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化け猫地蔵堂 2巻 2話 永久のひと

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〖いい案ですね。でも私は毎日ここにいる訳ではありません。ここから世間様を覗いていると、いろいろな悪事やら謀略やらが飛び込んできてとても頭が疲れます。お寺に帰って休まないとからだが持ちません。私は三日に一度ここにでてお布施をいただき、あとはお寺に帰ります。お寺は大川のほとりにある古く小さな涼月寺(れいげつじ)です。そこから信者の二人の方が、私を駕籠と小舟で送り迎えしてくれます〗

 話に夢中になっているうち、いつしか宵闇が迫ろうとしていた。
すると参道とは反対側の方向から、一台の町駕籠がやってきた。
彩乃の女駕籠とは対照的に、ふんどし一丁の二人の男が担いでいる小さな乗り物だ。
石燈籠の根元に腰をおろすトラとブチの目の前で駕籠が止まった。

「観音様、お迎えにあがりました」
駕籠かきの男が声をかけた。
〖ごくろうさまです〗
 観音様が答え、てるてる坊主が立ち上がった。
被った頭巾の裾は腰までである。
その下は着物だ。その着物の裾から、白いきれいな素足が覗いていた。

〖トラ猫にブチ猫さん、ごめんなさい。長い時間ここにいたので頭がはちきれそうに痛くなってきました。こんどは三日後にまいります〗
 二匹に挨拶し、観音様を乗せた駕籠は去っていった。


 次の日は、聞いていた左衛門の診察日だった。
トラとブチは、朝方の診察を終え、屋敷からでてくる医者を待った。
左衛門の死亡予定日は、一ヶ月後だ。
だらだらと長いのは、毒を盛った疑いを持たれないための作戦であろう。

その朝もトラとブチは、医者が来るその前に奥屋敷や御台所、殿様の部屋などの天井や濡れ縁側から、彩乃の気配を探った。
猫の耳は正確で、目標の察知能力は絶対的である。
だがやはり、痕跡はたしかめられなかった。

《彩乃さん、どこへ行ったんだろう。確かにあのとき、たすけてくれって、口で告げていたよね》
《うん、はっきりおれは口の動きを見た》
 供の者に手を引かれながら声を殺し、地蔵堂の前で言葉を刻んだときの彩乃の悲し気な美しい表情が、トラの目に浮かぶ。

 表御門棟の白い壁の下で、二匹はでてくる医者を待った。
医者の名は棟庵(とうあん)。
高位にある旗本たちを診療する、特別の医者だ。
帰る棟庵の後をつけ、居所をつきとめる魂胆である。

江戸では、大名でさえ門に表札はだしていない。
高位の医者の場合も往診が主で、自宅の診療所に患者が出入りするわけではない。だから、第三者には居所が突き止めにくい。

重たい門扉がきしみ、お医者の駕籠がでてきた。
薬の入った薬篭(やくろう)を背にした供の者が横につき従う。
門からでてくるや、鋭い声が駕籠の中から飛んだ。
「おい、早くここを立ち去れ。急げ」
半纏姿の先棒の男に、医者が籠の中から命じた。

駕籠の後について歩きだそうとしたトラとブチは、顔を見合わせた。
《どういう意味なの?》
《ここから早く逃げ出せってことだ。なにかある》
《なんなのか私見てくる。トラはこの駕籠と一緒に行って医者の家を確かめてよ。あ、門が閉まる》
トラは閉まりかけた門の隙間に突進し、屋敷の外に出た。

「ほい、いくぜ」
先棒の男が声をあげた。
駕籠が動きだし、後を追う薬持ちの男の肩の箱が、かさかさ鳴った。
 トラも、駕籠の後を追う。
 大急ぎの駕籠は、たちまち牛込御門を通りすぎ、尾張の屋敷の横道に入った。

駕籠は市ヶ谷の方向を目指している。
朝方の通りを大慌てで走る駕籠。
その横につきそう薬篭の男。
最後に一匹のトラ猫が走る。

なんだこれは、と通行人が足を止めて見守る。
「おーい、猫を乗せ忘れてるぜ」
 江戸っ子が駕籠かきに声をかける。
「先生、ちょっと毛深い怪し気なトラ猫のやつが、あとについていますが」
 薬篭持ちも喘ぎながら、棟庵に声をかける。

