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化け猫地蔵堂 1巻 2話 熊太郎純情

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「わたしは白銀町からきた良庵という医者だ。ここん家に病人がいるって教えてくれる者がいてね。近くにきたからついでに寄ってみたんだよ」

 父親の頭の上に座った姉妹は、なにごとかと、半分腰を浮かしかけていた。
 赤鬚の良庵が、心配ないよ、とうなずき、笑いかける。
女の人も同じようにうなずいて見せる。
二人とも緑色のやさしい目だった。

「さっそく聞くけど、おとっつあんはどうして目を覚まさないんだね?」
 良庵が話しかけ、女の人が薬籠を開けにかかっていた。
「そうだ、そのまえに、おねえちゃんの名前はなんていうんだっけ?」
 投げだされた男の手首を取りながら、良庵が聞いた。

 幼い二人が目をあげ、うなずきあった。
「あたし、あかね」
「あたし、こいと」
 歳は六つと四つ。父親の名は熊太郎。母親は二年まえに病死した。

「それでいまは、こうしておとっつあんと暮らしてるって訳なんだな」
 熊太郎の手を取って聞きながら、良庵が首をかしげた。
からだは温かくも冷たくもなかった。
脈はかすかにあり、死んでいるとも生きているともつかなかった。

「おとうちゃん、酒をのんで眠ったらおきなくなった」
 姉のあかねが、さきほどの質問に応えた。
「眠ったらおきなくなった? それはいつのことなんだい?」
 良庵が口許をゆるめる。
しかし、目つきは厳しかった。

「おとついの夜からだけど」
 姉の双眸がゆらぐ。
「おまえさん、熊太郎さんの頬から口許にかけて、蛞蝓が這ったような跡があるけど、ほら」
 口調からして女の人は、良庵の奥さんのようだった。

 薬係の奥さんが頭を低くし、口許をのぞく。
 脈を診ていた良庵は熊太郎の手を床にもどし、腰をかがめた。
そして奥さんと一緒に床に顔をならべ、口許を見守った。
うーん、と二人並んで声をもらした。

「もしかしたらこれは」
「おとついの夜といえば、おまえさん」
 二人の目が細く横長になった。
目の奥で瞳が細くなった。

 いつしか二人の背後の玄関に、人がでこぼこに顔を並べていた。
長屋のおかみさんたちだった。
「みなさん、二日まえの夜はなんの日だったかね?」
 良庵がふりむく。
とっくにそこにいるおかみさんたちに気づいていたのだ。

「庚申の日、でしたけどお?」 
 一人が尻上がりの口調で答えた。
仕事のさいちゅうだったのか、襷がけである。
「熊太郎さんとやらは、もしかしたら一人で夜を明かしたのかね?」
 良庵が聞きなおした。

おかみさんは当然でしょう、とばかり胸をそらした。
「子供のまえでなんだけどね、熊太郎なんかと一緒に夜を明かす者なんか、この長屋にゃいないよ」
 ぐいと腕を組んだ。
「庚申の日、だったのか……」
 つぶやく赤鬚の良庵の目が、ふっとかすんだ

 庚申の日──。
 その昔、天の神は、下界に三尸(さんし)の虫を播(ま)いた。
三尸の虫は人間の腹のなかに住みつき、六十日に一度、天に戻る。
本人が眠っている真夜中に、口から這いだすのだ。
そして天神様に、住んでいたその人間の罪状を告発する。

 天神様は虫の報告を聞き、内容を吟味する。
悪人であると判断すれば直接本人を呼びだし、自ら審問をする。
判断に間違いがないとなれば、本人は地獄送りにとなる。

 三尸の虫は、だれの腹にいるのかはわからない。
当然だが、人は世の荒波のなかで生き、意思にかかわらず、罪を犯している。
働き盛りの善人が、朝にぽっくりいったりしているのは、そういう罪を犯したからである。

 だから庚申の日は、男たちを中心に近所の者が集まり、徹夜で夜を明かす。
眠らなければ、腹の虫は口から出てこられない。
 だが熊太郎は一人で酒を呑み、眠ってしまったのだ。
腹にいた虫が口から這いだし、天に昇っていったのである。

「熊太郎は悪者だったのかい?」
 良庵がふりむいて聞いた。
「働きもしないで、毎晩酒をあおってたよ」
「ちょいと文句をいっただけで、大暴れしてさ」

「腕っぷしが強いから、大家さんも手がつけられなくてね」
「なにかと子供たちを殴りつけてね」
 おかみさんたちは、待っていたように喋りだした。

「この子たちも、悪態ばかりつくようになってさ」
「あんまり言うことをきかないもんだから、しまいには憎らしくなってね」
 困ったような辛そうな顔をした。
「軒なみ金を貸してない家はないんだよ」
「ものを盗まれていない家はないんだよ」

 幼い姉妹は肩で聞いている。
「ところで熊太郎のやつ、いつまでそんなところに寝ころんでんだね」
 襷がけのおかみさんが腰をかがませ、のぞきこむ。
「あれ? まさか、しん……」
つぶやきながら半歩、土間に踏みこんできた。
死んでんじゃ、という言葉を飲みこむ。

 他のみんなも、え? と表情を変え、身がまえた。
「ちがう、ちがう。そうじゃない」
 良庵が手をふった。
「熊太郎さんはいま、死んでいるとも生きているともつかない状態なのだ。子供たちの話によると、ずっとこんなふうだったと言うことだし」
 良庵にも訳がわからず、しゃべりながら考えた。

 姉のかえでが口を開いた。
「もしかしたら、おとっつあんのおなかからでていった虫は、天にいく途中で、みちにまよってんじゃないかとおもうんだけど」
 妹のこいとが続ける。
「おとっつあんは、大ざけのみだったから、おなかの虫もきっとよっぱらってんだ」
 二人の、けんめいな考えだった。

「熊太郎さん、熊太郎さん」
 良庵が熊太郎の肩を揺すった。
ついでぱんぱんと頬を叩いてみた。
「気つけ薬だ」
 良庵が奥さんに命じた。

 奥さんが目で応え、薬籠から小さな壺を取だした。
 良庵が受け取った壺を上下に振り、きゅっと木の栓を絞った。
 熊太郎の鼻孔に壺の口をつけ、嗅がせてみる。
 ようすをうかがうが反応はない。
二度三度くりかえす。

「よし、力薬だ」
 良庵の一声で、奥さんが紙に包んだ何種類かの薬をだし、床にならべた。
それぞれの薬を順々に小匙ですくい、トラ碗に入れ、水で溶く。
 そのとき玄関口から、あのう、といいながら痩身の男が顔をだした。
肩でおかみさんたちを掻き分ける。

「あっしは大工の小吉ってんですが、その薬飲ますの、やめてほしいんですけど」
 小吉は片肘をくの字に曲げ、頭のうしろを掻いた。
「熊太郎のやつ、起きたらまた大暴れしやす。向こう見ずで力があるから、暴れたら手がつけられねえんです。酒好きで怠け者で屑みたいなやつだから、そのままそっとしておいてもらいてえんですけど」
 小吉は骨ばった細い顔で苦笑した。

『死んでもいいのかね』と聞けば『はい、いいんです』と答えそうだった。
「いつから手がつけられないとか、そんなようすになったのかね?」
 良庵は質問の内容を変えた。