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化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助

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「すでにお役人様は、あのように断定していたのです。証人まで連れてまいりました。言い訳などしてはならないのです」

 あくまでも冷静だった。
「熊谷は死んではいないのですね」
「あのときはたしかに仇を討ったと思いました。それで死体を地元のお役人に検分してもらうため、必死に探したのです。でも見つかりませんでした。すぐ、逃げられたと悟りました。

熊谷壇衛門とは出会い頭の果たし合いでした。あまりもの偶然のため、心が震えてしまいました。それゆえ、深手をあたえられず、千載一遇の機を無にしてしまいました。病弱な母上には申しあげられませんでした。しばらくすると、お江戸で熊谷壇衛門を見かけたという話が伝わってまいりました。

あの男は生きております母上。かくなる上はなんとしてでも探しださなくてはなりません。とりあえずは、江戸からでて品川の先に移りましょう。そこからわたしが江戸にでてくればよいのです。こんど出会ったらもう逃しはしません」

 庇の上にしゃがんだトラとブチの赤茶の猫は、前足をそろえ、みじろぎもしなかった。
《やっぱり、あたらしい生きかたを見つけたほうがいいんじゃないかな。仇討ちなんかやめな。早いとこ、違う人生をおくるんだよ》
《でも、新之助はしっかりやる気みたいだよ》
《ばかだなあ》
 トラとブチは、耳をぶるぶるっと左右にふった。

5 
 つぎの日、日本橋の橋のたもとに新之助とお千の姿はなかった。
 代わりに、髪をうしろに束ね、白鉢巻に白襷(しろだすき)姿の肩幅の ひろい男が佇んでいた。
 男は、浅草方向にむかう猪牙舟(ちょうきぶね)を見やっていた。

 男が、欄干にかけていた手をはなし、ふりむいた。
「新之助とやらは、どこにいったあ」
 髭だらけの四角い顔だった。
 顔の真ん中に、斜めに刀傷があった。

「拙者こそは元三河松平の藩士、熊谷壇衛門であーる。おう」
 首をぐるうっとまわし、束髪の尻尾をふった。
 くうっと片方の眉を吊りあげる。
 歌舞伎役者の見栄のようだった。

「拙者は逃げも隠れもせん。卑怯者でもなんでも、なーい」
 ばーんと片足を踏む。
 似顔絵よりも目が吊っていた。
 髪も髭もなんだか赤っぽい。薄い黒毛もすこし混じっている。

 たちまち人があつまってきた。
 橋の袂ちかくに店をかまえていた大店(おおだな)の商人たちは、おどろいた。
 普段から茶などを運ばせ、気を使っていた近江屋の番頭は、丁稚に命じ、富五郎長屋まで走らせた。

 その間、あつまった野次馬たちにむかい、熊谷壇衛門が怒鳴りつづけていた。
「みんな、おれの顔の傷をよーく見ろ。おれはたしかに一度やつにやられた。だがな、死ななかったのだ。あのときは、いくら剣の達人とはいえ、たかが子供と思って油断していたのがいけなかったのだ。だがこんどは、小田原のようにはいかぬ。返り討ちにしてくれるわい」

「相手はまだ十五の子供だぞ」
 だれかが問いかける。
「まだ十五歳だとう。な~にぬかすか。十五歳とはいえ、なまじ腕がたつので危険きわまりないわい。それに、なんとしてでも親の仇を討とうなんて、強い心をもってやがる。油断をすれば、やられるのはこっちだ。こんどこそは負けぬは。やあ」
 片脚をあげ、またばあんと橋板を踏んだ。

 自信満々だったし、張り切ってもいた。
「なんで仇の仲になった」
 まただれかの声が飛ぶ。
「新之助の父親はな、普段からおれを快く思っていなかった。ある日こらえきれず、おれに斬りかかってきた。だけど逆にやっつけてやった。仇など討たれる覚えは、なーい」