 だが、中からは何の答えも返らない。
 駕籠は、ほいほ、ほいほ、と掛け声を上げながら走りつづける。
 いつも通っている道なのか、迷いもなく進む。
さらに脇道に入った。

 左右の塀から木立の枝が覗く、武家屋敷の裏道だ。
しんとして人影もない。
 と、突然、駕籠がとまった。
ついで、駕籠がどすんと地面に放り出された。

「わあ」
 足音とともに、先棒の男が後ろに逃げてきた。
「ぎゃあ」
 薬持ちの男が血しぶきをあげながら、駕籠の横に倒れてきた。
肩から斜め下の脇腹まで、ざっくり斬り裂かれ、どろっと内臓がこぼれた。

 たっ付き袴(はかま)で、膝から下をだした侍が立っていた。
それは、素早く動くときの武士の格好である。
白刃の剣を握る二の腕の筋肉がもりあがっている。
ただし、顔は黒い覆面でおおわれていた。

 覆面の侍は草鞋の足で、どんと駕籠を突いた。
「出てこい棟庵」
 一言、甲高く叫んだ。
 駕籠の側面の簾扉が揺れ、医者の棟庵が手を先に伸ばし、這い出てきた。
逃れようという体勢である。

 覆面の侍は待っていた。
一歩踏み込み、鋭く叫んだ。
「いやあ」
 白刃がひらめき、棟庵の首がぼとん落ちた。

そして、地面をトラの前まで転がってきた。
顎髭のある細面の顔が上を向き、瞼を閉じ、また見開いた。
剥きだした目玉が、のぞきこむトラの髭を一本一本白く映した。
あたりに生暖かい鮮血が一気にひろがった。

「ぎゃあ」
「ぎゃあ」
 叫び声にトラが振り返った。
武家屋敷の背後の道に、二人の半纏姿の駕籠かきが倒れていた。

いつ背後に回り込んだのか、そのむこうを、走って逃げていく覆面の侍の姿が見えた。
人の悲鳴を聞き、左右の屋敷内の裏門から、何人かの侍が飛びだしてきた。
トラは現場をあとに、全速力で覆面の侍を追った。

 しかし、表通りにでたとき、雑多な臭いとともに姿が消えた。
 行き来する江戸の住民たち。
堀のむこうに江戸城の本丸。

トラは、呆然と立ちすくした。
『医者を使って亭主の左衛門を毒殺し、美しい妻を自分のものにしようとしているのです』観音様の憶測が頭に浮かんだ。
しかし、医者は路上で刺客に襲われ、殺された。
これは口封じだ。犯人は、彩乃を正夫人か側女にする人物だ。

昼近くなった太陽が真上から照らし、堀の水がまぶしい。
トラはそのまま、城の外堀の通りを走った。
朝倉左衛門の屋敷の表門の前にきた。
息を整え、耳をすましたが、屋敷内部で、当主の左衛門が死んでしまったというような騒ぎのようすは感じられない。

表門の屋根に跳び上がった。
殿様御殿が見える。中庭も見える。
庭に張り出した濡れ縁に、白と黒のブチ猫がしゃがみ込んでいた。
トラは庭に降り、玄関棟のわきを廻った。
そして殿様御殿の庭に忍び込んだ。

庭からブチのいる縁側にむかい、そっと、にゃあ、と呼びかけた。
気づいたブチが腰を上げ、縁側から庭に下りてきた。
二匹は築庭の岩陰まで後退し、腰を下ろした。

《どうだった?》
 同時に発した質問だった。そして同時に答えた。
《殺されたよ》
《死にそこなった》
殺されたのは医者で、死にそこなったのは左衛門だった。

医者のあの慌てふためきようは、毒殺の薬を服用させたからに違いなかった。
左衛門が、突然もがき苦しんで死んだとしても棟庵は、死期がにわかに早まったという言い訳ですませられる。