化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷
凶暴そうな顔つきの猫、不届きな態度をとる猫、白と黒の気味の悪い斑毛の猫、それらが逐次捕らえられた。
武内や佐武家の血筋にちかい腰元たちは、自害し果てていた。
その数は三十余名に達した。
役人は騒ぎを大きくしたくなかった。
だから、捜査は夜間に敢行した。
大量殺人を知られたくなかったのだ。
屋敷の放火は故意である。火
火事になったので駆けつけた、と言い訳をするつもりだった。
直属の家来以外、屋敷で働いていた者はなにも知らなかった。
そこは別邸で、本妻は陸奥の国におり、事件とは関係のない生活を送っていた。
そのうち、地蔵堂で殺された女中の名も判明するであろう。
番町猫屋敷に人骨の山……。
伏せても噂はひろまった。
人骨は地下道からとなりの屋敷を経由し、よそに運ぶつもりだった。
ところが、谷地を開拓した裏番町の地下からは、大量の水が浸みだした。
さらにとなりの屋敷が、いったん承知をした賃貸を取り消してきたなどの事実が重なり、猫屋敷の奥に人骨が山積みになった。
捜査のおくれた奉行の責任は重い。
大目付は波風をたてず、素早くことを治めたかった。
そこで、佐武藩に現藩主の引退を裏でうながした。
特別に新藩主の世継ぎを認めるというお達しである。
藩主は床に伏せていた。
即刻、年少の新藩主を迎える旨、江戸表の大目付奉行に届けでた。
藩主の引退で、事件は早々に終焉した。
妾のお里や二人の赤毛の侍の行方も判明しなかった。
9
トラ猫と三毛猫は地蔵堂の屋根裏に戻った。
《わたし、お里さんに会いたい》
三毛が、格子窓の外の星を見あげた。
《うん、どうしてるかな》
トラもそのことを考えていた。
《お里さんは、わたしたちの貴重な仲間だものね》
やはり、じっとしてはいられなかった。
久しぶりの旅だった。
赤茶の毛をなびかせ、街道を疾走した。
二日め、聞いていたお里の故郷に着いた。
もともと火山だったその山は、数十年ぶりかで活動を開始していた。
頂には白煙がたなびき、周囲は焦げ跡だらけだった。
すでに山は、生き物の環境ではなかった。
麓の村にも人はいなかった。
旅人の姿もない。
トラと三毛は葛折の細い山路を登った。
あちこちの路が崩れていた。
お里は殿様とともに、戻っていると確信していた。
ずずんと揺れ、上のほうで岩の崩れる音がした。
崖の中腹の路を急いだ。
壊れ落ちそうな丸木橋の谷を渡った。
立木が焦げ、岩肌が剥き出しになっていた。
崖下の灌木のなかに、つぶれかけた小屋があった。
周囲は枯れ草でおおわれ、低い茅の屋根が被せられていた。
いままさに元佐武藩藩主、佐武盛之助が息を引き取ろうとしているところだった。
お里はやつれていた。
だが野性的な美しさは変わらない。
盛之助が山に行きたいと訴えたのである。
山で死ぬ気だった。
もう肝は口にしないとも宣言していた。
家来の同行も拒んだ。
お里は半人半猫姿で盛之助を背に乗せ、夜の裏街道をやってきたのだ。
山は、煙と火をかわりばんこに噴いた。
お里はその山で長く生き、過去に何度も同じ体験をしてきた。
山は、時がくればまた緑を復活させる。
お里から見ればいつもの活動にしか過ぎなかった。
噴火活動は、山があたらしく生まれ変わるための息吹きでもあったのだ。
お里は盛之助の枕元につきそっていた。
「遠いところをご苦労様です。でも殿様は、もうすぐお亡くなりになります」
お里は姿を見せたトラと三毛に告げた。
「拙者は、死ぬ」
盛之助がくりかえした。
目は閉じたままだった。
訪ねたトラと三毛に気づいていない。
「拙者もお里も、なぜ肝を食する運命になったのかのう」
低くつぶやいた。
「わたしとあなたを結びつけるためです。だれかが仕組んだのです」
お里がささやいた。
「それはよい答えである」
口許に笑みを浮かべた。
「死んだらどうなるのでしょう? 盛之助様」
お里が訊く。
「わからぬ」
盛之助が答える。
「天国へいくのですか?」
ちょっと間があり、乾いた唇が動いた。
「無であろう。そこにはなにもないのだ。のぞいた者はおらぬのだから、本当にそうなのかどうはわからぬがのう」
「盛之助様、なんだか楽しそうなお顔をなされております」
「いっさいが御破算になるのだ。すべてが終わって、なにかが始まるのだ」
盛之助は胸で一息つき、また口を開いた。
「自分を自分と思う自分がいなくなるなどと、なんだか妙である……だがお里、とにかく先にいってまっておるからのう」
猫の笑みだった。
深く息を吸う。
「まっておるぞ……おさと、さらばであ……」
ふうっと最期の覇気を大きく吐き出し、体から力が抜けた。
お里が盛之助の胸にすがった。
簡素で静かな死だった。
「殿様、盛之助様‥‥」
盛之助は動かなかった。
「盛之助様が、死んでしまった。だれも知らない遠い世界にいってしまった」
お里は盛之助の胸に、顔をうずめた。
なんにもない世界──。
無の世界──。
トラと三毛は並んで前足をそろえ、ただ二人を見守った。
以前のすべてを御破算にするため、無があるという。
生き物としての悩みと苦しみが、そこで解放されるというのだ。
山が音をたて、震えはじめた。
茅の屋根の隙間から空が見えた。
赤くなっていた。
お里は盛之助の胸に重なったままだ。
トラと三毛はお里のうしろで、じっとしていた。
いま気づいたかのように、あたりがふわっと明るくなった。
赤い空は朝焼けだった。
山は勢いを増し、いっそう激しく揺れはじめた。
お里が、ゆっくり体を起こした。
「地蔵堂のトラ猫さんに三毛猫さん。わざわざ遠くから訪ねてくれてありがとう。山はこれからいよいよ暴れます。危険ですから、もう下りてください」
頭をさげた。
「超力を使い、地蔵堂の屋根裏で仲良く生き、人々を助けてやってください。わたしは盛之助様と一緒に遠くにいきます。いろいろありがとうございました」
お里が顔をあげ、地面に両手足で立った。
体が、むくむくっと蠢き、ひとまわり大きくなった。
焼け焦げだらけの着物が裂け、布切れの破片がばらばらと地面にこぼれた。
瑠璃色の瞳が濡れてにじんだ。
ふいにお里の姿がかすんだ。
お里は白い牙を剥いて四肢を踏み、盛之助の襟首を咥えていた。
白っぽい薄紫の毛並が、生き物のように震える。
腕や足が猛獣の筋肉のごとく、びくびく波うつ。
「どうする気なんですか?」
三毛が聞いたが答えない。
お里は盛之助を咥え、首で持ちあげた。
しなやかな肉体が、ぶるるっと跳躍した。
一瞬だった。
光のなかにお里のうしろ姿が見えた。
小屋の外だった。
お里は崖の斜面を登りはじめた。
盛之助の手足が、糸の切れた操り人形のように踊った。
トラと三毛があとを追った。
盛之助をくわえたお里が、立ち枯れた木々の間を走った。
地面が熱くなってきた。
作品名:化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷 作家名:いつか京