猫の女王
12 日ノ元族降伏宣言
1
サビ猫が運んできた密書は、うららからの手書きのメモだった。
手書きのメモなら、何かがあっても秘密は保持される。
小さく折りたたんでラップに包み、口に入れて運んできたのだ。
『緊急連絡。合唱隊の隊長のクロとエサバーの片耳、そして部下たちは大通りに面した廃業中の日ノ元興行銀行内に集合。公民館で気勢をあげる日ノ元猫族に危機感を抱き、訓練のため、日ノ元郷との郷境(くにざかい)の荒れ地に集合させていた殺戮(さつりく)隊を臨時に招集。招集総勢は百五十。そこに刃物を持った三十名も参加。殺戮のための総攻撃は今夜24時。
一街区より八街区へ一気に侵攻予定。なおこの密書を携えた伝令のサビ猫は、ドラ猫合唱隊の隊長のクロの取り巻きの一匹だ。当方よりハニトラを仕掛け『そのうちや○せてあげるね』の一言にスパイを承諾(しょうだく)。この男、性欲に負けてはいるが利用価値ありと見る。名はシロアシ。足が速いので、公民館偵察員として派遣されている』
若いサビ猫の足は、四本とも靴下をはいたように白かった。
だからシロアシだ。
黒っぽい体に白い足は、颯爽(さっそう)として躍動する若者を思わせた。
「おい、シロアシ。白猫のうららがそんなにいいのか」
高田銀次郎は手紙の内容より、そっちのほうへの関心が自然にでた。
「ええ、あの人はうちの隊長が惚れるくらいですから、ただの美人じゃありません。何とも言えない色っぽさがあるし、あの空色のような瞳には、吸いこまれそうな神秘の色がただよっています」
大事な情報を運んできたシロアシが、素直に応じる。
三毛猫の銀次郎は、そのうちおれの子供を産むんだから手をだすんじゃない、と心でつぶやく。
同時に、うららは色っぽかったかなあと、いう疑問とともに、猫になったときになんらかのホルモンが体内から出て、そうなったのだろうかと思った。
灰猫の八田も、金色の目玉でシロアシの顔をのぞきこむ。
「馬鹿野郎、うららはな、まだ刑事の見習いなんだぞ。これから悪いやつらをびしばし取り締まるんだから、色っぽさなんか漂わせてたまるか。ところでおめえ偵察(ていさつ)要員だそうだけど、この公民館を偵察して向こうに帰ったらどんなふうに報告するつもりだ?」
「はい。皆さん元気で日ノ元の歌唄ってやる気満々、気力充分だと」
若いシロアシは、まじめ顔のまま告げる。
「正直にそんな当たり前の事実を報告したら、クロと片耳は警戒心を強めるだけだろ。うららもその気にならねえよ。おまえスパイやって点かせぎたいんだろう?」
「はい。でも、それならどんな情報がいいのでしょうか?」
シロアシは、灰猫の八田にそう訊ねた。
どうやら、本気のようでもあった。
「そうだなあ。総攻撃の知らせにみんな股間(こかん)に尻尾しまいこんで、眉毛を八の字にしてうろたえているってのはどうだ」
「このさい、もっと戦略的なニセ情報がいいんじゃないですか、八田さん」
銀次郎が、横から口をだした。
「あのな、高田銀次郎。米田トメさん殺しの嫌疑(けんぎ)が晴れて気分がいいんだろうけど、好きなように意見言うんじゃねえ。それにうららはいくらハニトラだからといって、勤務中にみだらな真似なんかしねえよ」
白猫のうららは、今も勤務中なのかと銀次郎は思ったが、とにかくなにか戦略的な情報はないかと頭をめぐらせる。
「みんな逃げて帰って、公民館には誰もいなくなった。平和に慣れすぎた日ノ元の猫たちは、住み家でぼろ布をかぶり、いっせいに震えてる、というのはどうですか?」
「うーん」
八田は鼻声をもらし、顎をなでる。
「似たようなものだけど、それでいいか。とにかく抵抗する気がなくなったように見せかけ、油断をさせ、一気に襲いかかるんだ。どうだ、これで」
灰猫の八田が、シロアシに問いかけた。
「面白いけど、一気に攻撃する勢力を日ノ元族が持っているかどうかですね」
シロアシは相変わらず真摯(しんし)な眼差しで、まともに意見をのべた。
うららの、や○せるウンヌンの一言がかなり効いているようだった。
「だいじょうぶ、ここにいる連中は、充分に戦う気持ちを持っている。そのときはおれがまた先頭に立つ」
自信をつけた三毛猫の銀次郎が、胸を反らす。
2
転がり込んだ運命的な力だった。
だけど、力は勇気をあたえてくれた。
日ノ元では、その力を誰が最初に発揮するかだった。
誰でもいいのだ。
力のある者がいなければ、みんなで力を合わせるしかない。
小さい力は集まれば大きくなる。
ここで力をだして抵抗しなければ、日ノ元郷猫族は永遠におびえて暮らすか、奴隷(どれい)として生きるかである。
「百八十の殺戮隊といっても、銀次郎が二、三匹斬って見せればすぐに逃げだすんじゃないかな。殺戮隊なんて勇ましいけれど、愛国心もなにもない連中だし、守らなければならないものなんて何もないんだから、怖くなれば戦う気持ちもすぐに失せ、さっさと逃げだしますよ。
むこうがくる前に、こっちが攻めるんです。今のところこっちは素人の野良が八十匹いるかいないかだけど、やる気は十分だ。すぐにもっと集まってくるだろうけどな」
八田のベテランの刑事らしき、経験的な意見だった。
公民館の占拠に、喜び勇んで館内を駆けめぐり、歌を唄う日ノ元の猫たちにちらり目をやる。
そのとき、はい、と手をあげたのはサビ猫の鼻黒のじじいだった。
二本ばかり前歯が欠けている。
「なんだ、ハニトラのじじい」
「刑事さん、ハニトラはやめてください。俺、今までの罪を挽回(ばんかい)するためにすっかり心を入れかえたので、理事会の会長していた昔のつてで、何匹かを説得してみます」
そう言いながら目の前をとおる集団に、おーい、と声をかけると三匹ほどが足をとめた。
「なんだ、ハニトラのじじいい。悔いあらため、寝返ったようだけど、使いこんだ理事会の金、全部返したのか?」
一匹が疑惑の眼差しをむける。
「金はちゃんと返す。俺、心から反省したんだよ。昔のように団結しようじゃないか。鬼花郷(おにはなごう)のサビ猫たちをやっつけるんだ。女も金も酒も、もう縁切った」
「縁切ったって、いつだよ」
「さっきだ」
「さっきって、そういうの、まだ縁切ったって言わないんじゃないの?」
「とにかく、このさい反省したって言ってんだ。悪いか」
鼻黒のじじいは、強引に言い張った。
「分かりました。そちらの三毛さんの活躍は、マダラさんからも聞いています。心を入れ替えた元会長が、三毛猫さんといっしょにやるというのなら協力しましょう」
足をとめた三匹は、互いにうんうんとうなずき合った。マダラは銀次郎がここで最初に知りあった猫だ。
さっきから、解放された公民館で仲間とともに気勢をあげている。
「それで、さっそく頼みがある」
鼻黒のじじいが、古い仲間の三匹に持ちかける。
「今夜、やつらが日ノ元を乗っ取ろうと攻めてくる。日ノ元族は皆殺しだそうだ。やつらは残酷だから腸を引きだしたり、手足をちょん切ったり、平気でやる。女子供も容赦しない。