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化け猫地蔵堂 1巻 3話 子を産む女

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化け猫地蔵堂 1巻 3話 子を産む女 


3話 子を産む女

1 
 普通の若い女の人の願いごとは、だいたい決まっている。
 結婚まえなら『よい人にめぐりあえますように』
 『きっといつかあの人のお嫁さんになれますように』だ。

 結婚していれば『はやく子宝に恵まれますように』
 『安産でありますように』である。
 子供が産まれれば『どうか病気になりませんように』
 『元気にすくすく育ちますように』である。

 そんな願いごとを聞いていると、心がゆったりして気分がいい。
 それでうっかり油断をしていた。
 トラ猫とブチ猫は口髭を立て、緑の目を見開いた。

 天井裏の板壁の隙間から、屋根に駆けあがった。
 椎の木の枝に飛び移り、かしがった幹を伝い庭に跳び下りた。
 鹿子(かのこ)模様の着物が石畳を踏んで、出口から消えるところだった。

《あの女の人は『お腹の幽霊の子』と口にしたよ》
《しかも、明るく元気にだ》
 トラとブチには信じられなかった。

 女は地蔵堂の通りから、猿楽町の通りを抜けていく。
 背丈は普通よりもやや高く、すらりとしている。
 弱々しい感じはどこにもない。

 歩調に合わせ、腰の水木(みづき)の帯が軽やかに揺れた。
《なんだか楽しそうに歩いていくよ》
 背後の姿を目で捕らえ、トラとブチは顔を見合わす。

 鎌倉川岸の通りにでた。
 トラとブチは、ゆっくり後についていった。
 ときどき犬や猫に出くわす。
 だが妖気を感じ、尻尾を丸め、みんな逃げだす。

 やわらかな薄茶に細い黒の縞に短い顎髯のトラ、頬の毛をふくらませ、同じ薄茶に鼻の先から喉、そして腹までが白毛のブチ。二匹とも大きな緑色っぽい目だ。

 京橋の大通を右に折れた。
『わたしのお腹に幽霊の赤ちゃんがいます。どうか無事に産ませてください』
 女は確かにそう祈った。

《幽霊の赤ちゃんていうことは?》
《幽霊の亭主がいるってことだよ》
 女は元気そうに下駄を鳴らす。
 幽霊にとりつかれている気配はない。

《ここは紺屋町だよ》
《おっと、あの木戸だ》
 女が右手の木戸をくぐった。
 横をむいたときのそのお腹は、確かにせりでていた。

 木戸の表札には、隼長屋と書かれていた。
 トラとブチも木戸を抜けた。
 夕刻まえの木戸は、大きく開けられている。
 長屋は二階建てだ。左右の軒は高く、路地もひろい。
 貧乏人の住む長屋ではない。

 路地で遊んでいた三人の子供が女に気づき、逃げだした。
 むこうでふり返り、囃したてた。
「やーい。ゆーれいのごりょうさん。ゆーれいのごりょうさん」
 御寮(ごりょう)とは、奥さんの意味だ。
 どこにでもいる悪餓鬼である。

 女の家は右側の五軒目だった。
 トラとブチは、手前の四件目の家の障子戸の下にしゃがみこんだ。
 そこから、隣家をうかがった。

 女が入った家からは、物音ひとつ聞こえてこない。
 人と話しをしている気配もない。
 だれも住んでいないかのように、しんとしている。

 耳をそばだてていた二匹は、ふう、すうという息づかいを頭の上に感じた。
 見あげると、かすかに障子戸が開き、男が隙間の内側に額をつけていた。

 男と二匹の目があった。
「そんなところでなにをしている?」
 男は戸の内側から話しかけた。
 トラとブチは男を見あげ、みゃあと鳴いた。

 男が障子戸を開けると、内から木の香りがあふれでた。
 柘植(つげ)の木の香りだった。
 上がり框(かまち)のむこう、畳一面に木屑がひろがっている。
 壁には、たくさんの櫛が飾られている。
 櫛職人の家だった。

