猫の女王
うららはおどろきながらも、身に覚えがあるような答えかたをした。
「そうです。あなたは間違いなく日ノ元族の猫の女王様なのです。あなたは女王様として、どんな困難にも負けず、立ちむかってゆこうとする力をその目の奥にたくわえています」
米田トメが誇らしげに微笑(ほほえ)む。
「女王様って、小さいころからやってはみたかったけどね」
そこまで言われたうららは、緊張感をほぐそうと、くだけて応える。
「これは遊びじゃないんですよ、うららさん」
この一日、銀次郎はたくさんの鬼花郷の猫と戦った。
三毛猫の牡という運命で超人的な力を発揮し、幾つもの肉の塊(かたまり)を地面に転がした。
やらざるを得なかった。
三毛猫の牡である自分が、天から与えられた力を活用しなかったら、日ノ元には大きな力が生まれなかった。
「昼間は刑事、夜は猫の女王、という訳にはいかねえのかなあ」
自分で言っておいて、無理だろうな、と首をかしげる灰猫の八田刑事。
いつの間にか一行が公民館にむかい、ゆっくり歩きだす。
「そのローテーションは難しいかもしれませんが、青いマタタビでいつでも人間になり、黄色いマタタビでまた猫になれます。ただし、今、黄色いマタタビは品切れです。リビアの国情が悪いので、今度はいつ運ばれてくるのか分かりません。ですから当分のあいだ、行き来は控えざるをえません」
米田トメが、ちょっとした注意と説明をあたえる。
「私、日ノ元族のために女王様やってみる。それで私、女王様としてなにをすればいいのでしょうか?」
気を改めるように、うららが明るい声で米田トメに訊ねる。
「はい、なにもしなくていいんです」
米田トメは、すまして応える。
「なにもしない? じゃあ、女王様は毎日なにをしているんですか?」
「世の中を優(やさ)しく、毅然(きぜん)として見守っていればいいんです」
ことさら眉をしかめ、きりっとした顔を見せる。
5
実際には、日ノ元郷でおこるすべての出来事を頭に入れ、判断にまちがいのないよう記憶しておかなければならなかった。
きびしい日常ではあったが、時とともに馴れてくるのである。
その慣習が、二千五百年を越えた民を中心にした日ノ元郷の平和の歴史を育んできたのである。
灰猫の八田刑事が優秀な部下だと自慢するとおり、うららはその能力を代々の遺伝子レベルで受け継いでいたのだ。
「女王様は日ノ元族にとって、大いなる誇りなのです」
米田トメの三匹の従者(じゅうしゃ)が、声をそろえる。
「女王様がいるだけで、日ノ元の猫には勇気が湧いてきます」
「女王様がいるだけで、日ノ元の猫に生きる力がみなぎります」
「女王様がいるだけで、この世の悪は自然に逃げ、世の中は平和になります」
「私は刑事だよ。悪は許さない。同じ信念ならやりやすいね。で、女王様のお屋敷とかってあるんですか。そこで大きな椅子に座って王冠(おうかん)かぶって毅然(きぜん)としていればいいですね」
うららは、脳裏にあった女王様のイメージを確かめた。
「いいえ、女王様のお屋敷はありません」
米田トメは、きりっとした厳(きび)しい顔つきのままだ。
「女王の椅子も王冠もありません」
「じゃあ普段はどこにいるんですか?」
「縁の下とか藪(やぶ)のなかとか、扉のこわれた倉庫や物置の片隅とかです」
うららは、ええっ? と声をもらしかけた。
「女王様にふさわしファッションとかはどうなんですか?」
「もちろんありません。縁の下に王冠をかぶって着飾った野良猫がいたらおかしいです。ありのまま、野生のままがいいんです。生き物は自然のままの姿が美しいのです」
「うらら、野生がいやなら人間になって日ノ元郷猫族を見守ったらどうだ」
八田が提案した。
「いいえ、七千代署(ななちよしょ)の署長あてに『一身上の都合により』と辞表(じひょう)書きます。そしてときどきに人間になって、日ノ元の猫たちを守ります」
うららはきっぱりと言いきった。
「女王様、私がネコババアのとき、実は女王様にふさわしい棲(す)み家(か)を見つけておきました。団地の裏の丘の上の森のなかに、神主(かんぬし)のいない古い立派な神社があります。建物はしっかりしているし、正面の左右に巨木が立ち、木立の間からこぼれる太陽に照らされ、静にたたずんでおります。
もしかしたら、遠い昔からあなたがくるのを待っていたような気がします。時々近所の農家の人が掃除をしにきますが、人気(ひとけ)はありません。そこを密かな日ノ元猫族の本拠地にしたらと考えました」
米田トメは、そこまで考えながら女王の行方を探していたのだ。
「そういうことなら、うららや日ノ元の猫たちがそこに住めるように、俺も人間にもどったとき、うまいこと役所に働きかけてみるからな。大事な部下を野晒(のざら)しにはさせねえよ」
「それならうららさん、おれは修行をしてその神社の神主になる。そして女王様もみんなも守ってやる。とりあえず人間にもどったら、団地のおれの部屋に猫用のふわふわの座布団用意しておきます」
「とにかく女王様がいらっしゃれば、鬼花族も他の猫族ももう手をだしません。なにかがあれば日ノ元族は女王様のため、多くの日ノ元郷猫族のため、一致団結して戦うからです。これで一安心です」
米田トメは薄茶の毛をなびかせ、歩を進めながら頭上の月をあおいだ。
「女王様、行方不明だったあなたの赤ちゃんが立派に成長し、やっと日ノ元郷に帰ってきました。日ノ元郷猫族は、日ノ元の歌のとおり、利己に迷わされることもなく、静かに力強く平和を維持し、生きていきます」
米田トメの祈りとも決意とも取れるつぶやきを聞きながら、一行は公民館にちかづいた。
公民館の前では、知らせを聞いて集まった大勢の日ノ元郷の猫たちが女王の到着をまっていた。