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化け猫地蔵堂 3巻 1話 殺人鬼

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男の存在は、七つ口の土間の一隅だけにしか許されていない。
土間の片隅に下男や通いの御用聞きたちが待機する詰所がある。
女性たちはそこで日常の雑用や品物などを満たす。

 大奥には千人からの女性がいた。
だが紅葉は、御三家の紀伊家が特別に将軍に推薦した女性である。
だから御中蘢(おちゅうろう)の地位くらいにはついているはずだ。
御中蘢は将軍と直接話ができ、お気に召されれば床も共にできる。
子が身籠もれるのである。
生まれたその赤子が男の子で、ほかに世継ぎがなければ、産みの母親は間接的に天下を取れる身分になる。

 もと楓という名の、紅葉はどこにいるのか──。
 二匹の猫は土間にしゃがみこみ、毛鞠のようにじっとしていた。
 子供の御末(おまつ)たちが七つ口の土間をのぞきにきて、猫だ、猫だ、と喜んだ。
御末は大奥でいちばん位の低い女中であり、主に雑用をこなしている。ほとんどが子供だ。

 七つ口の土間と廊下の間には、手すりがあった。
 トラとブチは前足をそろえ、姿勢を正していた。
「まあ、しっかりしてお行儀がいいこと」
 すこし年上の少女も顔をのぞかせる。
「二匹でいいわねえ」

 二十歳くらいの女中もでてくる。
「猫はたとえ二匹でも、群みたく連れあるかないのに、仲良しなんてめずらしいわ」
 町にいたときは猫を可愛がっていたのか、明るく感想をのべる。
 互いにやわらかな脇腹を寄せ合うトラとブチは、饅頭で乞食の一家を殺したという、きれいな着物の女中をふと思い出した。

《いろんな女の人がいるんだね》
《思ったより明るく、にぎやかで自由そうじゃないか》
《でも、この中のだれかが、お饅頭を‥‥》
 低く喉で話す。

「これ、うちの御末はいるかい。なにをしているんだい」
 廊下に甲高い声が響いた。
 花模様のあでやかな着物の女中だった。
「はい。いますぐ」
 二匹を見おろしていた十二、三歳の少女だった。
少女は用事を忘れ、猫に見とれていたのだ。

「紅葉様のごようです。与助さん、出やれい」
 少女は土間をのぞきなおし、声をあげた。
 詰所から男が飛びだしてきた。腰をかがめ、餌をもらう犬のようだった。ただし、こっちは尻尾をふっていない。青醒めた深刻そうな顔つきである。

《紅葉だ》
 小さくつぶやき、トラとブチはあたりを見まわした。
ついていた。さっそくのお出ましだった。
 しかし、それらしき女性の姿はどこにもなかった。
御末の背後にいる女中の着物は、桜の花模様である。

 与助が土間の中央で膝をついた。
 桜の花模様の女性が紅葉なのだろうか。
二匹が目を凝らす。
「紅葉さまあ」
 桜の着物の女性がふりかえった。
 トラとブチもそろってそっちに顔をむけた。

 ぱっと明るくなった。
突然、鉦や銅鑼(どら)が打たれ、いっせいに何本もの笛が鳴りだしたかのようだった。
 その女性は、背後に大勢の共を連れていた。
 女性の着物には、赤、橙、黄、緑の紅葉が散っていた。
淡い色で染められた十二一重だった。
簪(かんざし)が煌(きら)めいた。広い廊下が、おつきの女中たちでいっぱいになった。

 紅葉の着物の女性が進みでた。
 御末の女の子が、逃げるように脇によけた。
 トラとブチは呆然と土間から廊下を見あげていた。
紅葉の山が近づいたみたいだった。
背後の女中たちが、主の背後を囲った。
廊下が彼女たちによって塞がれた。

 白粉を塗っているのではなかった。
雪のような肌というのは、そんな白さをいうのか。
未知の深山の湖のように、吸いこまれそうに澄んだ瞳。
鼻は小ぶりで形がいい。
唇はすこし厚めで、品のいい肉感だ。

