猫の女王
16 わたしが猫の女王
1
廃業の興業銀行から、公民館にむかう道のなかばだった。
猫の集団と出合った。
月の光を浴び、ぞろぞろ続いた。
夜の十一時ころだ。
通勤圏内ではあるが、都心から離れた日ノ元団地の人影は、すでにとだえた。
草木も眠る丑三(うしみ)つ時だ。
先頭に立ち、日ノ元のオモテナシ一行を誘導しているのはマダラ猫だった。
公民館を守る警備係から、今度は宴会隊(えんかい)のリーダーになっていた。
その後ろには、酒樽(さかだる)を積んだ左江子さんと植松さんの台車(だいしゃ)部隊。
「みなさん、偉大なる帝国の復興を目指す鬼花郷(おにはなごう)の方々に、粗相(そそう)のないオモテナシをいたしましょう。そのために、われわれも頑張りましょう」
皮肉をこめた激励(げきれい)である。
みんなも自分たちの使命は分かっていた。
左江子さんと植松さんは、自分たちが食事になにを配っていたかを灰猫の八田から知らされ、大いに反省した
台車には、公民館に備蓄(びちく)されていた酒が積まれ、それぞれに数匹が取りついている。
続く猫たちの大小の皿の上の食べ物も、やはり公民館に備蓄されていた災害避難用の缶詰類だ。
今の缶詰は猫にも便利で、蓋(ふた)についたブリキのレバーを引けば、ぱかっと開く。
日ノ元族の猫たちは、なれない二足歩行にふらつきながら、オモテナシ遂行のため、ぞろぞろと大通りに面した廃業の銀行をめざした。
伝令のシロアシが飛んで帰って、宴会場所の変更を報告してから十分もたたないうち、準備は完了した。
もっとも、管理事務所前に運ぶ予定の酒や食べ物を、銀行のほうに変えただけである。
酒には、マタタビの赤い粉が仕込まれた。
その酒を飲んでいい気分で酔うが、即座にころりとは逝かない。
翌朝、気がついたときに干乾(ひから)びているという計らいだ。
興業銀行にむかうマダラに率いられた一行が、はっと緊張した。
「女王様だ」
「女王様だ」
声があがった。
「うらら本人が公民館に着くまでは、女王様の発見は知られないようにと注意しておいたのに、どうしたのか?」
灰猫の八田の心配事が当たったのか。
女王の発見は、当然、人間になって長年探し続けていた側近(そっきん)の米田トメに報告しなければならなかった。
それを聞いていたまわりの者たちが、騒いでしまったのだ。
情報はたちまち伝播(でんぱ)した。
そして道のとちゅうで、女王の姿を目撃したのだ。
感激のあまりに騒ぎだし、行進をとどこおらせた。
行列の先頭にいたマダラが、あわてて公民館にむかう銀次郎のところまで、逆走してきた。
うららに目礼し、銀次郎の耳元でささやく。
「銀次郎さん。このままでは女王様の存在がやつらにばれ、なにが起こるか分かりません。女王様に一言『今は大事な任務の遂行中です。あとで挨拶いたしますので、私の件で騒いではなりません。冷静に落ち着いてお勤めを果たしてください』とおっしゃって頂くようにお願いします」
マダラはそう告げ、再び、銀行にむかう列の先頭にもどっていった。
リーダーとして、全体を先導しなければならないのだ。
うららもこれらの会話を聞いていれば、なにかが変だなと気づく。
女王様にお願いするなどと話しているが、そこにいる女性はうららだけだ。
ハニトラを仕掛け、これからというとき、救援隊とやらに連れだされ、なぜなのかの説明もないままだった。
「高田銀次郎、いったい何事だっていうのよ」
「うららさん、あとで申し上げます」
銀次郎は背後を警戒しながら、うららを急かした。
「八田さん、なにがあったんですか?」
うららは上司の八田刑事にも聞きなおす。
「いろいろあるんだけど、とにかく今は逃げるほうが先でございます」
銀次郎と八田は『申し上げます』とか『ございます』とか、自分に対して使ったことのない言葉づかいを見せた。
そして、背後に目を走らせ、耳をそばだてている。
さすがに、うららも気づく。
「もしかしたら、女王様って私のことみたいなんだけど?」
公民館を出発した行列は、足踏み状態をくりかえし、ゆるゆると進む。
行列の男や女が酒瓶(さかびん)や皿を抱えながら、自分にむかって頭をさげる。
警護の三匹の日ノ元族の猫と背後の銀次郎と八田にはさまれたうららに、気づかれないわけがない。
2
「そうです。申し上げます。実は日ノ元郷の日ノ元猫族の女王様はあなただったのです」
どうやら追跡者はいないらしいと判断した銀次郎が、急ぐ足をゆるめ、決心して告げる。
「女王様だ」
「女王様あー」
「行方不明の女王様が見つかった」
行列からもさかんに声があがりだす。
「女王様? 私が女王様だなんて」
うららは、空色の目をまたたかせる。
「女王様としてのはっきりした証拠があるそうです。代々女王様に仕え、人間になって女王様をさがし続けていた女性が、公民館で待っています」
「私が猫の女王……私は猫だったって言うの?」
「そうなんです。あなたはもともと猫だったんです。しかもこの、日ノ元郷を歴史的に支配している猫の女王様だったのです」
「ちょっとちょっと、なに言ってんの。いったい、どういうこと?」
銀次郎の説明を聞き、うららはあわてた。
「うらら、いや、女王様、そうなんです。ですから今マダラが頼んだその用件を、はやくみんなに伝えてやってくださいませんか」
八田は馴れぬ言葉をつかい、舌をもつれさせた。
まさか、自分が猫で、しかも女王だったなんて……。
うららは、うーんと低くうめいた。
いきなりそんな宣言をされれば、誰だって衝撃を受ける。
頭のなかの空間に『猫の女王』という言葉が危なっかし気に浮かびあがっている。
しずしずと進みだそうとしていた行列が、女王の前で停滞し、また大きく膨らみはじめていた。
「女王様あー」
あちこちから声があがる。
がやがやわいわいと騒ぎが大きくなる。
「女王様、先ほどのマダラの一言をお願いします」
銀次郎がうららに訴える。
一瞬、ぼんやりしかけていた気持ちを引き寄せ、うららは、はっとなる。
『そうだ、日ノ元郷を救わなければならないんだ』と気を引き締めなおし、息をととのえた。
「みなさんに申し上げます。私はのちほど正式に挨拶をいたします。今は大事な用件が先です。ここで立ち止まらず、列を乱さずに進んでください」
うららは行列の進行方向に右手を差し伸べ、頭をさげた。
とりあえずの行為ではあったが、もしかしたら自分は本当に猫の女王になったのかもしれないと、そのときに感じた。
じつは、猫になってからというものの、猫の血を引いているようにからだがすっきりし、気分もずっと快適だった。
女王の言葉に、行列がかしこまった。
「ううう……」
静かにどよめく。
「女王様……」
「日ノ元郷の女王様……」
うららは、大勢から向けられる真摯(しんし)な視線と緊張した空気のふるえを全身にうけとめた。
はじめて女王の姿を目にする、日ノ元族の猫たちの瞳がうるむ。
むむむと唇をふるわせ、酒瓶を抱えながら泣きだす者もいる
八田がふたたび行列にむかい、激励(げきれい)する。