猫の女王
15 ディスコクイーン
1
銀行の裏口は、従業員の通用門だ。
廃業後はシャッターがおりたままだったが、端にあったドアのストッパーが完全閉鎖をじゃまをしていた。
シャッターをおろした従業員か関係者は、異物が落ちているのにも気づかなかった。電動だから閉まるのが当たり前だとばかり、確かめもせずに帰っていったのか。
そこには、猫の出入りができるわずかな隙間があった。
大きく開ければ人の出入りも可能だ。
そのシャッターの前に、警備の三匹のサビ猫が酒臭い息を吐き、ひっくり返っていた。
酒は、ネコババアである米田トメの転機で配られた。
「そこではありません、こっちこっち」
シロアシは、シャッターの横をとおりすぎた。
窓もなにもない、ノッペラボウの建物の裏側だ。
垣根をへだてたその左側の公園では、山奥育ちのサビ猫たちが、まだ盛んにくだをまいていた。
建物の裏壁と垣根のあいだの狭い通路を半ほどまできたとき、シロアシが足をとめた。
「これは、私が発見した秘密の出入り口です」
シロアシが喉を見せ、頭上をあおぐ。
壁に大きめの換気扇(かんきせん)がついている。
その換気扇の扉が外側に跳ねている。
「よく見てください。あの跳ねている外扉と換気扇の羽のあいだの隙間、猫ならすり抜けられるんです」
猫は頭が入れば体も入る。
「いきます」
シロアシが身をかがめ、ジャンプした。
かしゃんと、換気扇の外扉をゆらす音がした。
かと思うと、シロアシの尻尾がするっと内に消えた。
「銀行強盗の気分だなあ」
換気扇を見あげ、灰猫の八田がつぶやく。
三毛の銀次郎が続く。
そこは、茶室だった。
八田と警護の三匹も、次々に入ってくる。
シロアシがドアの内レバーにぶらさがり、出入り口を開けた。
空間から、どっと流れこむにぎやかな音。
「大騒ぎです」
シロアシはさらにドアを開け、外のようすを確かめる。
騒音のカタマリが、二帖の茶室いっぱいにあふれる。
『どこどこでけでけ、どこどこでけでけ』
『きやっきやっ、きゃあきゃあきゃあ』
『わあーわおーおー、わあわおーおー』
ディスコ音楽だ。
若い牡猫(おすねこ)の楽しそうな悲鳴。
牡たちの歓声。猫同士の雄叫び。
騒ぎに乗じ、怒鳴って喧嘩をしているやつもいるようだ。
2
「ディスコ音楽のセットは、日ノ元団地の人間の若者たちが廃墟の建物の内部で密かに楽しんでいたものを発見し、使っているんです。廊下には誰もいません」
シロアシが廊下にでると、あとについて五匹も外に踏みだす。
せまい廊下の空間に、四方八方、騒音が跳ねかえる。
「応客用の広間をのぞいてみましょう」
応客業務の広間には、客をむかえるカウンターがあった。
その内側には、出納(しゅつのう)業務をおこなう事務机がならんでいる。
シロアシは、廊下の壁に立てかけられた衝立(ついたて)や、外したドアや看板の隙間に、ごそごそと潜りこんだ。
なかが空間になっており、垂木(たるき)や角材などが乱雑に立てかけられていた。
角材のあいだから入っていくと、壁に穴が開いていた。
騒音がさっきよりも大きく聞こえてきた。
その壁の穴をくぐり抜けると、目の前が鉄板の壁でふさがれた。
しかし、そこにも穴が三つ、横にならんでついていた。
「貸金庫の棚の裏側に着きました。ここに穴を空けたのは、忍びこんだ本物の金庫破りです。棚になった金庫ですから、ボックスがならんでいます。そのボックスも裏側に穴が空いています。でも強盗は、貸金庫はすでに完全に空だと気づき、引きあげました。ボックスは閉まっていますが、鍵は三つとも私が内側からはずしてあります。このボックスを後ろから押しだし、穴から入りこんで細長いボックスの中の内側を這っていき、先端から顔をだせば銀行内のフロアが見渡せます」
