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答えを出してくれる歴史

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 確かに、先生と話をしていると楽しいし、時間を忘れるくらいに充実している。
「こんな気持ちになったの初めてだ」
 と思っていた。
「異性を好きになる」
 ということが、こういうことだっただなんて、自分でも思わなかった。思春期がなかったわけでもないし、
「異性を意識する」
 ということを考えたことがないわけでもない。
 それなのに、同級生の男の子を好きになるということはなかった。
 どうも、同級生の男の子は好きになるという感覚ではなかった。
「どこか幼い」
 という感覚だったからだ、
 みずきは、小学生の頃から他の女子に比べても発育は発達していた。だから、他の女子に比べても、男性を見る目というのは、結構、しっかりしている。
「女子は、男子に比べて、発育は早い」
 という意識は小学生の頃からあった。
 特に、初潮だって、小学生の頃からあったのだ。
 最初はビックリしたが、このあたりの話は母親から聞いていたので、必要以上にビックリというのはしなかった。
「あんたは、他の子に比べて、成長が早いからね」
 ということだったからだ。
 成長の早さは、自分でもわかっていた。何といっても、身長が高いので、まわりから、
「丈夫で、頑丈だ」
 という意識を持たれていたようで、男子からも一目置かれていた。
 だから、みずきも、自分でそのつもりだったようで、そのおかげで、自分の体の大きさに、コンプレックスを持つこともなかった。
 苛められている子がいれば、
「助けてあげよう」
 と思うくらいで、こういうのを、
「女だてらに」
 と言われるのかもしれない。
 だから、
「男の子を助ける立場」
 ということをずっと考えていただけに、
「男の子と付き合う、淑女」
 というイメージが、自分でも湧いてこなかったのだ。
 中学生の多感な時期、
「彼氏がほしいな」
 と思った時もあったが、その心の奥では、
「私に彼氏なんて」
 という意識が強かったのも、本当のことである。
「彼氏を作るなんて、諦めよう」
 と思っていたのだ。
 好きな男子がいないのも、事実であり、どうしても、まわりの同学年の男の子が、
「頼りなく感じる」
 のであった。
 かといって、上級生を好きになることもなかった。
 上下の差は、小学生の頃から感じていた。
 特に低学年の頃から見て、高学年のお兄さん、お姉さんは、年齢以上の差を感じていたのだ。
 それは、小学生の頃という時期が、結構長く感じられたからではなかっただろうか?
 あの頃は、毎日が、なかなか過ぎてくれなかった。徳に一週間の長さというのは、すごかった。
 月曜日一日学校に行っただけなのに、まるで、もう、金曜日くらいの感覚だ。
 というほど、長く感じられたのだった。
 そのくせに、
「一年間というのはあっという間だった」
 と思っていた。
 三年生の頃などは、あっという間に過ぎた気がした。
 ただ、一年生の頃を思い出すと、思い出せないくらいに、総統前だったように思うところが不思議だった。
 ということは、
「その時々の時間の単位で、感じる思いはバラバラだったということか?」
 と感じた。
 中学生になってから、また同じ感覚に陥っていたのだが、
「思春期に入ってから感じるのは分かるが、小学三年生の頃にも感じていたなんて」
 というのは、後から思い出すことができたからだ。
 それも、
「前にも同じ感覚に陥ったことがあったような」
 という、その時に、言葉は知らなかったが、いわゆる、
「デジャブ」
 と呼ばれる現象だったのだ。
 デジャブという言葉を最初に聞いたのは、中学三年生の頃だっただろうか。友達と話をしていて出てきた言葉だった。
「それをデジャブというの?」
 と聞くと、
「ええ、そうよ。私は、この現象のことを知るまで、こんなのは、私だけの異常な感覚なんだと思っていたけど、皆そうだって分かって、今は安心している」
 というではないか。
 それはみずきにも言えることであった。
 そんなデジャブという話を聞いたとき、
「ああ、この感覚は、子供の頃に感じたもので、ひょっとして、人を好きになったこと、今までになかったと思っていたけど、ひょっとするとあったのかも知れない」
 と感じたのだった。
 誰を、そんな気持ちで好きになったのか?
 というようなことは分からない。
 だが、確かに、
「好きになった」
 ということは憶えている。
 だけど、今回、好きになった先生への思いは、今までの感覚とかなり違っているのではないかと思うのだった。
「上級生に対しては、これほど警戒心があったのに、先生に対しては、信頼感と、委ねたいという気持ちが素直に出てくるなんて」
 と感じた。
 それは、
「先生の優しさに、何ら下心を感じなかったからだ」
 と思った。
 それもそのはず、下心どころか、先生は、最初から警戒心を持っているからである。
 それは、もちろん、
「女生徒と、恋愛感情に陥ってはいけない」
 という思いであり、先生は、どちらかというと逃げ腰だったのだ。
 みずきは、相手が逃げようとすると、
「逃がさないわよ」
 という感覚が以前からあった。
 その感覚のおかげで、今まで、
「狙った獲物は逃がさない」
 と思ったことは成功してきた。
 それだけ真剣に向かい合っているからであり、高校受験も、難なく合格できたのだ。
 とは言っても、努力はした。
「人の数倍努力をした」
 といってもいいくらいだっただろう。
 努力というのは、
「意識してするものではない」
 という言葉を聞いたことがあったが、みずきは、
「そうではない」
 と思っていた。
「努力は、意識しないとできないもので、目指しているものがハッキリとしていないのに、何が努力なのだ」
 という思いだった。
 それはそうだろう。
 どこを目指しているのかハッキリしないのに、目指すというのは、本末転倒でしかないのだと思っていた。
 もちろん、その通りであり、勉強もそうだが、他に目指すものを達成させるためには、
「計画性を持ってやらなければいけない」
 ということであった。
 どこをどのように目指しているのか、
 それを考えると、
「いつまでに、ここまでやって、その次は、ここからここまで」
 というような、
「そう、文章でいえば、起承転結というものがハッキリしていて、それが、文章の長さであったり、ストーリー展開だったりするのだ」
 ということだ。
 途中で、うまくコントロールできないと、先に進まない。それが、
「努力」
 であり、
「目標達成への道だ」
 ということになるのだろう。
 ただ、恋愛というのは、そういうものではない。
 何が違うといって、
「相手がいるいないの問題」
 であり、
「努力して、自分向上のための目標は、相手があったとしても、関係ない。自分との闘いなのだ」
 ということになるのであった、
 それが恋愛感情であり、
「先生を好きだ」
 と感じた思いだったのだ。

                 大団円

 二人は、結局、一線を越えてしまった。
「先生が、我慢できなかったのだろう」
 といってしまえばそれまでだが、
「果たしてそうなのか?」