猫の女王
「みなさんは今、大変な仕事をこなそうとしています。取り乱さずに進んでください。無事に任務を終えたあと、うらら、いいえ女王様はあらためて皆さんにお礼の言葉を申し上げるでしょう」
日ノ元の猫たちは、乱れた列を立てなおし、歩調をととのえ、進みはじめた。
その列を眺めていた女王のうららが、ふとなにかに気づいた。
「みなさんよろよろしているので、なれない二足歩行に途惑っているのかと思ったけど、よく見たらお年寄りばっかりじゃないですか。どうして?」
真上からの月の光りで、顔が陰になっていることもあった。
うららに指摘され、はじめて気がついたのだが、三毛猫の銀次郎と灰猫の八田にも、どうしてなのかは分からなかった。
「ちょっと、マダラのところにいってきます」
銀次郎が、列の進行方向に走りだした。
3
あわただしく、銀次郎がまた戻ってきた。
「お年寄りたちは、決死隊だそうです。むこうに着いたとき、鬼花郷(おにはなごう)のサビ猫たちに虐殺(ぎゃくさつ)される可能性があります。鬼花郷のサビ猫たちは、気に食わないとき、なにをするか分からない衝動的な猫族なので、覚悟ができているそうです。新しい女王のため、日ノ元族のみなさんのためなら命はいらないと」
そう告げながら銀次郎もそれを聞いた八田も、われ知らず気おつけの姿勢になった。
うららも背筋をのばし、姿勢を正した。
が、すぐにいつものうららにもどった。
「やつら、じじばば集団に気づいたら、やっぱり怒るよ。勝利の宴会(えんかい)なのだから、酒と女と料理が常識だしね。皆殺しどころか、腹いせに予定どおり団地内や日ノ元郷地域に乱入し、強奪(ごうだつ)や虐殺(ぎゃくさつ)、強姦(ごうかん)をはじめるかもしれないよ」
「その点は重々承知しているそうです」
銀次郎がマダラに代わって答える。
「向こうに着いたら、米田トメさんに言われたように、こう申し立てるそうです。『急遽(きゅうきょ)、宴会用に百名の娘たちを集めましたが、いま化粧中です。失礼があってはいけないので、念には念を入れて化粧をし、衣装もなるべく艶やかなものを選んでおります。身支度(みじたく)をととのえたら、すぐにオモテナシをするためにやってくるでしょう。日ノ元族のコンテストで集めた美人の『大喜び組』です。もちろんお持ち帰りは自由です」
「コンテストで集めた百名の『大喜び組』だって? このさなか、そんな大勢の美人が集まったのか?」
八田が、へえ? という顔をした。
「いいえ、すべて嘘です。美人もいません。とにかくそうやって期待させ、全員にもれなく酒を飲んでもらうんだそうです。飲べ物にも赤い粉が降りかかっているそうです。飲食さえしてもらえれば、こっちのものなんです」
八田とうららと銀次郎は、仲良く相槌(あいづち)をうった。
「あいつらは意地が汚いから、絶対うまくいくそうです。もしトラぶってなにかあったときは、真っ先にマダラたちがやられる覚悟なんです。しかし、いざとなったら公民館やその周辺に待機しつつある日ノ元郷猫族の壮年や中年や若者たちが出動することになっているのです。今、この別動隊は隊を組み、準備を整えております」
日ノ元族の長きにわたる沈黙からの脱出は、以心伝心(いしんでんしん)で日ノ元郷に伝わりつつあった。
夜中の月影の中を、行列が進む。
道の端に立つ女王に無言で頭をさげていくが、もう足取りは乱さない。
やがてじじばばの列は途切れ、最後尾の影が団地の棟と棟の谷間に消えていった。
銀次郎も八田も、背後や周囲にあらためて目をむける。
追跡者たちの姿は、やはりない。
行列が去ったあとの静けさが、カスミのようにただようばかりだ。
その静寂(せいじゃく)が、人と共に生きた二千六百年の歴史ある日ノ元郷猫族たちの目覚めを待っているのだ。
団地はいつもと変わらず、古いコンクリートの塊となり、無機物(むきぶつ)の沈黙を守っている。
「いまごろ鬼花郷の連中は、うららはどこだ、どこにいったと騒いでいるでしょうね、八田さん」
「合唱隊の隊長のクロと、実質裏ボスの片耳の二匹がトイレをのぞいてうろうろしているだろうな。はははは」
八田は笑った。
だが、すぐにまじめ顔にもどった。
「ニャンコ・イビリヤーノなどと名乗った目の細い男の背景は、はっきり掴めなかったが、とりあえず日ノ元族は、自分たちで行動し、抵抗しなければならないことを知った」
「でもあいつらは、隙があればまた日ノ元郷を乗っ取りにくるね」
「うららがいるから大丈夫だ」
八田は自信あり気だった。
「という事は、うららさんはもう刑事にはもどらず、女王様に専念するんですか?」
銀次郎の問いに、八田は今さら気づいたように、そうだなあ、そうなるかなあ、と溜息をついた。
日ノ元の三匹のガードマンに囲まれ、先を歩いていたうららがふり返った。
「なにを後ろでこそこそ話してんのよ。八田さん、今なんではははって笑ったんですか?」
うららが、肩と背の白毛を夜のそよ風になびかせる。
「片耳がうららに夢中になって、クロと喧嘩までしてな。やる気まんまんだったそうだ」
八田は女王を軽くからかう。
「やる気まんまんて、なにがよ。面白がってる場合じゃないでしょう」
「公民館に急ごう」
もっと言いたそうなうららの口を塞ぐように、銀次郎が背後に警戒の目を光らせ、会話にけりをつけた。
月夜の団地内の路を、六匹の一行が公民館にむかい、行列がとおり過ぎた道を小走りに進む。
建物と建物にはさまれた静かな道である。
そろそろ公民館が見えるころ、路上に四つの影が現れた。
4
「うららさあーん。お嬢さまあー」
そのうちの一匹が手をふった。
「女王さまあー。ずいぶん探しましたよー」
ネコババアの米田トメだった。
他の三匹は、朝の団地でネコババアがいつも話しかけていた猫たちである。
公民館で待っていられず、一足先に会いにきていたのだ。
うららたちの一行の足がゆっくりになる。
「ご立派になられてなによりです」
米田トメが、ちかづくうららに頭をさげる。
「おきれいになられまして」
米田トメについていた三匹もそろって頭をさげる。
「陰ながら、これからずっとお供をさせていただきます」
「なんでもお申しつけください」
「どうして私が猫の女王ということになったんですか?」
当然うららは米田トメに訊ねた。
米田トメは、知っているいきさつを手短に話した。
「あなたのお母さんは、赤ちゃんポストではありません。日ノ元族の猫の女王様なのです。お母さんは事故に遭(あ)われて亡くなりましたが、助かったあなたは神様の力で大きく成長し、ヒノモト族が困難に直面したこのとき、私たちの目の前に現れたのです」
うららは、施設の寮母(りょうぼ)さんが教えてくれたいきさつを思いだし、左のお腹の親指大の焼け跡に手を当て、そっとなでた。
ドラ猫合唱隊の隊長のクロが、舌をだして舐(な)めようとした場所だ。
「私、やっぱり猫だったんですね。猫になったとき、なんだかすっきりした気分になって、変だな、似合ってんのかなって思ったけど、まさか本当に猫で、しかも日ノ元郷猫族の猫の女王だったなんて」