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化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助

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 一瞬のできごとだった。
 ばかばかしいくらい呆気なかった。
「熊谷壇衛門、こんどこそは逃がさぬぞう」
 新之助が欄干からのぞく。

 橋番もいっしょに肩をならべ、下の川面をのぞいた。
 川面に赤い血がひろがっていた。
 小舟が浮いていた。
 手拭で頬かぶりをした船頭がいた。
 水面の熊谷壇衛門の着物の襟を竿にひっかけていた。

「おーい船頭、どうだ」
 いつのまにか同心の姿があった。
 腰に赤房の十手を差し、黒い羽織を着ている。
 しかし、目明かしも手下も連れていない。
 髪はやわらかそうな赤茶毛で、喉が女のように白い。
 猫が物を見ているときのように、瞳が奥のほうでぱちっとはじけていた。

 船頭が、熊谷壇衛門を小舟にひきよせた。
「一刀のもとにやられて、死んでるみたいです、旦那あ~」
 頬被りの船頭が橋を見あげ、同心に報告した。
「みんな、聞いたか。新之助殿がみごと仇を討ったぞう。新之助殿がみごとに仇を討ったあ」

 同心は群衆にむかい、女性のような黄色い声をあげた。
 新之助の仇討ちを宣伝しているみたいだった。
「新之助殿が仇を討った。新之助殿が仇を討ったぞお」
 今度は、いままで二人を黙認してきた橋番だった。
 橋番は本来、橋の上の人だかりなどを規制する立場にある。
 だが顔を赤らめ、ここぞとばかりに叫ぶ。

 野次馬たちがどよめいた。
「死体をしらべる。どけどけ、どけい」
 茶髪の同心は大股で橋の袂まで行き、川岸におりた。
 同心の姿を見、船頭が小舟を岸に漕ぎよせた。

 同心が小舟に乗り移る。
 橋の上の群衆にむかい、また叫ぶ。
「たしかに熊谷壇衛門とやらは死んでおる。死体は回向院にはこび、検死を受けるであろう。みなの者、仇討ちはおわった。もう散れ、散れーい」

 赤い房の十手を頭上にかかげ、ぐるぐるふった。
あげた腕の袖がめくれ、茶色の産毛が細かく光った。
「みなさーん。かたまっていないで、散ってくださーい。散ってくださーい」
 橋番が、高らかに叫んだ。

 小舟は熊谷檀衛門の死体と同心を乗せ、大川にむかった。
 回向院は大川にかかる両国橋のむこう側にあった。明暦の大火をきっかけに建立された寺だ。身元不明の死体や犯罪人などを埋葬し、弔っている。
 義賊である大泥棒の鼠小僧の墓もそこにある。

 去っていく小舟に、旅姿の新之助と白襷掛(しろだすきが)けのお千が手を合わせた。
 長屋の連中も足もとにそれぞれの武器を置き、そろって手を合わせた。

6 
《お江戸はこんどの仇討ちでもちきりだよ》
 頬をふっくらさせ、ブチ猫がうれしそうに報告する。
《どうなってんのかって役人たちも不思議がってるだろ。あいててて、うー》
 トラ猫が地蔵堂の屋根裏の床に横たわっていた。

 傷ついたやわらかな腹を庇うように『の』の字の型に丸まっている。
刀の切先が腹をかすめたのだ。
 船頭は橋の下で待て、と茶髪の同心に命じられた。
 死人がふってきたら収容しろ、というのだ。

 小舟は死体と同心を乗せ、両国橋の回向院にむかった……。
 船頭は死体と同心を回向院の岸に残し、ひきあげた。
 死体も同心もそれきり消えた──。
《本物の同心が現れやしないか、熊谷壇衛門がひょっこりやって来やしないかって、冷や冷やだったけど、うまくいったね》
 ブチは目の奥を細め、尻尾で床を叩いた。

 奉行所は赤毛の同心について調べてみたが、なにもわからなかった。
 ともかく江戸の町のど真ん中、衆人環視のできごとだった。
 橋番の証言もあった。
 奉行所は仇討ちの事実を認めざるをえなかった。

《それで新之助なんだけど、三河様のお召しかかえを断ったんだってさ》
 ブチはつづけた。
《断った? どうしてだ?》
《いまは宮大工の親方のところで働いているよ》
《町人になったっていうのか?》
 ブチが白い鼻先でうなずく。

 そうか、とトラは横になったまま溜息をついた。
《あの少年は決心をしたんだ。そもそもが侍だったから、こんどのような運命になった。だから目的を果たしたいま、思い切って侍をやめようってな。きっといい大工になる。ちかいうち、瞳を輝かせた十五歳の、溌剌とした見習い大工の姿が見られる。それに笑顔もな》

《だけど橋の上の演技、けっこうよかったよ。ちょっとやりすぎだったけどね》
《やりだしたら、ついその気になりやがった》
《一瞬、もしかしてやられたのかって心配したほどだよ》
《あれだけの剣の腕をもっていたなんて、不覚だった》
 猫族がもっているしなやかさと敏捷さ。
 それでも切っ先が腹をかすめた。

《ねえ、熊谷壇衛門は、ほんとうに生きているんだろうか?》
 ふとブチが訊く。
《生きていれば、いまごろ江戸のどこかで空を見あげ、おどろいたりほっとしたりで、忙しい思いをしているだろ》
 このまま熊谷壇衛門があらわれなかったら、新之助は生涯笑顔を見せることもなく、仇相手を探しつづけていたろう。

 新之助少年は、そんな目的のためにこの世に生まれてきたのではないはずだ。
 ではなんのためにといわれても、猫のトラにもブチにもよくはわからなかったが──。
 ブチが丸くなったトラの背後からからだをよせた。
 二匹のぼさぼさの毛が一かたまりになった。

 トラとブチは、猫地蔵のお堂に住み、いつのまにか人を助けるようになった。
 そして、化け猫なのに変だとは思うが、今回の結末に満足し、うれしくなった。
 下駄の音がし、まただれかが願をかけにきた。
●了