猫の女王
ふっと体に熱気が湧き、腕や肩や胸の筋肉がひきしまった。
牡の三毛猫の能力が瞬時にととのった。
戦闘意欲がみなぎった。
そうか、やる気になればスイッチが入るんだ、となにかが分かったような気がした。
灰猫の八田刑事が、正面からやってくる。
それを見きわめ、銀次郎は二本脚で立ちあがった。
そして、両手を大きく広げた。
「うおーっ」
吠え、両腕をかまえ、どどっと胸をたたいた。
「うおー。おおおおー」
灰猫を追ってきたサビ猫たちの足が止まった。
光る目にとまどいの色がよぎった。
その間、追われていた灰猫の八田が、二本足の銀次郎の足もとに駈けよった。
「おっ、なんだお前」
金色の目をまたたかせる。
「八田さん、こいつらおれがやっつけます。ちょっと退っていてください」
追ってきたサビ猫たちは、ぐにゃおー、ぐにゃおーと声をもらし、目をぱちくりさせた。
やばい、どうしよう、と追ってきた猫は、大きな顔をならべ、二十数匹でひるんだ。
すでに、日ノ元の超猫(ちょうびょう)である三毛猫の噂を聞いているようすである。
立ちすくむサビ猫にむかい、銀次郎は突進した。
先頭の肩の筋肉をもり上げた一匹に、狙いをさだめた。
相手の直前でジャンプし、猫特有の垂直落下で首筋に食らいついた。
狙いどおり、そのリーダーが口から刃物をこぼした。
「剣道四段、高田銀次郎、参上」
刃物を拾い、名乗りをあげる。
しかし実際には初段の資格者であった。
初段は剣道の基本ができ、技が優秀で、中学二年生になったら受験資格があるという初級的なレベルだ。
しかし、前の闘争で銀次郎は学んだ。
体力に余裕があるうち、素早く相手をやっつけるということだ。
いくらスーパー三毛猫とはいえ、自分は一匹だけである。
「さあ、やるぞ、かかってくるならこい」
腰を入れ、くわえた三十センチほどの刃物を左右にふり払う。
「ぎゃあー」
剣道など知らないサビ猫たちは、つぎつぎと斬られていく。
まるで、映画の立ち回りのごとくである。
銀次郎は刃物を手に高く跳躍(ちょうやく)し、右に左にひるがえった。
そんな牡の三毛猫の銀次郎を、誰も捕らえられない。
あっという間、二十数匹のサビ猫は肩や額を切られた。
「にゃあごごご‥‥」
口ごもった声をもらし、あわてて逃げだした。
六匹ほどが動けず、尻尾をばたつかせ、地面に横たわった。
「うにゃあ」
三毛猫の銀次郎の立ち回りに、八田がおどろく。
「おめ、すげえ。こいつらはドラ猫合唱隊よりも腕っぷしの強い、公民館警備隊(こうみんかんけいびたい)の連中だぞ」
ぱちぱちとまばたき、あきれたように三毛の銀次郎を見なおす。
「やらなかったら、おれたちが殺されてたじゃないですか。公民館警備隊ってなんですか?」
刃物を小脇にはさみ、息も乱さず銀次郎が問いかけた。
「餌場のボランテイアの二人を見かけたので、ついていったら公民館にやってきた。公民館は異国人と鬼花郷のサビ猫たちが占拠していて、やつらの本拠のようになっていやがった。そこを警備していたのが公民館警備隊だ。『俺は七千代署の刑事だ。悪いやつらはただじゃおかねえ』って怒鳴ったら、やつらが跳びだしてきて追われてな。
俺だって、柔道や剣道の心得はあるけれど、忙しくってここ十年ほどは稽古(けいこ)もしていねえし、若さがはちきれてる歳でもねえしな。なにしろ口に刃物くわえてる猫なんて、見たこともなかったんでおどろいたよ。ヨボジイについて、調べるひまもなかった。危なかった。命拾いだよ。ありがとう。だけどおめえすげえな。いつそんな技覚えたんだ?」
