猫の女王
8 恐怖の殺戮隊
1
建物の外観が、灰色から薄茶色に変わった。
一街区から二街区に入ったのだ。
三毛猫の銀次郎は、緑の芝を走った。
追ってくる集団は、細かい枝が密集する柾(まさき)の垣根にはばまれた。
そのすきに銀次郎は、建物の反対側にぬける通路にたどり着いた。
が、そこにはどこから現れたのか、五匹の大柄のサビ猫が出口をふさいでいた。
銀次郎は足をとめ、背後をふり返った。
どうしたらいいかと、あたりを見回した。
すると、右の棟のベランダの下の空鉢(からばち)の陰から声がかかった。
「三毛、こっちだ。はやく、はやく」
壮年(そうねん)の茶トラだった。
オレンジの縞模様(しまもよう)で、穏やかな目の色だった。
こっちだと言って反対側に体をむけたとき、ペコンと凹(へこ)んだ股間が見えた。
日ノ元団地の猫だった。
銀次郎は言われるまま、空鉢の陰にまわりこんだ。
垣根をくぐりぬけたサビ猫たちが、どっと踏みこんできた。
殺気だった殺戮隊(さつりくたい)は、反対側の通路で待ちうけていた五匹のサビ猫と鉢合わせをした。
「ぎやおーう」
「うおーおう」
噛みつきあい、取っ組みあいになった。
芝の上を転げまわる、二十数匹と五匹の戦いだ。
刃物も光り、ぎゃーっと悲鳴があがる。
「見てください。テロリストを日ノ元団地に忍びこませ、何かがあったときのために待機させていたんです。でも今まで顔を合せたことのなかった仲間だったので、やりあっているのです」
銀次郎と茶トラは、味方同士で闘うサビ猫の叫び声を植木鉢の陰で聞いていた。
「見てましたよ。すごいですね。あいつらに反抗し、やっつけた日ノ元の猫、あなたが初めてです」
茶トラはサビ猫たちの雄叫びを耳に、体を小刻みに震わせながら銀次郎をたたえた。
「日ノ元郷の猫族は、暴力沙汰(ぼうりょくざた)を嫌います。どうなるかと見ていてどきどきしました」
信じられないと、茶トラは銀次郎の姿に目を見張る。
「スーパーマンみたく強いけど、今度あらわれたのは、刃物をくわえた殺戮隊ですよ」
どうします? と見開いた目で訊ねる。
「テロリストとか殺戮隊とかって、なんで日ノ元団地にいるんだ?」
当然のごとく、銀次郎は聞きかえした。
「やつらはここを乗っ取ろうとしているんじゃないかな。今のところ日ノ元のようすをうかがって活動を控えているようだが、本当のところは分りません」
「乗っ取るだって? そんなこと、日ノ元のみんなが許さないだろう?」
「それは許したくないけど、みんな、どうしたらいいのか分からないから、黙っているか、そういう事実を知らないか、あるいは関わりたくないので無関心を決めこんでいるかだな」
銀次郎は、気になっていたもう一つの質問をした。
「あいつら、刃物なんか持っているけど、いったいどうやって揃えたんだ」
「一街区に住む異国人が面白がって首にかけたら、サビ猫たちがたちまち使いかたを覚えてしまったということらしい。ここらはほとんどが異国人ですから、また猫が騒いでらあ、としか思いません。ちらちらと窓の外をながめるだけです。猫がぎゃあぎゃわめいて、異国らしくて賑やかでいいと、楽しんでいるかも知れません」
猫の騒ぎが異国らしい、はともかく、刃物まで持った殺戮隊とやらの出現だ。
こんなことがあるのかと、銀次郎はただおどろくばかりだった。
「この一階のベランダの下に積まれた植木鉢の陰が、私の棲(す)み家(か)です。あいつらは争いあっていますが、味方同士だということにすぐ気づきます。上のほうに逃げましょう」
さっきからそわそわしていた茶トラは、そう促(うながす)すと三、四歩踏みだし、背をのばした。
コンクリートの壁の角に爪を掛け、うっと力をこめる。
そして、頭上のベランダに這いあがった。
銀次郎もあとを追う。
さらに、ベランダの隅におしつけられた棚に跳びうつり、二階にあがる。
「ぎゃおー、んぎやおー」
下の庭ではまだ大騒ぎだ。
2
二階のベランダには、電気製品や毛布や衣類が乱雑に積み重ねられていた。ごみの集積場みたいだ。
「こいつら、なんだって拾ってきて溜めやがる。なにもない田舎(いなか)からでてくるのか、みんな貴重品に見えるんだろう。もう一階上にあがりましょう」
地上のサビ猫たちは、対決相手の間違いに気づいたのか、芝生の庭が静かになった。
銀次郎はガラクタの荷物の上から、さらに三階にあがった。
三階のベランダは塵(ちり)もなく、きれいだった。
物干し竿に、ひらひらと女物の衣類が揺れている。
桃色の、意味深なデザインの下着も干されている。
外の騒ぎにおかまいなく、部屋のなかから歌声が聞こえていた。
古い整理棚が、左端の換気扇の排気口の横に置かれている。
その上に、蓋(ふた)を内側に折られた段ボール箱が積まれていた。
茶トラと三毛猫の銀次郎は、その空箱のなかに入りこんだ。
二匹ならんで段ボールの縁から顔をだし、部屋をのぞいた。
美しい赤い毛並みのサビ猫だった。
そのサビ猫は、アイロンを掛けながら歌を唄う女主人の膝元で、目を細めている。
女主人は、もちろん異国人である。
「あの猫は、エサバー出身ですよ。二年前、ここに住んでいた独身の人間の男が、付近の日ノ元の野良猫をつれてきて飼った。その猫はときどき外出させてもらい、エサバーでサビ猫の女に惚(ほ)れた。それでその日、二匹で帰ってきた猫を男は家に入れた。仲良しの二匹がうらやましくなったのか、男も異国人の嫁さんをもらった。ところが急の病で男が亡くなると、日ノ元の猫も亡くなった。待っていたように鬼花郷(おにはなごう)に住む異国人の男があらわれ、夫婦となった。そして、鬼花郷からきた牡(めす)のサビ猫もここで暮らすようになった」
部屋をのぞきながら、茶トラが説明する。
ふだんから、鬼花郷のサビ猫や日ノ元団地に住む異国人を観察していたようだ。
なんだか妙な具合になっているなと、段ボールの箱から顔をだした銀次郎は、ガラス越しに部屋のようすをうかがった。
この家の人間の奥さんは、アイロンを当てながら、くねくねした独特の節とリズムの歌を唄っている。
そのそばで、サビ猫の牝がうっとりと聴いている。
エサバーの百恵(ももえ)は、何匹もの仲間が日ノ元の男といっしょになり、団地で暮らしていると語った。
「そういうのって、二街区のここの棟だけのできごとなの?」
「まだ一、二街区が中心ですが、最近では団地のあちこちで耳にするようになりました。特にエサバーのホステスといっしょになった日ノ元の猫が、やられているようです。そして、いつの間にか一街区には異国人が住み、規則を無視して鬼花郷のサビ猫を飼うので、ここはもう鬼花郷のサビ猫の天下です」
「鬼花郷のサビ猫は、日ノ元郷を自分たちのエリアにしようと狙っているんだろうか?」
「既成事実(きせいじじつ)を積み重ね、よくある日常の出来事でもあるかのように思わせようとしている感じちょっとしますけど」
茶トラは、情けなさそうに目をしばたたく。
よくある日常の出来事? 銀次郎の頭が熱くなった。