石ころによる家畜の改造
「犬に、子供を産ませるだけのために、飼っていて、しかも、その環境は劣悪で、可愛がるなどということをするわけでもなく、ただ、子供を産ませ、その子供を売る」
というだけのためだけに、動いているのだ。
だから、
「犬の環境などどうでもいい」
その男というのは、普段は、たぶん、
「動物愛護」
という立場をもっていて、
「まさか、あの人が」
というような隠れ蓑を作っておいて、裏では、あくどいことをしている。
ペットであるはずの犬をあたかも、家畜として飼っている。だから、やつらに、
「悪いことをしている」
という意識はない。
しかし、
「やっていることは、捕まる可能性があり、罪になる」
ということは分かっているのだ。
だから、
「なぜ、捕まるのか?」
ということを考えながた、絶えず、自分の正当性を、自分に信じ込ませる形で、犬を飼育しているのだろう。
それを、
「正義ならしめる」
という意識として、感じているのは、
「俺たちは、ペットを飼いたいという買主の気持ちを汲んでやっていることなんだ」
ということであった。
もっといえば、
「ペットを飼いたいという人がいるのが悪い」
という考え方だった。
あたかも、実に自分中心の考え方である。
だから、その理屈として、自分中心の考え方が蔓延っている世の中を、なぜか、その男の後ろ姿から、想像したのだ。
その時。
「私は、この男の正体が、今の私だったら、分かる気がするな」
というのであった。
「どんなに怖い想像でもできそうな気がする」
というものであり、実際に最悪の考えをもっていた。
「この人、血の匂いがする」
ということであった。
この男が、自分というものの理屈として、
「悪徳ブリーダー」
のようなところがある。
つまり、
「自分をこんな風にしたやつがいるんだ」
ということで、あった。
それが父親であり、その父親は、すでにこの世にいない。この男が、自分の親をまるで、家畜のように葬ったということである。
ただ、それは、この男が受けたことに対しての報いであり、この男がやったことではなかった。
しかし、その報いがこの男に因果として巡っていた。
「オンナを孕ませては、堕胎をさせる」
というものだった。
「俺の血を正当に受け継いだ子供がほしい」
とばかりに、
「結婚はしたくないが、赤ん坊はほしい」
というような女に近づき、次々に孕ませて、自分の望む子供が生まれれば、その子を自分のものにする。
そして、それ以外の子を、決して認知しようとはしない。お金で解決しようとするのだ。
それは、堕胎代というだけで、
「何もなかったことにする」
という本当の、悪徳ブリーダーであるかのようである。
それが見えると、ゆいかは、恐ろしくなった。その男に気付かれないように、さっさと露天風呂から出ていった。
ただ、ゆいかも、その男のことを、
「どうして分かったのか?」
ということを考えた。
すると、
「自分にも、この男と同じような血が流れているのえはないか?」
と感じた。
そう、以前に、誰か、たちの良くない男に引っかかって、
「一夜のアバンチュール」
のせいで、妊娠し、堕胎をした経験があった。
それを、
「何が悪いのか?」
と自分に言い聞かせていたのだ。
相手の男は、避妊もしてくれない、悪い男だった」
と自分に言い聞かせたが、
しかし、それだって、自分がしっかりしていれば防げたことだ。
「まさか妊娠するとは思わなかった」
という甘い考えと、
「子供ができれば、この人は私のもの」
というアバンチュールのはずが、身体を重ねた時、
「本当に愛し合った」
という勝手な妄想が、こんな無責任な形になったのだ。
それだけに、
「自分が悪くない」
と思い込むことは、難しいことではない。
そんな自分も、
「家畜」
であり、
「悪徳ブルーダー」
であり、
「目の前の男」
の、
「一人三役」
とでもいってもいい自分を形成していた。
今回の旅行も、ある意味、自分のとっての禊であり、
「悪くもない自分なのに、塗れてしまった血を洗い流す」
という意味で、温泉は有難いと思った。
しかし、目の前の男の出現で、自分が、この男を同類と見て、結びつくか、それとも、
「戻ることができるなら、今しかない」
と考えるのであるとすれば、果たして。ゆいかは、どっちの道を選ぶのだろう。
男を見ていて、先ほどのサルを思い出そうとしてみたが、思い出すことはできない。もう戻ることのできないところまで来てしまったということなのだろうか?
そして、今まで目の前にいた男というのが、
「秋月昭文である」
ということは、もういまさら、言うまでもないことであろう……。
( 完 )
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作品名:石ころによる家畜の改造 作家名:森本晃次