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化け猫地蔵堂 3巻 1話 殺人鬼

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 トラとブチは、壁ぎわに畳まれた布団の陰に跳び込んだ。
 車屋の左吉と若い男だった。
 婆さんは仰向けに白目を剥き、口から青い泡を吹いていた。

 二人は立ちすくんだ。
 婆さんは、親指と四本の指ではさんだ饅頭を手にしていた。
饅頭の欠けた部分に、くっきり、ばあさんの前歯の形がついていた。
 車屋の親方と若い衆は尻を見せ、一目散に逃げだした。


 網造(あみぞう)は非人頭、竹蔵の配下だった。
仕事は、道で死んだ生き物の後始末である。
ときには死人も片づけた。

 ある日網造は、草むらに倒れていた一人の男を助けた。
男は物盗りに襲われ、重傷だった。
男は呉服橋の名主、大川団右衛門だった。
命拾いをした団右衛門は、網造が元武士だった事実を知り、非人頭に話をつけた。

そして身元引受人となり、自分が所有する呉服橋の大工町の長屋に住まわせた。
過去の罪についてはなにも聞かなかった。
だから網造が非人だった事実など、名主の団右衛門以外、だれも知らなかった。
 網造はそこで嫁をもらった。

 一家は、長屋でごく普通に暮らした。
 生まれた三人の娘うち、姉の器量がずばぬけてよかった。
 姉の名は楓である。
楓は将来、自分はお姫様になるのだとみんなに自慢した。
棒手売りの新太郎、松平家の下女のおかね、畳屋のおかみのお豊、車屋の女房になったお種、みんな小さいころからの遊び仲間だった。

 楓は年ごろになった。
お姫様にはならず、日本橋の料亭、丸屋の女中になった。
名主の団右衛門のすすめだった。
丸屋は、葦で囲った両国河岸の店から移転してきたばかりの店だった。

 丸屋は味が評判だったが、美人の楓もすぐに評判になった。
 楓は芸者ではない。が、客たちはいろいろな話をもちこんだ。
女房にしたい、身請をしたい、妾にしたい、吉原にあがらないか、という話もあった。

客のなかでもとくに、蔵前の旦那である朝右衛門と細川家の江戸家老が、楓を身請けしたいと足繁く通った。
 楓はふるほどの目出たい話にとまどった。
 そんなとき、ある侍が奥女中の話をもってきた。
侍は紀州藩、紀伊家の中屋敷からの遣いだった。

紀州藩のだれかが丸屋で楓を見かけたのである。
丸屋の主もおかみさんも大賛成だった。
 楓は一も二もなく承知した。お姫様になれるのではないかと想像したのである。
でもほんとうは、お姫様のなんたるかを楓自身、よく知らなかった。

 話は楓本人を無視し、どんどん勝手な方向に進んでいった。
紀伊家の奥女中の件はあくまでも表向きであり、楓は、紀州藩、紀伊家の江戸家老、浅倉仁右衛門の屋敷に連れていかれた。
そこで浅倉家の養子になったのである。

浅倉家で躾や多少の学問などの修行が終えると、こんどはなんと江戸城内に連れていかれた。
名前も、楓から紅葉に変えられた。
 大奥の廊下を歩く紅葉。足がふるえた──であろう。

「お地蔵様、いきなり大奥ですぜ。ろくすっぽ世間も知らねえ娘が、大奥で、ほんとうに将軍様のお相手をするようになったんですぜ。夢が正夢になり、願いどおり、お姫様になったんでさあ。びっくりこいたなんてもんじゃなかったろう。だけど大奥じゃあ、おれにはもう手がでねえ。おれにゃあどうすることもできねえ。今回の連続事件は、もしかしたら楓が鍵を握っているってことは確かなんだけど、もうこれ以上はなんともできねえ。なにしろ大奥だってからな」

 男は顔に炭を塗っていた。
車屋の左吉だった。
がさがさと被った薦(こも)の音をたて、背を丸めた。
 左吉は仕事のふりをし、相変わらずあちこちに車を走らせていたが、ある夜、寝こみを襲われ、車引き全員が殺された。

