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化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助

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 絣(かすり)の着物に前掛け姿だ。
 お地蔵様に願をかけにきたおかみさんのようだった。

 そのとき、表のほうから五、六人の男が姿を見せた。
 どたどたと溝板を踏む足音があわただしい。
 木戸番のおやじさんが先頭だった。
 黒い羽織を着た男もいた。
 みんな、そろって怒ったような顔をしていた。

「ここが梶原新之助殿の家でございます。こちらが当の本人でございます」
 先頭の木戸番のおやじさんが腰を折り、掌を上に、新之助の家、そしてそこに立っていた新之助を示した。
 屋根の上のトラとブチは、いぶかしげに見守った。
《なんだか変だよ》
《うん、なんだろう?》
 二匹が顔をよせ、丸い目をしばたたく。

 新之助のまえに、黒い羽織の男が立ちはだかった。
 男の羽織の帯には、赤い房の十手が挟まれている。
 ふだん、赤い房の十手は腰のうしろに隠されているが、いざとなると前横にもってくる。
 そして男は、めでたくもなんともないのに、いつもきっちりと羽織を着、一本の乱れもなく髪を整えている。

 町奉行の役人である。それは同心の正装であった。
 羽織の男の背後で、少年をむずかしい顔で見守る数人の男たち。
 路地にまろびでてきた長屋の連中が、無言で頭をさげた。
 一行は同心の原田仁兵衛のほか、名主の楢原総右衛門、大家(おおや)の川村伝兵衛、目明しの吉次郎、さいごは津田十郎と名乗る浪人者だった。

4 
「似顔絵をだせ」
 同心の原田仁兵衛が顎でしゃくった。
 新之助は家のなかに入ってすぐ『……元三河松平藩士……熊谷壇衛門也』と書かれた似顔絵をもってきた。
「こちらでございます」
 腰をかがめ、両手でさしだした。

 座敷の母親が、頬に翳(かげ)りのある青白い顔を表にむけ、妹のお千が母親にからだをよせた。
「そうだこの男だ。だがこやつはもう、この世にはおらぬ」
 同心の原田仁兵衛が、顎で似顔絵の男を示した。
 新之助は落ち着いた目の色で同心を見かえす。
「なぜかと言えば、死んでおるからだ」

 新之助は土間から半歩、路地に踏みだした姿勢のままだ。
「おまえが殺したのであろうが」
 同心は声をあげた。
 新之助の目が、かすかに細くなった。
だが、あわてているようすはなかった。

「殺してなど、おりません」
 青白い頬がひきしまる。
「偽りをもうすでない」
 同心は厳然と言い放つ。
「赤鞘の刀を腰に差したおまえは、その絵の男を追いつめた。そして斬った。そうであろう」
 同心は斬ったのところで羽織の袖をゆらし、あげた手を斜め横にはらった。

 だが、新之助にたじろぎの気配はなかった。
「でも討てなかったのです。逃げられたのです」
 幕府の役人である同心に、はっきり言い返していた。
「なにを申すか。そもそもおまえは三河松平の城下で、辻斬りを一刀のもとに斬り殺しておる。十二の歳でな。熊谷壇衛門との果たし合いは二年後の十四歳のとき。剣の腕がおちたなどとは言わせぬ」

 屋根の庇の上のトラとブチが、思わずにゃうと鳴いた。
 十五歳の紺袴(こんばかま)の新之助少年は、ものすごい剣の遣い手だったのである。
「結論をもうす。おまえは仇討ちを偽り、日銭を稼いでおるのだ」
「いいえ、そのようなことは」
 新之助は真摯な瞳を凝らし、そっと首をふった。
「わたしはいまも熊谷壇衛門を追っております。仇を討ちましたら国元に帰り、仕官を願い出るつもりでございます」
 同心の目が、するすると怒りの色に変わろうとした。

 とっさに横から、富五郎長屋の大家、川村伝衛門が口を挟んだ。
「新之助、けちな商売はやめるんだ」
 名主の楢原総右衛門も口をそろえる。
「新之助とやら、いまからでも遅くはない。あたらしい人生を見つけるんだ」

 新之助は唇を噛み、眼前の虚空に目を据えていた。
が、その目は三白眼となり、はたと宙を睨んだりなどはしていなかった。
妹のお千のように、澄んだ色のままだ。
 しかし、同心の息は荒かった。

「いまおまえは、熊谷壇衛門を斬ったが逃げられたと申したな。腕が鈍ったのか。腰に赤鞘の刀を差したおまえは、川に流れた死体をけんめいに探した。仇を討った証拠がなければ認めてもらえないからな。しかし、下流を歩き回っても、とうとう見つからなかった。

われわれは名主の楢原総衛門さんや大家の川村伝衛門さんの依頼をうけ、熊谷壇衛門についていろいろ調べた。街道筋のやくざの親分たちからもいろいろ訊き、おまえの父親が仕えていた三河の松平藩にも手紙を書いた。そしておまえが、とんでもない剣の遣い手であるという事実を知った。

たまたま小田原の宿にちかい根布川(ねふがわ)のほとりで、赤鞘の刀の少年の斬りあいを見たという者にも訊き込んだ。ほかにもかなりの目撃者がでてきた。そのときの一人がこちらの津田殿でござる。江戸への所用のついでにご足労を願ったのだ。津田殿、いかがでござろうか」

 同心が、すぐうしろにたたずむ、浪人風情の男をうながした。
 浪人の津田という男は、用意のできた真面目顔で、はあとうなずいた。
「忘れもしません。なにしろ赤い鞘を腰にたずさえた細身の少年が、恐ろしい剣の遣い手であったので、いまでもはっきりと覚えております。相手は血飛沫をあげ、川に転落いたしました。死体が見つからなくても、あれでは命のあろうはずがありません。その少年は、こちらの新之助とやらに間違いはござりませぬ」

 そのときを思いだすかのように、津田は、おどろきの眼で少年を瞠(みは)った。
 名主の楢原総右衛門が口をひらく。
「じつは我々はあなたがた一家を助けようと思い、いろいろ調べた。ところが調べていくうちに、熊谷壇衛門が見つかるどころか、妙な具合になってしまったのだ。とにかくここは事情を考慮し、一日だけ猶予をあたえる。即刻、江戸を立ち去りなされ」

 名主は御上公認の町の支配者だ。命令は絶対である。
「親の仇を偽り、大衆の心を偽り、銭を集めるなどとはもってのほか」
 同心の原田仁兵衛が口上を述べた。
 腰にさした赤房の十手の柄に右手を乗せ、背を反らす。

「心苦しいが、とにかく明日ここをでていきなさい」
 大家の川村伝兵衛も宣告する。
 目の前に嫌なものでもあるかのごとく、わざと顔をそむける。
 結論は、みんながここに来るまえに出ていたのだ。

「しかと、申し伝えたであるぞよ。しからば、ごめん」
 同心の一言を残し、全員がそろって背をむけた。
 問題が解決したいま、一秒たりともその場になどいたくないという態度だ。
 一行は溝板を踏み、表にむかった。
 来たときと同じ怒ったような足音だ。

 長屋の連中はだれも口をきかなかった。
 無言のまま、一人二人と家にひっこんだ。
 長屋は、人など住んでいないかのように静かになった。
 新之助は敷居をまたいだ姿勢のままだった。

「新之助……新之助」
 母親のお雪が、細く呼びかけた。
「いまのお役人様のお言葉は、まことにございますか?」
 いっそう顔色が蒼かった。

「いいえ母上、あの男は生きております」
 新之助がゆっくりかぶりを振った。
「では、なぜお役人様にそう申し上げなかったのですか」