「うそつくな」
「自分に都合のいい話だけ、すんな」
「勝つ気か」
「あたりまえだ」
「負けてやれ」
 野次馬は、もちろん新之助の味方である。

「負けろ」
 負けてやれ、負けろ、とさらに声が飛ぶ。
「馬鹿者。小間物屋の叩き売りではないわ。小僧があらわれたら目茶苦茶にやっつけてやる。えい、とやあ」
 熊谷壇衛門は、どすんばたんと足を踏み、手刀を左右にふった。

「どこかで必殺技でも磨いてたのか」
 熊谷壇衛門が、問いかけた男をじろりとにらむ。
「小僧は強い。だからしばらく江戸を留守にし、修行をしていた。こんどこそおれのほうが強い」

「どんな技、鍛錬してた」
「どんな技だ、とお?」
 熊谷壇衛門は、じろり野次馬をねめた。
「ふふふふふ‥‥」
 髭で隠れた唇をゆがめ、笑う。
 ゆるんだその口元が、にーっと横に裂ける。
 それがふと、猫の顏にも見える。

「ちょっとだけ見せてくれ」
「そうだ、見せろ」
「見せろ、見せろ」
 あちこちから声がとんだ。
 よしとばかり熊谷壇衛門がうなずき、刀をぬく。

「あのなあ、やあ、とふりかぶると見せかけ、上段のかまえから体勢をくずし、下から一気に、ばあっとこう素早くもっていくのだ。ここが修行のしどころよ……」
 熊谷壇衛門は橋板に片膝をつき、低く刀を横にはらおうとした。
 と、大通りのほうが騒がしくなった。

「きたぞう」
「新之助だ」
 新之助だ、新之助だ、とどよめきがおこった。
 旅姿だった。小荷物の風呂敷をななめに背負い、小脇に菅笠をかかえていた。

 草鞋(わらじ)ばきである。
 乱れた髪が四方八方、逆光に透けた。
 一家で旅立とうとしていたところを、報せが届いたのだ。
 名主たちは病弱のお雪さんに、本当に時間の猶予さえ与えようとしなかったのだ。

「どいてください。みなさんどいてください」
 人込みをかきわけ、新之助が現れた。
 はあはあと息が荒い。
 熊谷壇衛門の姿を目の当たりにするその目に、おどろきの色があふれた。

 が、新之助は瞳を輝かせ、凛(りん)として叫ぶ。
「壇衛門、覚悟」
 もっていた菅笠を江戸の空に投げあげた。
 腰の赤鞘から、するりと白刃を抜かれた。

 野次馬が、わっとあとずさる。
「気をつけろ。熊谷は急にしゃがみこむぞう」
「そいでもって、下から刀をはらうつもりだぞう」
 だれかがご注進におよんだ。

 新之助の背後に、天秤棒をもった男たちも姿を見せた。
今日仕事がなかった富五郎長屋の棒手売りや佐官職人たちだ。
蒲鉾形(かまぼこがた)の目をした浪人者もいる。
 みんな真剣な目つきだ。
 その目には、若くてきれいなお雪さんの姿が映っている。
 白襷姿のお千も姿を見せた。
 長屋の少年少女たちといっしょだ。

 が、すでに新之助は全身全霊、剣の世界にむかっていた。
 覇気の塊になり、熊谷壇衛門のまえにひるがえっていた。
「やあ」
 軽々と跳び、間をつめた。

 空気のように何気ない所作だった。
 それは、想像以上に鋭く素早かった。
 ふいをつかれた熊谷壇衛門。
 体勢をととのえようと、あわててさがる。

 新之助はそれをさせない。
 右に左に音もなく動く。
 あわてた熊谷壇衛門がよろけかかる。
 新之助が、かぶさるように迫る。

「いまだ」
 声をあげる者がいた。
 野次馬のみんなもそう思った。
 剣が閃いた。
 自信満々の熊谷壇衛門だったが、勝負はやってみないとわからないものである。
 熊谷壇衛門は、からだを縦に回転させながら、橋の欄干から下におちていった。

 どっぽーん……と、水の音。