相手は隠密らしき男たちだった。
襲われたとき、厠にいっていた左吉だけが、かろうじて難を逃がれた。
二人の通いの車引きも、家族もろとも家のほうで殺された。

「いまおれはこんなふうに隠れてるけど、へこたれてなんかいねえ。何年かかっても真相を……と言いてえところだが、大奥じゃあ、もうどうにもならねえ。お種、すまねえ。車引きのみんなにもすまねえ。おれの指図でいろいろ探ったあげく、みんな殺されてしまってよう」
 また薦の音をたて、肩をふるわせた。

 同心たちは事件を公にしなかった。
 トラとブチの猫もあちこちを歩き回り、いろいろ調べたが、話は車屋の左吉と同じだった。
 トラは紀州藩、紀伊家の中屋敷にも忍びこんだ。
 暗殺者たちは、やはり紀州の侍と配下の者たちだった。
指令も紀州藩、紀伊家の江戸家老、浅倉仁右衛門からでていた。
《だけど、なんのためにこんなことをするんだ》

《もう、二十人近くも死んでるんだよ》
 眉根をよせ、むっとなった。気分が晴れなかった。
《お助け地蔵や、化け猫の名にかけても》
《事件の謎をつきとめなきゃね》
 赤茶毛のトラとブチの猫は、互いにうなずきあった。

6 
《美人に化けて、お殿様の相手なんてどうだ》
《もしそれで身籠ったりしたら、どうなる?》
《天下がとれる。その子が大きくなっての猫の殿様になったら、猫の国つくる》
《うん、いいねえ》 

《ま、冗談はさておき、大奥、のぞきにいってみよう》
《猫一匹入れないなんて、どんな警備なのか面白そうじゃない》
 トラとブチはお城をとりまくお堀を、ぐるりと探索した。
そして、比較的人通りの多い大手門から江戸城内に入った。

 二の丸をぬけ、潮見坂を登ると東門だった。
東門は午後四時(七つ)に閉まる。だから七つ口とも呼ばれていた。
大奥と外部とを繋ぐ唯一の通路である。
 大奥の女中は特別な用がない限り、外には出られない。必要な日用品は、七つ口にくる御用聞きを通してそろえる。
そこには常時、伊賀者が見張りについている。

 トラとブチは七つ口の出入口の外に腰をおろし、ときをまった。
門番の目を盗み、大手門から城内に忍びこめても、そこから先は簡単ではない。
 しかし、三日もいれば伊賀者も警戒心をなくす。
相手はどこにでもいる、トラとブチの赤茶の猫なのだ。
大奥の女中たちは、所用で七つ口に出入りするついでに二匹の猫を見つけ、一歩外にでて頭や喉をなでていった。

「こっちのおまえは頬毛をふっくらさせて、鼻先から口や首、そしてお腹にも真っ白い毛を生やしてさ。おもしろい模様をしているよ。こっちのトラも赤茶に薄い灰色っぽい縞々のからだで、顎に髯みたいなものを生やして偉そうにしてるけど、威張るんじゃないよ」
 トラの髯や頬をくすぐる。
ブチの白い顎の下を、思わずごにょごにょと声をあげたくなるほど優しくやわらかな手つきだ。

 ついに二匹が一緒に抱えられた。
「ここまでですよ。おとなしくしていなさいね」
 女中は、二匹を七つ口の土間におろした。
見張りの伊賀者はなにも言わなかった。
トラとブチは四本の足で土間に立った。

トラとブチは目を見張った。
《木でできた巨大な空間‥‥》
《からだの毛が、つんとした涼しい気体に包まれたみたいで‥‥すごい》
 土間から一直線、右と左に伸びた廊下。
日本橋の通りよりも広い。

むこうまでつづく廊下に廊下がぶつかり、さらにそのまたむこうでほかの廊下と交わっている。
 当然、通る人のすべてが女性である。