「七千代署の管内で、金庫破りをやったやつがいるのかよ。署にもどったら捕まえてやるからな」
灰猫の八田刑事が金庫の壁の内をのぞき、開けられた穴の縁を猫の手でなでた。
銀次郎は言われたように、ボックスのなかに潜りこんだ。
真っ暗な長細い四角の空間の先のほうに、明かりが漏れていた。
どどどっとディスコ調の大音響とともに、奇声にも似た楽し気な囃(はや)し声や、興奮した叫び声が飛び交う。
男の人間の笑い声も聞こえる。
銀次郎は、冷たい鋼鉄のボックスの内側を、這って先のほうまで進んだ。
額を鍵穴のある先端の鉄板にこすりつけるように、そっと首をのばした。
あっと声をあげそうになった。
眼下のカウンターのむこう側は、右も左も大勢のサビ猫で埋まっていた。
リズムに合わせ、全員が頭とからだを揺すっている。
中央の応接カウンターの上では、音楽にあわせた十二、三匹の美女が腰をくねらせていた。
その真ん中で、真っ白な毛色の猫がピンクの腰布をゆらし、存分に色気を発散させていた。
右手に、ひろげた扇子をかかげている。
銀次郎は、うららーと叫びそうになった。
まちがいなかった。やけに色っぽい。
そうやって腰に布を巻いて身体をくねらせ、太腿(ふともも)をちらちらさせると、下からのぞきたくなる。
うららをはさんで踊る二匹の若い牝(めす)は、二街区の外れで出会った歴史研究会の娘さんだ。彼女たちをはさみ、さらに左右で踊っている五匹ほどは語学研究生と称する娘たちであろう。
うららのお腹にある火傷の跡は、手でお腹を逆撫(さかなで)でしないかぎり、白い毛並みに隠れ、見えない。
カウンターの下の外側で、腰をくねらす美女を眺め、よだれを流すサビ猫たち。
歴史研究会や語学研究生の彼女たちは、鬼花郷(おにはなごう)から派遣されたハニトラである。
腰をひねるセクシーな踊りかたも、教わってきたのか。
だが、観客のほとんどのサビ猫たちは、毛色が黒っぽく見えるミス・ユニバースや語学研究生の娘よりも、つやつやしたうららの真っ白な肢体(したい)と膝頭(ひざがしら)がのぞくピンクの腰巻(こしまき)に釘づけだ。
お客さんのスペースである賑やかなカウンターの外側に対し、銀次郎がのぞく眼下の内側は、事務机のならぶ埃だらけの空間だった。
銀次郎と八田とシロアシは、貸金庫のそれぞれのボックスから顔をだし、三匹で横並びに目を凝らした。
貸金庫は、カウンターの内側の中央に置かれている。
ドラ猫合唱隊の隊長のクロ、そして裏ボスといわれる片耳はどこだと、銀次郎は目でさがした。
刑事の八田は、右隣のボックスから灰色の顔をだし、金色の目を見開いている。
「うららのやつ、古いニュースで見たような、あんな大昔のバブル時代の踊りをいつ覚えたんだ。いや、そういうことより、この観衆のなかから誰にも悟られず、どうやって連れだすかだな」
八田はぐるっとフロアを見わたす。
騒音のるつぼだった。
ふつうに声をだして話していても、誰にも気づかれない。
銀次郎の左隣のボックスから顔をだしているのは、シロアシだ。
一瞬うららの踊りに見惚(みと)れたようだが、はっと気づき、二メートルほど下の床に目をやった。
「見てください。この左下です」
ディスコ音楽と歓声の騒音のなかに、ぎやおう、うがあ、がう、うにゃおう、という叫びが聞こえた。