小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

化け猫地蔵堂 1巻 3話 子を産む女

INDEX|2ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

 弥平は返事をしない。仕事台の下から、両手で掬うように小さな布包を取りだした。

 膝で畳を歩き、上がり框の相模屋のまえに布包を置いた。
 布包を左右に開けると、小さな櫛が三つでてきた。
 仲よく並んでいる。
「できてる、できてる」
 相模屋は声をあげた。

 小さな櫛を手にとり、順々にひとつずつ、目の高さにかざした。
「うん、こりゃあいい」
 それぞれに大小の赤い椿が咲き、青い葉が三つ付いている。

「茜(あかね)のお局(おつぼね)様がこの櫛を髪に差し、将軍様のまえに出ていくところなんか、弥平さん、見てみたいでしょう?」
 嬉しそうにしゃべり、二度、三度と櫛をかざす。
 その目が部屋の壁のほうに動く。

「どうして譲ってくれないんですか。あれだけの物をお女中たちに見せたら、きっと大喜びですよ」
 弥平はふっくらした白い頬を左右にふる。
「でも弥平さんがその気になったとき、あれは全部わたしの物ですからね。忘れないでくださいね」

 相模屋さんはこのまえの分と一緒だ、と何枚かのお金を懐からだした。
 楕円形で黄色い。小判である。
 弥平は腕の立つ職人だったのだ。

 客が帰ると、弥平はまた仕事をはじめた。
 ときどき、気づいたように隣家に耳をすます。
 だが、静けさが平穏の証ででもあるかのように、あいかわらず物音ひとつしない。

 遠く鐘の音が、午後八時(宵の五つ)を告げた。
 弥平がうんとうなずく。
「さあて、ちょいと休むか」
 弥平は手で畳の上の木屑を払い、丹前をひきよせ、ごろんと横になった。

 よほど根を詰めて仕事をしていたのか、すぐ鼾をかきだした。
 隣はしんとしたままである。
 弥平の家の初日だ。
 トラとブチはあちこちをうろつかず、おとなしくしていた。

 二匹は壁ぎわでからだを寄せ合った。
 夜が明けたら長屋の井戸端に行き、おかみさんたちのお喋りを聞くつもりだった。

3 
 弥平はまだ気持ちよさそうに眠っていた。
 右奥の階段を伝い、さわやかな空気が流れていた。
 二匹は奥の階段を登った。

 二階は六畳だった。
 障子窓が半分開き、畳に朝の光が射していた。
 窓から外に出てみた。
 黒瓦の屋根がひろがっていた。

 隣家は屋根つづきである。
 トラとブチは、細めに開いた隣家の窓に歩み寄った。
 なかをのぞくと、女が仰向けに眠っていた。
 掻巻(かいまき)布団の腹のあたりがふくらんでいる。

《幽霊の赤ちゃんだよ》
《でも亭主はいないみたいだな》
 トラが左右に目を動かす。布団はひとつだった。

 女の枕もとには針坊主が置いてあった。
 畳まれているのは縫いかけの赤い着物だ。
 赤ん坊のもののようだった。
 
 なんだかゆったりした雰囲気で、幸せそうだった。
 長屋のみんながどう噂するのか、いよいよ興味が湧いた。
《下の部屋をのぞいてくるね》
 ブチが、開いた窓からするりと体を忍ばせる。

 だが、すぐ忍び足でに戻った。
《やっぱりだれもいなかった。一人で住んでいるみたいだよ》
《井戸に行ってみようか》
 どこの長屋も、井戸は路地の奥にあった。

 棟つづきの屋根伝いに、二匹で奥にむかった。
 屋根がとぎれ、下が空き地になっていた。
 井戸は空き地の真ん中にあった。

 おかみさんたちが水を汲み、米を研いでいた。
 二匹は、長屋の屋根から井戸の屋根の上に跳んだ。
 おかみさんたちはお喋りに夢中だった。

「そういえばお高だけどさ。薄気味悪いったらありゃしないよ、もう」
 さっそく話が変わった。
「亭主が化けて出てきて子供ができただなんて、真剣な顔で言うんだものね」
「幽霊の子供だって、きかないんだからね」

