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化け猫地蔵堂 1巻 4話 富籤(とみくじ)

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 どっちがこんなに朝はやくだ、と同心に目で文句を言う大男の座長。
 男の子が姿を見せた。着物の帯を胸高にしめている。
 眠っているところを起こされたのか、顔をゆがめている。

「駿河町のお富さんとこの、文太だな?」
 松七がたしかめる。丸顔の文太がうなずく。
「おっかさんに頼まれて迎えにきたんだよ。もう心配はいらねえ。さあ、帰ろう」

 一座の連中は、役人の目から逃がれるように小屋のなかにひっこんだ。
「お役人の旦那さん、ありが……」
 松七の背後に、もう人影はなかった。
 むこうの松の木の下に、二匹の赤茶のトラとブチの猫がいるきりだ。
 最近よく見かける気のする猫だった。

 文太が松七の手を握った。
「おじさん、かかさまに会えるのか?」
 べつだん憎らしい子ではなかった。
 むしろ無邪気で聡明そうだった。

 松七はたちまち故郷の村を思いだした。
 村には、台風や鉄砲水で父親や母親を亡くした、たくさんの子供たちが自分を心待ちにしている。
「会えるよ。おまえさまの帰りを家でまっている」

「わああ」
 文太は両手をあげ、松七のまわりを走りだした。
 松七も同じように、あたりを駆けめぐりたい心境だった。
「かかさまは元気だったか、おじさん」
「元気に念仏となえてた」

「おじさんはすごくうれしいのに、けんめいに堪えてるって感じに見えるけど、なにか事情でもあるのか」
「おめえを見つけて連れていったら、おめえのかかさまから褒美がもらえる。褒美をもらったら、ハナと一緒に故郷に帰れる。正直いうと、うれしくって、どうしていいのかわからねえくらいだ」

「ハナってのはだれなんだ。もしかしたらハナってのはこう書くのか」
 文太は指先で宙に『花』と書いた。
「ハナは片仮名でハナと書く。おれの許嫁だ」
「許嫁ってことは嫁さんだろう」
 たしかに賢そうな子供だった。

「おじさん、なんで裸足なんだい」
「裸足のほうが、はやく駆けられるからだ」
 話しながら歩きだしていた。
 ずんずん歩いた。

 文太の足がはやくなり、松七の足もはやくなった。
 すると文太の足がもっとはやくなり、二人はいつしか駆け足になっていた。

「おじさん。さっきから二匹の猫も一緒にうしろ、走ってくるけどいいのか」
「いいよ」
「へんだよ。猫が一緒についてくるなんて。もしかしたらあの二匹、化け猫じゃねえのか?」

「化け猫じゃないよ。地蔵堂の付近に住んでるただの野良猫だよ。たまたま朝の散歩の道が一緒なんだよ。だけどあいつら、すいぶん遠くまで散歩にでるんだなあ」

 いくつもの町をとおりすぎた。
 まだ早朝である。
 どこも、しんとしていた。
 神田明神の横をとおり、昌平橋をわたった。

「さあ、もうすぐだ」
 朝日が射してきた。
「駿河町だ。真っ直ぐ行けば、かかさまがまってる袋長屋だ。ああ、おれの胸がどきどきしてはじめた。呼吸が苦しくなり、目もくらくらしてきた。落ち着け、落ち着け、実現するまで浮き足だっちゃいけねえ。だけど、やっぱり足がふわふわして胸が盆踊りを始めようとしやがる」

 まえの籤引きで気を失った松七は、必死に自分を落ち着かせようとした。
 地蔵堂のまえをすぎ、町家の通りをぬけた。

「おじさん、袋長屋だ」
 あっ……と松七はたちどまった。
 文太もたちどまった。
 うしろから来たトラとブチ猫の二匹もたちどまった。

《どうしたんだ?》
《なにか、あったみたいだよ?》
 まだ早朝だというのに、木戸のすぐむこうの貸本屋のまえは大勢の人だかりだった。

 トラとブチが木戸をくぐり、わきから屋根に上がった。
 表通りに面した貸本屋の格子窓が壊されていた。
『強盗だ』『お富の家に押し入った』『金が……れて』『お富が……た』

