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猫の女王

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ヨボジイを追っていった八田(はった)刑事と、なりたての女性刑事の春野(はるの)うららはどうしているのか。

とりあえず銀次郎は、ぐるうっと団地のなかの路をまわって三街区にもどるつもりだった。
ちらり背後のエサバーのほうに目をやると、さっきの鼻黒のジジイが立ちすくむように遠くから睨んでいた。

銀次郎が人間でいるときに知っているサビ猫は、小柄なからだで従順(じゅうじゅうん)でおとなしく、よく人になついた。
だが、ここで見かけるサビ猫の牡は、体躯(たいく)も大きく、合唱隊を組んで、大声で歌を唄うほど活発だ。

また真昼のエサバーでは、サビ猫のホステスたちが、客の日ノ元の猫といい仲になろうとけんめいだった。
日ノ元の猫とねんごろになるのが、エサバーのホステスの目的だと、百恵は語った。

猫の世界に飛びこんでから、まだ半日だ。
それでも『猫も歩けば棒に当たる』で、いいことなのか悪いことなのか、いろいろあったような気がした。
とぼとぼ歩きながら、三毛猫の銀次郎は『わたし実は猫なんです』と告白したネコババアを思いだした。

もしかして団地の部屋で干乾びていたのは、ネコババアではなかったのではないか。
ネコババアが、なにかの事情でこっちの世界にきていれば、ばったり遭(あ)って、すぐにでも人間にもどれるのになあ、とため息がでた。

だが、そんな願望より、早いところヨボジイを探しだそう。
マタタビを取り戻そう、と足を急かした。
ふり返ると、コカ・コーラの自動販売機のまえで、まだ鼻黒が銀次郎を見張っていた。
その視線から、逃れるように背をむけて歩く。
右に、二街区の薄茶色の建物がならんでいる。
左側は、一街区の灰色の建物だ。

境になった路を、三街区にもどろうと右に曲がったとき、雑多な臭いと騒音におそわれた。
不衛生な空気とともに、ざわめく人間の大人や子供たちの声がした。
銀次郎は足を止めた。

銀次郎は、買い物以外の外出はほとんどしなかった。
年寄りたちが多く住む静かなこの団地では、その騒音が珍しい現象に思えた。
あたりを見回した。いつもと変わらぬ景色である。
いや、前方ではない。後方からの風に乘ってやってくる、臭いと音だった。

どうしようかと、迷った。
三街区の自分の家に、一刻も早くもどりたかった。
しかし、路の奥の雑多な気配が、自分を呼んでいるような気がした。

そこは、二街区のはずれである。
通路が二街区から団地内の周回道路をはさんで、一街区へとつうじている。
周回道路を横切り、一街区の通路に入ってみた。

散っている白いゴミが、目についた。
点々と奥に続き、風にゆらめいている。
コロッケなどを買ったときに入れてくれる、白い小さな三角の袋だ。
風に吹かれ、路面をすべっている。
左右のゴミ出し場には、収集日でもないのにゴミ袋が山になっていた。

さらに進むと、古いテレビやビンカンや衣類などが、裂けたゴミ袋とともに放りだされている。
食べ物の臭いが、他のごみとごちゃまぜになってあたりに漂う。
どこかでようすを覗っているのか、三街区では見かけないカラスが、カアカアとうるさい。

一街区の棟のベランダには、日差しを浴びた人影があちこちにあった。
大工仕事でもしているのか、トンカントンカンと音もする。
お家カラオケで唄っている者もいる。
メロデイーも歌詞もはじめて聞く異国のものだ。

子供の泣き声と犬の鳴き声。
夫婦喧嘩なのか、男と女の怒鳴り声。
ただし、これも異国語で意味不明。
手摺(てす)りにひろげられた布団、色とりどりの洗濯物。
見わたす一街区のすべてが別天地だった。