「見かけない猫だけど、いくところがねえんなら入んな。家(うち)はおれ一人だから遠慮はいらねえよ。いいなあ二匹で仲良くて」
 最後に一言、つけ加えた。

 頬が丸く、色白で穏やかそうな男だった。前掛けをつけている。
《この人、いま、隣の女の人のようすをうかがっていたみたいだったけど》
《となりじゃなくって、おれたちだろ。見なれない赤茶の毛のトラとブチの猫がいるんで、なんだろうって・・・》

《幽霊の旦那とやらを確かめるのに良さそうだから、ちょっとだけここん家(ち)に厄介になろうよ》
《うん、そうしょうか》
 二匹で話し合っていると、男がつぶやいた。

「相談でもしてるみてえに、にゃごにゃご鳴いてるけど、もし小便や糞の始末が悪かったらすぐ追い出すからな。いいな」
 まるで言葉が理解できるみたいに話しかけられ、トラとブチは思わず声をそろえ、にゃおと白い歯を見せた。

「お、わかってんな」
 男はうなずいた。
「さあ入んな」
 足を踏みかえ、二匹に通路を開けてくれた。

2 
「弥平さん、夕ご飯ができましたよ」
 障子戸が開いた。
 弥平は眉間に皺をよせ、仕事台の上で小刀を動かしていた。
 ときどき、手もとの櫛にふっと口で風をおくり、彫り具合を確かめる。

いつしか、日が暮れていた。
入ってきた女は頬が赤い。
紺絣の着物だ。盆に飯と汁と焼魚が乘っている。

「まあ、上がり框にぼさぼさの毛のトラと白ブチの赤茶の猫が仲良く並んで、弥平さんの仕事を眺めてるよ」
 女は笑顔を見せ、下駄を脱いで座敷にあがった。

「どこかの迷い猫らしいんだけどな。家の入り口のところにいてね。二匹で仲良くしてる猫なんて滅多にいないけど、もしその辺に小便や糞をするようだったら追いだすからなっていったら、うんと鳴いて返事をしてくれたんだよ。八重さん、すまないけど、なにか残り物があったら、この二匹にも持ってきて貰えないか」

「あいよ。すぐにもってくるから、大人しく弥平さんの仕事を見てんだよ」
 八重さんは弥平の仕事台の横に盆を置いた。
 だけど猫は人間に返事なんかしないのにねえと、二匹に話しかけ、そくさくと出ていった。

「八重さんはな、むかいの家の奥さんだ。こうやって独身(ひとり)者のおれの飯の世話をしてくれてんだけど、もしおれの家で厄介になりたいんなら、八重さんとも仲良くするんだぜ」

 櫛職人の弥平は小太りで、指までぶくぶくしていた。
 だが手先はかなり器用そうで、一彫り一彫り、目を輝かせ、柘植の木片に小刀を入れていた。

 壁にならんだ花鳥風月の絵付けの櫛、みんな弥平の作品のようだった。
 弥平は仕事台の上に、ことりと小刀を置いた。
 目を細め、いま自分が彫った模様を確かめる。
 満足気にうなずき、夜食の盆台を引き寄せた。

 弥平が飯を食い始めると、また八重さんが姿を見せた。
 飯を盛った椀には、魚の尻尾が乗っていた。
 化け猫の二匹も生き物だ。飯も食う。
 ただし、長い間食わなくても平気である。

 二匹が土間で飯を食っていると表に足音がした。
「ごめん、相模屋ですが」
 男の声だった。
「おはいりなさい」
 弥平が表に顔をむける。
 箸を置き、盆台をわきに寄せた。

 戸が開き、羽織の男が入ってきた。
「できてるかい?」
 うしろ手に戸を閉める。
 同時に腰をかがめ、土間をあゆみ、上がり框に両手をついた。

 なにかに期待をしているかのごとく、目を輝かせる。