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化け猫地蔵堂 2巻 2話 永久のひと

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そこから、中庭に面した濡れ縁の廊下に跳びおりる。

 障子で仕切られた十畳ほどの部屋が三つ、ひそかに並んでいる。
部屋の前の濡れ縁の狭い廊下をそっと歩く。
猫の肉球があるので足音は気にしない。

「お殿様、お目覚めでございますか」
 歳のいった女性の声だった。
二匹が耳を立ててうかがうと、さらに二人の女中がいるようすだった。
真ん中の部屋である。
 しかし、そこに彩乃の気配はいなかった。
まだ猫地蔵から帰ったばかりなので、着替えている最中なのだろう。

「医者の棟庵(とうあん)はいつ来るのか」
「あと一時間ほどでございます」
 殿様の左衛門の声は太く、意外にもしっかりしている。
余命を宣告された病人とは思えない。

「彩乃はどうしている」
「お殿様がお眠りになっているとき、外出されました。行く先は駿河台下のお助け猫地蔵とのことでございます」
「お助け猫地蔵だと?」
「お殿様の治癒を願って」

「猫地蔵におれの病気の祈願か? それで、いつ帰るのか」
「いまさっき戻った、と報告がございました」
「そうか、顔が見たい」
「はい、すぐに伝えてまいります」

 すすっと足音がし、障子が開いた。
中から饐(す)えたような熱気があふれ出すともに、半幅結(はんかたむす)びに帯を締めた若い腰元が廊下に出てきた。
 トラとブチはあわてて庭に飛び降りた。

《彩乃さんがどうしているのか、私も見にいってくる》
牝のブチは急ぎ、廊下伝いに女中の後を追っていった。
彩乃を呼びにいった腰元は、よほどあわてていたのか、障子をきちんと閉めていかなかった。
ブチを見送ったトラは廊下の縁に両手をかけ、半開きの障子から部屋をのぞいた。

十畳ほどの部屋の真ん中で、殿様は庭に頭をむけ、こんもりした布団の上に寝ている。右横に老女と若い腰元がぼんやりした面持ちで座っている。
夜にまた出直すよりも、今がいい機会ではないのか、とトラはとっさに考えた。

白い布を頭からかぶり、仙人のごとく長い顎髭を生やした老人を頭に描いた。
 よし、と決意し、気合を入れて廊下に飛び上がる。
障子を一気に押し開き、畳の部屋にどんどん踏み込んだ。
あっ、と若いほうの女中が身をのけぞらせた。
年寄りの女中が声を漏らし、そのまま後ろにひっくり返えった。

「こら、朝倉左衛門……」
 トラは震えるような低い声で、呼びかけた。
「おまえは最愛の妻に何をしようとしている。そのような行為は許されん。お前は即地獄ゆきじゃあ。まだ遅くない、あらためよ」

 顔を上げ、ぎょっと目を見開く朝倉左衛門。
眉が太く、きりっとして男前だ。
だが、四角い顔は青ざめている。
「なんだ、どこから入ってきた」

トラの咄嗟の台詞に、驚きも戦(おのの)きもしていなかった。
それどころか、敵意のある目をむけ、よろりと布団から立ち上がった。
「あらためよだとお? なにをぬかすか、たわけ者」
濃い眉根を互い違いに歪め、からだをひねって闖入者に向きなおった。

「彩乃を手に入れようとうまいこと言いおって。だれの回し者だ。彩乃はおれのものだ。だれにも渡さーん」
 さらに横によろけ、転びかけながらさっと手を伸ばし、刀掛けの刀を手にした。
「彩乃は、なにがあってもおれのものだ。だれにも絶対に、渡さあーん。いやあ」
 よろけて躓きながらも、あらぬ体勢で切りつけてきた。

 トラは飛びのき、すれすれで白刃を避けた。
猫の敏捷さで避けられたが、人間だったら胴を上下に真二つだったろう。
左衛門は怒っていたし、腕も確かだった。
「彩乃は、ぜったいに、渡さーん。彩乃は、おれのものだあ」
 死ぬほど元気だった。

