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化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷

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 山姥は藩主の喉に液体を注ぎこんだ。
 液体がかすかな呼吸とともに、体内にこぼれていった。

 つぎに、肝をとろけかかるほどに薄く切り、舌に乗せてみた。
 藩主は、ごくんと喉を動かした。
 幾度かくり返すうち、男の顔色が、さざ波が打ちよせるかのように変わった。
 
 夜、藩主は低い茅の屋根の下で目を覚ました。
 枯れ草の小屋のなかだった。
 囲炉裏のそばに、肘を枕に女性が眠っていた。
 自分の命は尽きようとしており、最後の手段として正体不明の山姥のところまでやってきていたのだ。

 停滞していた藩主の血が、五体に蘇っていた。
「女、目をさませ」
 女が目を開け、上半身をおこした。
 睫毛の濃い、切れ長の大きな目だった。

 瞳の奥が瑠璃色に透け、紫がかった髪が逆立っていた。
 着物は汚れ、裾はぎざぎざに千切れていた。
「そなたは山姥の娘であるのか?」
 女が殿様を睨み返した。

 力のこもった視線だった。
「いいえ、わたしが噂の山姥です」
 静かだが、透き通ったはっきりした声だった。
「おまえが山姥だと? わしに肝をくれたのはおまえか?」
 はいと女は答えた。

「あなたはここに病気を治しにきたのでしょう? しばらくここで治療をしていったらいかがでしょう」
 この男の病を治してみよう、という気持ちが山姥に芽生えていた。
 山姥は危険な街道まででむいた。
 生きのいい若い男を誘い、次々に肝を手に入れた。

 盛之助はみるみる快復していった。
 盛之助は山姥に告げた。
「山姥はそなたにふさわしい名ではない。今日からお里(さと)という名にしよう」

 茅の屋根は破れ、隙間から山の峯がのぞいた。
 周囲は低い潅木で、背後は岩の斜面だった。
「わたしの名は、お里でございますか」
 女は盛之助のまえで膝をそろえた。

「でも、わたしは人間ではありません」
 盛之助を見かえした。
「何者だと申すのだ」
「気づいたとき、一人で暮らしておりました。歳もとりません」
「それはそうであろう。人の肝を食って生きていたのであるからな」

 盛之助は体を揺すって笑った。
 盛之助は元気を取り戻し、お里を抱いた。
 そのような行為は、お里にとっては初めての経験だった。

 ときどき、殺した男の男根を見つけることがあった。
 喉を掻き切った男の着物の裾の間から、ぴんと突きでている。
 最期の生命力を一点に集中させ、なにごとかを企んでいるかのい見えた。
 唾を飲み、掌で握ってみると、かっと熱かった。
 
 自分の胸が疼き、ときめきを感じた。
 が、つぎの瞬間、命の終焉を告げた肉棒は、手のなかで柔らかな肉塊と化した。
 お里は盛之助に夢中になった。

 ある日、山に佐武藩の侍たちが姿を見せた。
 侍たちは、茅(かや)や枯れ草でできた動物の巣のような小屋に住む、藩主を発見した。
 藩主の骨太の体も元に戻り、鋭い眼光も復活していた。
 一緒にいる娘は涼やかな目を煌めかせ、紫がかった髪をうしろに束ねていた。
  山の青い空に、色の白い、野性的な大柄な女の立ち居姿が映えた。

「殿……」
 家来が声をかけた。
 額のひろい中年の男だった。
「武内、よくきたな。わしはこのように元気になったであるぞよ」
 藩主が、となりのお里の肩をぐいと抱いた。

 頬と顎の黒髭が風になびいた。
「この女はお里である。一緒に山をおりる」
 陸奥の国の藩主には、江戸詰めの任務がまっていた。
 もはや肝は必要としない体になっていると思われた。
 お妾のお里については考慮外だった。

