猫の女王
「でも怪しげな猫が現れたら、誰だってどこからきたのか、なにしにきたのかって聞くだろう?」
「新しい住民が現れたとき、根掘り葉掘り聞かないのが日ノ元郷の習慣なんです。相手がこの社会に溶け込もうという意志があるかぎり、どんな種族とも混じり合い、仲良く暮らしてきた伝統的な歴史があるんです」
「おい、それはないだろう。怪しいやつはチエックするのが常識だろう」
八田が声をあげる。
「はい、そう思ってはいるんですが……」
マダラは困ったように首をひねった。
「じゃあ、今そういう連中はどこに住んでいるんだ」
「いつのまにか一街区(いちがいく)を占拠していたんです。初めは三匹くらいだったのですが、あっという間、鬼花郷からきた多くのサビ猫が、野良や家猫として住むようになって……」
あきらめたような口ぶりだった。
背後で話を聞くほかの猫たちも、弱々しくうなずく。
4
日ノ元団地は、隣接する都市への通勤圏にある大規模な団地だった。
同時に離れた奥の丘陵地帯(きゅうりょうちたい)の鬼花郷唯一の平地が開発され、そこにも団地が造られた。
鬼花郷団地である。
しかし、四十棟ほど小さな規模だった。
一本の国道が、三十分ほどはなれた工業団地と通じるようになると、丘陵地帯の不便な場所だったが、いつの間にか団地のほとんどの棟に異国人たちが住むようになった。
その異国人たちが、地域の鬼花郷のサビ猫を家猫として飼いだした。
やがて鬼花郷団地は異国人であふれるようになると、もっと便利で規模の大きな日ノ元団地に移り住むようになった。
家猫や野良の鬼花郷のサビ猫たちも、トラックに便乗し、日ノ本団地にやってきた。
あるいは、異国人と気の合うサビ猫たちは、遠路はるばる歩いて日ノ元団地を訪れ、住みだした。
「鬼花の名には、こんな伝説があるそうです。もっともこれは人間の話ですが、人と共に生きる猫にも影響するけどね」
マダラが口にする。
鬼花は、山の草深い荒れ地に咲くユリ科の花である。
その花を見た者は、自個欲にとりつかれ、なんでも自分の物にしたがるようになる。
欲望のためなら、嘘をついて人をだまし、略奪(りゃくだつ)、欺瞞(ぎまん)、そして人殺しも平気になる。
もちろんこれは、古い人間世界の伝説である。
その伝説が正しいのか、鬼花郷は様々な種族が己の利益と覇権(はけん)をかけて争い続けた。
そして、血を血で争う残酷な殺し合いの歴史をくりかえしてきた。
結果、鬼花郷には、強い者が弱い者に対し、なにをしてもいいと言うような暗黙の慣行が生まれた。
それが日常の文化にも影響し、日ノ元郷とは完全に相入れなくなったのである。
「あなたたち、そんなやつらと暮らしていた猫族なんて、さっさと追っ払ったらいいじゃないの。黙っていると、ここ滅茶苦茶になるよ」
白猫のうららが空色の目をまばたかせる。
「でも、歌を唄って怖い目で睨んでいるだけだし、合唱隊なのにものすごい下手だけど、日ノ元郷を称える内容の唄だし、愛国の歌唄ってどこが悪いのかって」
「なるほど。狙いはなんなんだ?」
さっきから、自分たちを鋭く見つめる階段の上のドラ猫合唱隊を睨みかえしながら、八田が聞く。
「分りません。なにしろ、ああやって怖い顔でただ唄ってるだけでね」
マダラはちらりと階段の上に目をやる。
「じゃあ、今の話にでてきた猫の女王というのはどこにいるんだ?」
「伝統の話にはでてくるし、少し前にはいたそうですが、今はどこにもおりません。見たこともありません」
「どういうことなのそれ。少し前っていつなの?」
うららが黙っていられず、口を開く。
「とにかく、私の子供の時代にふいに消えてしまったそうです。それ以降、日ノ元の中心であり、心の支えと教わってきた女王を誰も知らないんです」
人間でいえば、まだ三十歳くらいのマダラが、額に皺(しわ)をよせる。
「でも女王については、こんなふうに聞いています。私たちは決まりを守って平和に生き、女王は静かに私たちを見守っており、しゃしゃり出てこない。私たちは、女王を見たら歌の教えのように伝統の決まりを守って生きようとします。女王には、平和と豊かさを築いてきた長い歴史的な実績があるのです。だから民は女王を敬(うやま)い、自ら行動するのです。でも、平和を乱す者と戦うときは女王と同胞(どうほう)の民を守るため、われわれはどこの猫族よりも勇敢に戦います。普段は大人しいのに、いざとなるととても強いんです」
「おい、なんだかすごい王様だけど、なんで女王なんだ。男の王様じゃいけないのか?」
男の八田が疑問を口にした。
「延々(えんえん)と受け継いでいる女王としての神代(かみよ)の血が、途中、なにかの都合でひょいと男に変わったら、神代ではなくなります。そうなったら誰も敬い、従おうとしないでしょう。もっとも、はじめから男の王様ならば男でもかまわないのです。とにかく初代の王の血を受け継いでいなければなりません。そのため女王は、必ず初代の王の血を引く男をパートナーにします。でもその女王はどこにいるのか、初代の王の血を引くパートナーたちがどこにいるのか、いまは誰にも分からないのです」
マダラが困ったように首をかしげる。
「あ、ドラ猫合唱隊がつぎの餌場(えさば)にいくようです」
マダラの仲間が声をあげた。
階段の上のサビ猫の頭が列の先頭に立ち、動きだした。
「あの先頭の黒毛にちかい大柄のやつがリーダーで、みんなはクロと呼んでいます」
「後をつけよう」
三毛猫の銀次郎がそわっと動きだそうとした。
すると、白猫のうららが三毛猫の足の前に、白い足をだした。
「それよりも、さっきの穴のネズミ探すほうが先です。ネズミ捕まえてはやいとこ私たちの元の棲(す)み家(か)に帰りましょう。八田さんも銀次郎もこっちの世界、気になってるみたいだけど」
うららは、マダラたちに分からないように隠語をまじえた。
人間の世界に戻るほが先だろうと、たしなめたのだ。
「そうだな。こんなところで妙な事件に首つっこんでいる場合じゃねえんだ。職業柄つい引きこまれたけど、ネズミ捕まえるほうが先だった。捕まえにもどろうぜ」
「そうだ、おれたちはネズミを捕まえようとしていたんだ」
銀次郎もわれに返った。しかし、ネコババアが語っていた奇妙な世界をもっとのぞいてみたいと思っている自分も感じていた。怠惰な日常が、猫になってからどこかに吹き飛んでいた。
が、うららの不安気な空色の目と差し出された白い足に、一時もはやく人間だった自分にもどらなければと考えなおした。
「マダラさん、悪いが失礼するよ。行きましょう」
銀次郎はためらいを振り切るように、マダラ声をかけた。
そして、磨(す)り鉢状(ばちじょう)のコンクリートの階段を駆けあがった。
八田もうららもついてくる。
広場に残ったマダラたちが、無念そうに三匹を見送った。
さっききた、ツツジの茂みに沿って進む。
三本の紅葉(もみじ)の木が、前方に見えてくる。
紅葉の木の下の穴は、さっきのまま縁に土を盛りあげている。
出刃包丁も、真ん中の木の根元に横たわっている。
5
「あれ?」
最初に穴をのぞいた銀次郎が、声をあげた。