 やはりみんなは、気になって仕方がなかったのだ。
 噂の主はお高という名だった。
「だれがなんて言っても、産むって頑張るんだからね」
「どうやって幽霊とあれしたんだか」
 だれも笑ったりはしなかった。

「亭主もなしに子供産んで、これから先、どうする気なんだろうね」
「幽霊の亭主が稼いでくるっていうのかい」
「ほら」
「来たよ」                      
 おかみさんたちがわざと腰を揺らし、しゃがんだ姿勢のまま米を研ぎはじめた。

 お高は寝起きの顔だった。髪は乱れ、眼も腫れぼったかった。
 それでも充分長屋の白鷺に見えた。
「またあたしのこと、話してたんでしょ」
 お高はせりだしたお腹を揺すり、井戸の釣瓶に手をかけた。噂なんか意にも介さぬようすだ。

「ああ、話してたよ」
 おかみさんたちも、言い返す。
「おまえさんの話はおもしろいからね」

「幽霊をばかにしてさ。あとで祟られても知らないからね」
 お高は水を汲み、桶に移す。
 ざばざば、と顔を洗う。
 その隙におかみさんたちが腰をあげた。

 最後の一人も米の入った笊を抱え、逃げるように去った。
 お高もさっと用を済ませ、帰っていく。

 別のおかみさんたちがやってくる。
「だけど、あのまま放っておいていいんだろうかねえ」
 すぐお高の話になった。

 お高は二年半ほどまえ、隼長屋にきた。
 半蔵という男と一緒だった。
 二人は駆け落ちの仲だった。
 長屋にきて一年近くたったとき、通りで半蔵が暴れ馬に蹴られ、重症を負った。

 お高は必死に看病したが、二ヶ月後に亡くなった。
「どこかに男でもいたのさ」
「あの色気だものね」
「男が黙っちゃいないよ」

「でもお高は、あたしにこう説明しだんだよ」
 お高の口ぶりを真似る。
「『半蔵がお寺に埋葬された夜だった。化けて出てきてお腹に子が宿ったのさ。ほんとうだよ。わたしはあの人にちゃんと抱かれたんだからさ』ってまじめな顔なんだよ」

「夜這いの相手と間違えたんじゃないの。しょうがないねえ」
「幽霊に抱かれたなんて、よく言うよ。人恋しくてあれがしたくって、夢中でどこかの夜這の男にしがみついたんじゃないの」

「このさい、隣の弥平さんとくっつけちゃったらどうだろう。もしかしたらうまくいくんじゃないかね」
 一人が提案した。

「櫛を造って絵を彫り、色を付けてるだけが取り得の一人もんだしね」
 ただの櫛職人ではないことを、おかみさんたちは知らないのだ。
「白豚の弥平さんなら、お高があんなふうだからって言えば、もしかしたら承知してくれるかもしれないよ」

「そうだよ、弥平もなんだか寂しそうにしているしさ」
「その話、案外いいかもしれないよ」
 いいと思う、いい、いい、とみんなが囃すように賛成した。
 異を唱える者はいなかった。

 女房衆が去り、男衆がやってきた。
「大家さん」
 一人が、年配の男に声をかけた。
「お高のやつ、一人で産む気らしいんですが、うちの女房が弥平に話をしてみたらどうだろうかって言ってやす。弥平は独り者だし、お高の器量も悪くはない。大家さんが口をきいてくれれば、承知するんじゃないかって」

「いくらなんでも、そりゃねえですぜ」
 横から若い男が口をだした。
「相手は幽霊の子を身籠もっているんですぜ。幽霊の子じゃなきゃ、どっかの色男に違いねえじゃねえですか。弥平さんがかわいそうだ」