 急遽、江戸の番町にお妾の屋敷が求められた。
 他藩の下屋敷を借りうけたのだ。
 だが、やはり盛之助には人の肝が薬だった。
 生きのよい生命力の強そうな肝が望まれた。
 なんとかなる、とお里は盛之助に具申した。
 だが江戸では、思うようにことは運ばなかった。


7 
「こうして番町の別邸に住み、藩主と自分のために肝を手に入れていたのです」
 人骨の山を背に、お里が語る。
 百目蝋燭が揺れ、白い頬に影がよぎる。

「盛之助様の病は日増しに悪くなりました。わたしは、江戸でもなんとかなるとたかをくくっていたのです。しかし、生きのいい肝は滅多に手に入りませんでした。そして、こんなことがいつまでもつづく訳がなかったのです。わたしたちは、また山に戻ります」

 眉間に一本、縦皺がきざまれ、瑠璃色の目が青色に輝いた。
 自らが長い間生きてきた故郷の青い空と緑の山々が、映しだされたのだ。
 トラ猫の猫又七郎と家来の三毛猫は、じりっと心を焦がした。

 どうしたらよいのか……よい案はないのか……。
 頭をめぐらせようとした。
 と、そのとき、火事だ、火事だ、と声がした。
 どんどんどんと部屋の外側の扉が叩かれた。

 山水の白い着物の裾をゆらし、お里が膝を崩した。
 トラと三毛があとつづいた。
 火事は大の苦手だった。

 お里は、奥の秘密の部屋の扉を閉め、鍵をかけた。
 ついで部屋の扉の錠をはずし、左右に押し開いた。
 膝もとに白い煙が雪崩れこんできた。

 すでに廊下は、渦巻く煙でいっぱいだった。
 武内という、中年の侍がまっていた。
「奉行所の役人が火矢を放ちました。屋敷は捕り方たちに囲まれております」

 しかし、役人たちはもう屋敷内に侵入していた。
 廊下を駆けるあわただしい足音。
 かなりまえからこの日が用意されていたかのようだった。
 全体を指揮するのは大目付方の役人である。
 捕り方たちは町の奉行所から来ている。

「どけい、進路をあけろ」
「お妾のお里はどこだ」
「神妙にお縄を頂戴しろ」
 お里の家来たちが、役人たちと斬りあっていた。

「奥方様、あとはお任せください。お殿様はこの屋敷の裏の通路から外にお運びいたします。この場はひとまおず逃げください。そしてなんとか殿の病を」
 武内がお里をうながした。
「庭にでましょう」
 お里が走りだした。

 赤毛の侍のトラと三毛も後についた。
 全力である。
 こんなときの猫独特の機敏さには、だれもついてこられない。
 三人は縁側から庭にでた。

 捕り方たちが待ち伏せていた。
 刀をもった赤毛の侍の二人が、捕り方のなかに跳びこんだ。
 一瞬、捕り方たちがたじろいだ。

「いまだ」
「お里さん」
 赤毛の二人がうながした。
 白い着物が霞んだ。

 役人たちの頭上の梢が揺れた。
 木々の青い茂みに白い閃きがあった。
「神妙にお縄を頂戴しろ」
 白鉢巻の役人たちは口上を叫び、二人の赤毛の侍を半弧に囲った。

 役人たちは、人殺し一味を一挙に検挙しようと、内定をつづけていた。
 相手が武家だったので町役人ではなく、目付役人である。
 数寄屋造りの屋敷が燃え、真っ赤な炎と白い煙があがった。
 ぎゃおう、ぎゃおう……庭のあちこちで猫が鳴いた。

8 
 人骨が重なりあい、絡みあい、肋が木切れのように散乱していた。
 髑髏が焦げ、くすぶっていた。
 捕り方たちは仰天した。
 大目付奉行も人骨の山をまえに二、三歩よろけかかった。

 化け猫を目撃したという、捕り方の証言があった。