《わあ、すごい美人だよ》
《それに妙な色っぽさだ。そそられるというのかな》
 トラは、すこし下品な言葉を口にした。
 御三家の紀州藩が、将軍に献上した女性だ。
理由はすぐにわかった。
現在の将軍様は、紀州の出である。
もし順調に世継ぎが生まれ育てば、つぎの世も幕府内部での紀伊家の勢力は、安泰である。

 そそられるとトラは口にした。
紅葉は美しかったが、知的な顔つきだった。
そしてからだ全体から、男を誘う妖気のような何かを漂わせていた。
しかし、淫乱の一歩手前でぴたりと押さえられていた。
かもしだされる紅葉の色気や、そしてやわらかな肉体は、子供を身籠もるため、神が紅葉自身にあたえた特別の武器でもあったのだ。

 さっそく紅葉にめぐり会え、トラとブチは感激だった。
 だが紅葉は、土間に腰をおろす手すりの下の二匹を、すぐに仰天させた。
 紅葉が手すりに手をかけ、首をのばした。
簪の音が、ちりりりりんとふるえた。
「命令どおりにやったんだろうね」

 肉感の唇から声がもれた。
背後のみんなには聞こえない。
「しかし、ご家老さまが」
 土間に膝をつき、下をむいたまま与助がつぶやく。
「だめだ。皆殺しだ。きっちりやれ」

 あくまでも内容とは裏腹の、甘くまろやかな声だ。
「伝えます」
 与助は、ごくんと言葉を飲んだ。
「仲間の伊賀者をもっと使え。毒饅頭も、もっとばらまけ」
 トラとブチは、ひっくり返りそうになった。
猫に顔色があれば、真っ白になっていただろう。
                        
 紅葉は何気ない日常の会話のごとく語る。
「朝倉殿がやらぬというのであるのなら、こっちでやるよ」
 与助の肩を見据える紅葉の瞳。あくまでも澄んでいる。
 その目がふと、すぐ脇の二匹の猫をとらえた。

「ここにいる猫、おどろいたような顔のようすだけど、甲賀者の忍びではあるまいな」
 与助が、いま気がついたかのごとく目の前の二匹を見守る。
「我々が忍術を使うとは言え、動物などに化けたりはできません」
 与助は表情を変えずに答えた。

 紅葉の顔は美しいままだ。
「そうか。とにかくよいな」
 紅葉は念を押し、か与助から離れた。
 金銀の簪飾りが、また涼やかに鳴った。
 紅葉の散った袖をふり、にぎやかに、そして静かに秋の山が廊下を去った。

 トラはふいに、与助について思いだした。
紀伊屋敷に忍び込んだとき、奥庭で見かけた男だった。お庭番である。
 紅葉が立ち去ると、待っていたかのように他の一団が姿をあらわした。
 廊下がまたしんとなった。

「千代様の、おでしましー」
 御末の子供が叫び、小さな薄茶の足袋が廊下を走った。
 三十名ちかい女性たちである。
真ん中の女性が千代だった。
鼻筋がとおり、顎の線がかっちりしている。
紅葉よりもからだが大きく、背丈もすらりとしている。
貴族の出なのか、清楚な威厳があった。
着物は藤色と紫の地味な柄で、気品がある。

 一団はさわさわと廊下を曲がった。
 トラとブチは茫然となっていた。
《紅葉には、いきなり頭からざばんと水をかけられたぜ》
《……》
ブチは先ほどの衝撃がまだ醒めやらず、ぼんやり口を開けたままだった。

紅葉は、この世のものとは思えぬ美しい顔で、からだじゅうからあり余るほどの色気を発散させながら、平然と人殺しを命じていた。
それも、ただの人殺しなどではなかったのだ──。
人は錯覚しがちだが、美しい人が心も美しいとは限らないのである。

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