通路のむこうの芝に、一人、二人、三人、四人、と母親たちの姿。
そして、きゃっきゃっと子供たちの叫び声。
芝生の庭に、砂石(すないし)の敷かれたポケットパーク設けられている。

中央にブランコがあり、その手前に二本のベンチが据えられている。
そこに数人の男がいた。
男たちはベンチに座らず、地面に段ボールを敷いていた。
タバコを吸い、缶や小瓶(こびん)をならべ、酒を飲んでいた。

周囲には、食品の包装紙やパックやポリの袋など雑多なゴミが散乱している。
数匹の子猫が、ゴミから餌を漁っていた。
子猫はやはり、サビの黒っぽい毛並みである。

その背後を、三匹の大人のサビ猫がつれだって横切る。
あのドラ猫合唱隊と同じように、からだが大きい。
遠目ではっきりしなかったが、股間にはぷっくらした立派な玉がついている。肩を揺すり、がに股で歩く。
その三匹が光った目で、ちらり三毛猫の銀次郎を見た。

昼真からどんな人間が酒を飲んでいるのかと銀次郎は、団地内の小さな公園にちかづいた。
交わす会話を聞こうと、耳をそばだてた。
だが、異国語の会話で意味は分からなかった。
立ち止まり、ぼんやりしてしまった。


「おい、こんなところになんの用だ」
背後から、声がかかった。
ふりむくと、赤茶のサビ猫がそこにいた。
エサバーにいた鼻黒である。目が吊っていた。
「道に迷ったので、三街区にもどろうかと」
おどろきを隠し、銀次郎はとっさに答えた。

「ヨボジイのこと、知りたがってたな」
探るように、その目玉がぐりっと動く。
後をつけていたのだ。

背後に、大柄の三匹のサビ猫をしたがえていた。
「お前新顔だろう。そのお前が、なんでヨボジイを知ってる。なんで百恵からいろいろ聞こうとした」
斜め向かいに立ち、ぐっと睨む。

銀次郎は答えられず、黙った。
今朝、猫の世界に飛びこんだばかりだ。
知らないことばかりなので、ついいろいろ聞きたくなる。
どうやら、ヨボジイやエサバーについて知ろうとしたことが、彼らには気になったようだ。

こんな場合、プロである刑事の八田とうららならどう答えるのか。
「ヨボジイという人が、ぶるぶる震えながらおしっこちびらせていたから、助けた。三街区と二街区の境の空き地に、しゃがんでいた」

「嘘つくな。あいつは、バカを装ってふらふら歩き回っているようだけど、お漏らしなどするようなやつじゃねえ。お前は何者だ?」
鼻黒のサビ猫はそう応じるや、目を光らせ、うぐぐっと声をもらした。

そうして一歩、二歩とにじりより、鼻先を突きつけてきた。
それは、猫の威嚇(いかく)だった。
猫になったばかりの銀次郎には、その意味がよく分からなかった。

だが、からだがとっさに反応した。
無意識のうち、銀次郎のアッパーぎみの猫パンチが飛んでいた。
しかも意図に反し、強烈だった。

ニギャンと声をあげ、鼻黒は顎をのけぞらせた。
そして、ふわっとからだを浮きあがらせた。
顔をゆがめ、手足を宙でもがかせた。
最後に、ばたんと地面に落ちて、ひっくり返った。
それが銀次郎の目には、スローモーションの光景のように映った。

「わあっ」
おどろいたのは銀次郎のほうだった。
猫はちょっとぐらい高くても、落下時にはぴたっと四本の足で地面を捕らえる。

転がってもがく鼻黒と、知らずに出していた自分の手を銀次郎は見比べた。
鼻黒は銀次郎を睨みつけながら、すぐからだをおこした。
「三毛猫の牡(おす)のバカ力(じから)なんか出しやがって。いい気になってんじゃねえぞ。おい、こいつをやっつけろ」
作品名:猫の女王 作家名:いつか京