 野次馬たちが話していた。
 松七がふらふらっとよろけた。
「おじさん」
 文太が松七にすがった。

8 
「おらあ、村へ帰る。こうなったら一日もはやく戻らなきゃなんねえ」
 松七は完全に夢から醒めた。

「ハナもタミにも申し訳ねえけど、二、三年まってもらうしかねえ。ここで取り乱したら、おらも村も完全に終わる。とにかくこつこつ働く以外、道はねえってことだ。やんなきゃなんねえ仕事が山ほどある」

 松七は通りの前方、江戸の町を見すえた。朝日のようにすがすがしく、そして険しい峰を落ち着いて見つめる目の色だ。
「お地蔵様に迷惑かけたから、一言お詫びも言っておかなきゃ」
 松七の足が地蔵堂のほうにむかった。

 トラとブチもついていく。
《お富さんが殺されるなんて》
《なんてこった》
《金も強盗にとられてしまったしね》
《めぐりあわせが悪いとしか思えねえな》
《文太がついてくるけど》

 トラとブチが足を止め、ふりかえった。
 文太が駆け足で追ってきていた。
 長屋の大家に保護されたはずなのに、逃げだしてきたのか。
「なんだ文太?」
 松七も足をとめた。
 文太も足をとめた。

「父(とと)さまも母(かか)さまも死んじゃった」
「おまえは不憫なやつだけど、大家さんが面倒をみてくれるって言ってたろう。帰えりな」
 松七が強く言う。

 松七が歩きだす。
 文太も歩きだす。
 しばらく行って松七が足とめる。

「おめえには、これからおっかさんの葬式があるだろう」
 文太はそれを言われ、うぐっと息を飲み、涙をにじませた。
「おれは一日もはやく村に帰らなきゃならねえ。村には腹を空かした子がいっぱいいる。連れていけねえんだよ」

「いっぱいいるなら一人増えても二人増えても、いっしょだろう?」
 帯を胸高にしめた文太が手で涙をぬぐい、理屈をいう。

「いまおれの頭んなかは、あたらしい蚕や台風にあって荒れた土地に植える作物の苗とか、春の種とかを、なんとかうまい方法で手に入れられないかと、そのことでいっぱいだ」

「蚕について考えてんのか?」
「おまえには関係ない」
「おじさん『日本殖産大展綴』っての読んだか?」
 涙目の文太が言う。

「なんだと?」
 二匹の猫を挟み、話しだした。
「日本殖産大展綴って本に新しい蚕についてや、飼育の方法についてとか、いろいろ書いてあった」

「おめえ……」
「おいら家にあった本、みんな読んだ」
 文太が松七にちかづいた。
「台風の被害にあったあとの作物には、どんなものがいいかってことも本にでてた。近松源衛門っていう近江のお百姓さんが書いた『萬物作物風土記』って本だ」

 文太は二匹の猫のまえをとおりすぎた。
「『日本の各藩は、決められた石高のもと、競って内々で無謀な開墾を企ててきたため、各地で水害などをひきおこす恐れのある昨今である。限られた土地における開墾は自ずと限界に達するゆえ、今後においては、その地域地域に適合した作物の生産性に注目しなければならない』と書いてあって、いろいろな事例が載ってた。もしかしたらおじさんの村も、よそからもってきた作物を無理な開墾で育てようとして水害を引きおこしたんじゃねえの?」

 このガキ、なんでそんなこと知ってやがんだと、松七はおどろいた。
「おいら、書物を読んだから、なんでも知ってるぜ。おじさん、村に連れてってくれよ。おれはきっと役に立つ」