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化け猫地蔵堂 3巻 1話 殺人鬼

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 胸、腹、腰、太股が行灯の光のなかで輝く。
紅葉は仰向けの姿勢のまま踵をずりあげ、左右の膝を立てた。

 将軍は最短時間を奨励されていた。
これも御家訓である。
 将軍は、立てた紅葉の両膝頭に両手を乗せた。
「余は、おまえが好きである。だれよりも好いておるぞ」
 両手に力が入った。
「あ、あれ」
 紅葉が膝の力を抜き、よよと左右に倒した。

 将軍は興奮した。
 開かれた膝と膝のあいだに夢中で這い乘った。
「殿様、わたしも殿様が好きです。お乳をお吸いくださいまし。それ、それ、ゆっくり…あれ、あれ、紅葉はしあわせです」

「改革も終わった。そちと一日中このように淫らなようすで布団の上にいたいであるぞよ。そなたの美しいからだを、いつまでも眺めていたいであるぞよ、などと申しておると、いつもであれば、さっと襖があき『殿、御家訓でございまする。なるべくはやめにおすませあそばせ』と御年寄りめが般若の形相で申してくるのに、今夜はまことになにもござらぬ。どう言いくるめたのかは知らぬが、おまえは可愛いやつじゃ」

「殿様、千代様よりもわたしが好きかえ」
「千代は人形じゃ。うんともすうとももうさぬ」
「殿様、わたしの言うこと、聞いてくれますかいのう」
「なんでも聞こうぞ」

「千代様を永遠の宿下がりになされませ。千代様は菩提寺へ参るともうし、寺の坊主と通じておりまする。それにわたしを卑しい身の出である、大奥にはふさわしくない女だなどと、みんなに言いふらしておるのです。乞食の出だったとか、裏長屋にいたとか、川原の料理屋の女中だったとか、思いつくかぎりの悪口を吹聴いたしております。

もし千代様の中傷でわたしめになにかがあれば、甲府家に召された父と腹違いの弟、御旗本の品川式部殿や平山家に嫁いだ二人の妹、遠く甲斐の国の大名になった叔父夫婦、伊豆の代官に取立てられた従兄弟など、それに……」

 紀伊家の栄華だけではない。
紅葉が大奥にあがり、有望とみられただけで、武士となった親類一同が芋蔓式に出世をするのだ。
一族縁者のすべてが、まだ二十にも満たない紅葉の肩にかかっていたのだ。
 必死だった。だから自分と同じように、千代もほかの御中蘢も必死であろうと紅葉は憶測した。

この場で千代に勝っても、つぎの新手があらわれる。
敵は徹底的にやっつけなければならぬ。
そのためには身辺を完璧にしておかなければならぬ。
「紅葉殿」
 将軍が話しかける。

「余は紅葉殿が心から好きである。京の都育ちの正妻殿やほかの中蘢たちとちがい、そちは美しく床が力強い。余は少年のころより山野をかけめぐり、言いたいことを口にし、やりたいことをやってきた。紅葉はほかの御中蘢たちとは違い、いつでも余をその気にさせてくれる。余はそのような女子(おなご)が好みであるぞよ。さあ、よいか」

「あいよ、いいえ、はいお殿様」
「余はおまえの要望であれば、なんでも聞くであろうぞ」
 名君も、床の上ではただの男だった。






《楓さん、紅葉さん、あなた、なんてことをするの》
 天井裏でブチがつぶやく。
完全に蒼ざめていた。
胸の白毛のざわつきが、全身にひろがってゆく感覚だった。
《自分の過去を消すため、自分を知る昔のすべての人間を抹殺しようなんて》
 トラも愕然となった。短い顎髭がじわっとと蠢く。

《無茶だよ楓》
 ブチが紅葉の昔の名を口にした。
《自分のしていることが、わかっているのか》
 トラが無念そうに奥歯を噛みしめる。
《……》
《……》
 天井裏のトラとブチに、それ以上は言葉がでなかった。
 からだを固く丸め、じっとしているばかりだった。

 事態はあらぬ方向にすすんだ。
 大奥を取り仕切る御年寄りは、紅葉に買収されたが耐えられなかった。
恐ろしさに苛まれ、内密に親交のあった芝増上寺の住職、浄漣に相談した。
浄漣も内密に紀州藩、紀伊家に連絡を取った。

 紀州からでた将軍は、江戸表で多くの家臣に役を与えていた。紀州、紀伊家の家臣たちは、永遠の安泰と栄華を願っていた。だから自分たちの手でつぎの世継ぎもつくりたかった。
 だが──。
 紀伊家の江戸家老、浅倉仁右衛門はすでに決断を下していた。

 紅葉は大奥の開かずの間に入ったとも、ゆえあって山寺に籠ったとも噂された。
 真相は、はっきりしなかった。
 紅葉は大奥から忽然と姿を消した。
 将軍は悲しみをほかの女性でまぎらわせ、一時、三千人もの女性が大奥に勤めた。

 力を得た者が自己の利益のみを考えるとき、悲劇が起こる。
 人間の悲劇は、自己利益の追求から始まる。
 ほとぼりが醒め、命を狙う者のいなくなった車屋の佐吉も、また商売をはじめた。
しかし、女房のお種が殺された理由はわからずじまいだった。

 トラとブチにはなにもできなかった。
《噂どおり、紅葉は山寺に籠ったと思うよ》
《きっとそうだね》
 赤茶の毛のトラとブチ猫は、静かに語り合った。

 はるか彼方の山中に、尼寺がある。
一人の尼僧が夢からさめ、清楚な日々を送っている。
 いま尼僧の心は山の空気のように爽やかだ。
 なぜあのようなことを自分は──。
 なにに執りつかれていたのか──。

 人の心の不思議さを尼僧は静かにふりかえる。
 尼僧は一生を山ですごす。
二度と現世には戻れない。
《あの娘は利発だ》
《厳然と生きていく》
 トラとブチ猫はうなずき合った。
                                  
●1話了