 騒ぎを聞きつけ、家来の侍たちがやってきた。
 髭面の白衣の仙人は、霊界からきたとか、地獄からの使者だとかも言いそびれ、あわてて庭に飛び降りた。
そしてそのままトラ猫の姿にもどり、盆栽の鉢の陰に隠れた。

「殿、なにごとでございましょう」
 駆けつけた家来が殿様に訊ねる。
「今、白い衣の狼藉者がやってきて、余が地獄に落ちるなどとぬかすので、ぶった切ってやった」

 殿様は憤怒の眼(まなこ)で言い放つ。
「地獄の使者でございますか?」
「なあに、うまいこと語って、おれの彩乃を手に入れようとしているのだ」
警護の侍たちがばらばらと庭に飛び降り、あたりを探すがそれらしき影はなかった。
侍たちは殿様に聞こえぬよう、庭ですれ違いながら互いにつぶやく。
「殿は病に侵され、幻想を見ておられる」
結局、白衣の曲者は見つからなかった。

植木鉢の陰に身を隠し、覇気旺盛な殿様に途惑うトラの背後が、ふわっと暖かくなった。ブチだった。肉球の忍び足は同じ猫でさえ気づかない。
《探したんだけど、彩乃さん、どこにもいなかったよ》
 さっそく報告しながら、おかしいんだよ、と首を傾げる。

《どこにもいないってか?》
ブチもトラも植木鉢の陰で、きょとんとした。
《さっき帰ってきたばかりなのに、おかしいなだよ。女中たちの会話も盗み聞きしたんだけど、噂すらしていないんだ。もしかしたらそのまま裏門からぬけだし、どこかに行ったんじゃないかしら》

《二十人近くの家来を引き連れ、派手な女駕籠でか?》
《お付きの家来は、日ごろから彩乃さんに尽くしている人たちだから、彩乃の運命を知り、同情し、逃げ出したとかでさ》
《そんなことをしても、すぐに追手が出て捕まるだろ。そもそも、逃げ出すなどという態度は考えられないけどな》

左衛門は、死にゆく人とは思えぬ鋭い剣さばきで、トラは危うく真二つだった。ちょっと間違えれば、胴斬りの猫の死体が濡れ縁に転がっていた。
《逃げたのか、何かの理由があるとしても、そのまま裏門から抜けだしたとして屋敷から離れた場合は、城とは反対方向に真っ直ぐだな》
はっきりはしなかったが、頭に描いた地図からそう思えた。

《探そうよ。どんな理由があるのか分からないけど、まだ遠くには行っていないよ》
前足を揃えてしゃがみこんでいたブチが、腰をむずむずさせた。

《わかった。おれが探しに行く。おまえは、もしかしたらこの屋敷のどこかにいるかも知れない彩乃を見張っていてくれ。それで、もしおれが浅草寺の近くに行ったら、彩乃さんが話していた境内にいる例の女の人がどんなふうなのかも見てくる。用がすんだら、地蔵堂の天井裏に帰って待つことにしよう》


外堀沿いの道をトラは走った。
武家の女駕籠の通る道は限られている。
中山道に通じる道と日光街道に通じる道を意識し、辻々を幾度も曲がった。
しかし、女駕籠の一行は見当たらない。
それでも行きつ戻りつ、けんめいに探した。

頭の中に、地蔵堂の格子窓から眺めた美しい彩乃の姿が浮かぶとともに『おれのものだ、彩乃はだれにも渡さん』と鬼の形相で怒る夫の左衛門の気持ちが痛く心に迫った。
あわてて走る猫を、人々はなんだとばかりに見送る。
いま、魚くわえていなかったか、と二人連れがもう一人に訊く。

やはり見当たらない。
時間もずいぶんたった。
約束どおりブチは、地蔵堂にもどって自分の帰りを待っているかもしれない。
ふいに、人通りの多い道にでくわした。

浅草の浅草寺への通路だった。
《ちょうどいい。ちょっと寄ってみよう》