行くのだ。

《将軍お手付きの御中蘢にとって、悪口は単なる女同士の中傷なんかじゃないんだよ。紅葉に紀州藩がついているように、千代にも世継ぎができたときを宛にしたお侍たちが、藩の未来と生き残りをかけていてね》
 トラも紀伊家の江戸家老、浅倉陣右衛門の決意についてブチに告げる。

《いままで紀州藩は、紅葉の言うとおりに動いた。だが、紅葉の過激さに恐れをなした》
《でも、なぜ紅葉がそんなことを?》
 トラとブチも気分が落ち着かなかった。

8 
 白無垢姿の紅葉が先頭である。
あとに、御添い寝(おそいね)の御中蘢、御坊主、御末(おまつ)たちが五、六メートルおきにつづく。
御坊主とは、男の格好をした女中である。
当夜の見張りであり、年増の女性がその役を受けもつ。

 一行は長い廊下を列になり、七つ口を経由し、将軍の寝床である小座敷にむかう。
 紅葉は得意の絶頂である。
ほかの女中たちがその夜のお相手を廊下で出迎え、頭をさげる。
羨望の眼差しだ。

 千代の姿に気づいた紅葉が足をとめ、声をかける。
「朝顔の御方と仲がおよろしいようですが、小細工は許しませんよ」
 言い捨て、顔をそむける。
朝顔の御方とは将軍の正妻である。

 将軍との床では、おねだりや陰口は禁止だ。
そのため、将軍と紅葉の布団を挟み、ほかに二つの布団が延べられる。
将軍側に添い寝御中蘢、紅葉側には御坊主がつく。
二人とも将軍や紅葉に背をむけるが、眠ることはない。

さらに隣室にも二人が待機する。
御年寄りと御中蘢である。
御年寄りは大奥一の実力者であり、内部のいっさいを取り仕切っている。
 トラとブチは、七つ口の詰め所から天井にあがった。

警備のためなのかどうなの、常時その天井は三十センチほど天板がずれ、穴が開いていた。
 天井内に、伊賀者の警備はなさそうだった。
代わりに鳴子や鈴の紐が、あちこちに仕掛けられていた。
だがトラとブチには障害にならない。

 天井裏は部屋ごとに仕切られ、風通しの穴があった。
人間には入れないが、猫なら問題はなかった。
 二匹は仕切りの穴をつぎつぎに抜けた。
天井裏は壮大な迷路であり、小座敷の天井裏に着いたときは、すでに四人は床についていた。

 だれがどんなときに使うのか、小さな穴が穿たれ、下が覗けるようになっていた。
しかも二人分である。ぴったり真下に将軍と紅葉たちが横たわっていた。
 将軍と紅葉をはさみ、外側に二つの布団。
それぞれの布団に、女中が横むきに背中をむけている。

「殿様、今夜は思いきり、お乱れあそばせ」
 紅葉の声だった。
 え? という顔の将軍。思わず左右を見わたした。
 将軍は名君と言われていた。
幕府の赤字経済を建て直し、役人の不正や世の風紀を正した。
 将軍は紀州の生まれで、奔放に育った。

少年のころから野山をめぐり、行動も思考も、そして女性にも大胆だった。
紀州では町で見かけた娘を横丁に連れこみ、壁に両手を使って、背後から交わった。
 大奥ではそんなふるまいは御法度だ。
大奥の御年寄りは、表で政治を行う大老と同じ力をもっている。
「大奥での御勝手は許されません。家康様の御家訓です」

 代々の将軍は御家訓に弱かった。
交わっている最中であろうと容赦ない。
がらりと襖が開くのだ。
将軍には恥ずかしい一瞬だった。
なんとなく御年寄りに頭が上がらなくなる。

 ところがその夜の紅葉は大胆だった。
「殿様、まえからでもうしろからでもどうぞ。お好みをお召しくださいませ」
 将軍は、あわてて紅葉の肉感的な唇に掌をかぶせた。
「いいえ、殿様、今夜からそのように気を使わずともよろしいのです」
 紅葉が、将軍の掌をそっとわきにどけた。

「御年寄様にも御坊主様にも、添い寝や不審番の御中蘢にも、わらわが相談をもうしました。そして承知していただきました。ここで起きたことがらのすべては、この度より公にはなりませぬ」
 あとで御年寄りが、寝床での一斉を添い寝の二人とその夜の将軍の相手から聞きと取る。
だから将軍の密室での行為は、針の筵の上で行われている儀式のようでもあった。

「殿様、ぞんぶんにご覧くだされまし」
 紅葉は白無垢の着物の細帯をほどいた。
 絹の白い着物がはだけ、真っ白なからだが晒された。