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化け猫地蔵堂 2巻 2話 永久のひと

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『はい。そのような御要望であれば山寺に籠り、尼になります。男性とは縁のない生涯を送ります』と答えたのですが『彩乃のような美人が尼になったら、それこそ評判になり、山寺は男女の参拝者であふれてしまう。そうなれば必ずその地の役人があらわれ、山寺にいられなくなる。

そして、報告を聞いた藩主なりが彩乃を一目見、自分ものにしようとするだろう……ああ、どうあってもつらい、やりきれない、苦しい。絶対だれにも渡したくない』と目に涙を浮かべるのです」
彩乃は、呆然とした面持ちで地蔵様を見守った。

思わぬ展開に、トラとブチは肩を寄せ、息を殺した。
《美人の悩みは、すごい顛末になっているじゃないか》
トラは、焦点のない目を見開いている。

《だから言ったでしょう。美人にだって悩みがあるんだって》
《美人の妻を残して死んじゃうんだから、取り乱すのはわかるけど、相思相愛の彩乃への思いやりがどこにもないじゃないか》
《だから彩乃さん、困っているんだよ。悪い夫じゃないらしいしね》

彩乃の目から、ぼろぼろと涙がこぼれる。
その涙が、花々が咲き乱れる着物の衿もとに落ちる。
彩乃は、こほんと喉の奥を鳴らし、決心したようにまた語りだす。

「昨夜、夫の左衛門が私を枕元に呼びました。『おまえは美しすぎる。お前を見たらだれでも求めたくなる。だから美しくなければよいのだ。お前は、浅草の浅草寺の石灯篭(いしどうろう)の陰に座っている女を知っているか?』突然、そう訊ねました。その女性の噂を聞いたことのある私は、悲鳴をあげてしまうところでした。

でも必死に堪えました。聞いたところによれば、その女の人は、着物姿で石灯篭の陰に隠れるように座っています。でも、頭から頭巾を被っています。そして、頭巾に開けた穴から目だけを出しています。お客の要請があると銭を受け取り、頭巾を外します。見世物にしているのです。その顔は、火傷でただれ、目、鼻、口だけが残っているだけの……」 

《にゃー》
 ブチはつい大声をあげてしまった。
ありえない左衛門の要求だった。
《おい、やめろ、なんてことだ》
 トラもつい大声をだした。

 それは、二匹の猫の鳴き叫ぶ声でもあった。
地蔵堂の入り口に待機していた供の侍がとんできた。
「奥方様、なにごとでございましょう」
「猫地蔵には、ときどき化け猫がでるという噂もございます」

二人は刀を抜いて身構え、あたりを睨んだ。
「奥方様、お気をつけください」
「曲者(くせもの)、でてこい。奥方様になに用でござるか」
 他の供の者もばらばらと駆けつける。

「あれはここらに住む野良猫の、雄と雌の出会いの挨拶です。べつに怪しいなにかではございませぬ」
 彩乃は家来たちに説明した。

が、刀を抜いた二人の侍は、鋭い目で周囲を確認しようと顎をひきしめる。
はんぶん顔の形の変わった石の地蔵様をぐいっと睨みつける。
美しい奥方様を守るという使命感でいっぱいだった。
「殿より命じられております。奥方様になにかがありましたら、われわれの責任になります。ここには妙に張り詰めた空気が漂っております。本日は、もうお引き取りください」

 彩乃は、眉間にかすかな皺をよせ、小さく首をふった。唇を噛みしめている。他人に知られたくない何かがあたたが、それをまだ口にしていなかったのだ。
このような事態になってしまっては、出直す以外にないだろう。

「お駕籠のほうにお戻りください」
「奥方様をお駕籠に」
 油断なく周囲を見渡しながら、侍の一人が供の者に命じる。
 供の男が彩乃の左右について手をとる。背後に侍がつく。

 彩乃は一瞬ためらったが、あきらめるように歩みだした。
「さ、こちらに」
 うながされ、お供の者についていこうとしたとき、彩乃は猫地蔵をふり返った。

その目には、悲しみと恐怖、そして失意の色があふれていた。
口がかすかに動いた。
『たすけてください……おじぞうさま』
 トラとブチには、そうつぶやいたように思えた。


女駕籠(おんなかご)の一行のあとを、とことこ二匹の猫がついていく。外堀の神田川沿いである。
側面に桜の花が描かれたあでやかな駕籠だ。
駕籠のにぎにぎしさとは対照的に、二匹の足取りは重かった。

《いい人をみつけ、幸せになってくれ、と妻の幸せを願って旅立つならわかるけどなあ。だけど、彩乃(あやの)は自分のものだ、だれにも渡さない、だから美しい妻を醜くし、あの世に旅立てばいいなんて……》
《余命一ヶ月と宣言され、目に入れても痛くない彩乃さんとも永久に別れなければならないので、動顛しているんじゃないかしら》
 ブチは、すこしばかり左衛門に同情的だった。

《冥界の使者のふりをして枕元に立って『妻にそんな要求をするお前は、まちがいなく地獄行きである。考えなおせば地獄行きをあらためるが、どうだ』なんて囁いてみたらどうだろう》
 化けて出て、左衛門の意思を変えさせる案だ。

《だめだよ。彩乃さんは、絶対だれにも渡さないんだから》
 一行は小石川御門を過ぎ、堀沿いの通りから屋敷通りに入った。門のある建物がんでいる。
《あそこだ》
《やっぱり大きなお屋敷だね。ここらは旗本のお屋敷町だよ》

表門の棟があり、一行を出迎える番人が立っていた。
左右も同じような旗本の屋敷である。
二千石、三千石の旗本であれば、武家を取り締まる目付役人、町人が相手の町奉行、大阪奉行や奈良奉行、長崎奉行など徳川直轄地を取り締まるかなり高位のお役が与えられる。

そしてお役に応じた活躍や噂などで、その名をお江戸で耳にするようになる。
しかし、朝倉左衛門の名は、今までどこからも聞こえてこなかった。お役に付くことがなかった無役の旗本なのである。
今、その殿様の朝倉左衛門は病を得、死を待って床に臥せているのだ。

彩乃と供の一行は、いそいそと門のなかに消えた。
トラとブチはやれやれとばかり、閉まった門の前に並んで腰を下ろした。
とにかく衝撃でまだ心臓が音を立てていた。頭もぼんやりしていた。
門番が二匹のそんな野良猫を見つけ、持った長い棒で、こら、と追い立てた。
トラとブチは腰を上げ、右手の白壁の下に移動した。

 三千石の旗本であれば、いざというときは百五十人ほどの家来を引き連れ、徳川様に馳せ参じなければならない。
それらの家来たち、そしてその下で働く男たちや女中たちの住まいもふくめ、屋敷内にはかなりの建物が並ぶ。

 表御門から見て、奥様の彩乃はいちばん奥の建物の奥様御殿に、殿様はその手前の殿様御殿に住む。
《もし殿様の枕元に立つとしたら、夜中だな》
《足元まである白い衣(きぬ)を頭からかぶって、顔だけだして。髭生やしたほうが恰好がつくね》

《とにかく、朝倉家の殿様と奥様の住まいや部屋を確かめておこう》
 通りから人影が絶えたとき、二匹は表門の屋根の上に跳ねた。
大名、旗本の屋敷は石高によって異なるが、屋敷内部の配置は大体が同じである。
外からの客などの接待用の棟に続いているのが殿様の御殿である。寝室も殿様御殿の中にある。

 二匹は、表門の棟の屋根から庭に跳び下りる。
玄関棟の外側の通路を回り、殿様御殿の屋根に上がった。