三毛猫の銀次郎を眺めなおし、ふうーと息をつぐ。
「おれは三毛猫の牡(おす)なんです。自分でもよく知らないのですが、この世界ではスーパーマンなのだそうです。それにおれ、むかし中学で剣道部だったんです。久しぶりに剣を振るいました。ところで話それますけど、公民館ってなんですか?」
銀次郎は、公民館がよく分からなかった。
八田の金色の目からは、まだおどろきの色が消えていない。
そうか剣道やってたのか、とつぶやき、一つ咳払いをして気を落ち着かせる。
3
「公民館というのは、役所が建てた地域住民のための建物だ。そこで住民たちが、催(もよお)しや学習や祭りごと、そして相談事などをおこなう。だけど、道々沿道の猫たちに聞くと、ここの公民館は異国人にすっかり乗っ取られ、その連中が飼いならしたサビ猫の住み家になっていた。
異国人のなかには猫と話ができる者がいたので、猫たちは異国人の命令を聞いて活動していたそうでな。確か、日ノ元団地のお前さんのとなりの棟にいた米田トメという女性も、猫と話ができたってことだったけど、そういう人間、やっぱりいるんだな」
八田刑事は感心し、うん、うん、と自らうなずく。
ネコババアの米田トメさんは、自分は猫語が分かるとはっきり銀次郎に告げた。
しかし、自分を猫の世界に導きながら、本人なのか他のだれかなのか、干乾びた遺体を布団に残し、どこかに消えてしまった。
「そうだ。それで話をもとにもどすと、猫が刃物くわえてんで、とにかく魂消た。猫にもあんなことできんだなあ」
銀次郎に斬られ、目の前に転がるサビ猫を眺めながら、八田が感心する。
「できるでしょう。ネコ科の虎とか豹とかは、歯や顎(あご)の力が物凄く強いじゃないですか。自分よりも大きな獲物を口にくわえて木に登りますからね。もっとも刃物のアイデアは、鬼花郷(おにはなごう)にいる異国人が、ふざけ半分に首に掛けたら、自分たちであんな風にやりだしたらしいんですがね」
「おれもよ、さっき公民館から追われて逃げてきたとき、刃物振りまわされるたび、ぴょんぴょん飛んで避けたけど、学生時代にハイジャンプの選手だったので、思わぬところで役に立ったよ。はははは」
八田刑事が笑ったとき、日ノ元の猫たちがぞろぞろと現れた。
四方八方からばらばら続き、三毛猫の銀次郎と灰猫の八田のまわりに集まった。
さっきどこかに逃げていった白黒猫もいる。
「なんだ、お前ら」
笑い終えた八田刑事が、ぐるっと見わたす。
三十匹くらいの猫がいた。白い歯を見せ、熱い息を吐いている。
「すごい」
「見てました」
「鬼花郷のサビ猫、やっつけるの初めて見ました」
無残に肉の塊となった、茶トラと同じ感想を口にした。
「あいつらいい気になっていやがって、ざまあ見ろだよ」
「好き勝手、やりたい放題だったからな」
「こっちが大人しと思って、いい気になってやがった」
「そろそろだけど、こっちも本気にならなければだめだ」
「日ノ元の覇気(はき)を見せるんだ」
「無法者をやっつけろ」
口々に感想を言いだす。
「逃げた公民館警備隊が、仲間をつれて仕返しにこないですか?」
一匹が路をのぞいた。
「もしきたら、みんなで叩きのめせ」
「もう黙ってない」
「力を合せろ」
「みんなでやるんだ」
「そうだ」
「そうだ」
全員が目を光らせる。
「きたら、おれも先頭になって戦う。きてみろ」
銀次郎は小脇にはさんだ刃物を抜き、やあ、とばかりにふり払った。
三毛猫の牡のエキスがまた騒いだ。
「時間があったら、みんなにも剣道おしえるぞ」
「いいぞ」
「おしえてくれー」