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化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷

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「武内、この者たちは怪しい者ではござらぬ」
 お里が言い切る。
「皆の者、下がってよろしい。しばらくは、わたしと客人たちだけにしてもらいます」

「いいえ、私どもはこの二人の客人とは今日はじめてお目にかかります。そのような独断はなりませぬ」
 家来の武内が諫めようとする。
「武内、落ち着きなさい。この者たちは、もしかしたらわれわれを助けてくれるかもしれぬ大事な客人であるぞよ。話が済むまで、しばらく外でまっておるがよろしい。御家のため、佐武藩のためでござりまする」

 お里だけが、トラと三毛の正体に気づいているようだった。
 武内が口籠もった。
 ひろい額が憤懣でやるせなさそうだ。
「承知いたしました。拙者は扉のまえにて待機いたしております。いつでもご用命を」
 不承不承、武内は三人の腰元とともに外にでた。

 扉が閉じられると、お里が内錠をおろした。
 しんとなった。
「あなたですね。地蔵堂のまえで女中を殺したのは」
 三毛猫がさっそく声をかけた。

 お里は答えず、懐からもうひとつ鍵をだした。
 奥の扉にその鍵を差しこみ、片側へ押し開けた。
 臭気が、どすんと二匹の後頭部に突き抜けた。
 密閉された薄暗い空間に、白いものが重なっていた。

 脛や腰骨や肋や髑髏が、勝手な方向をむいている。
 腰の高さほどもあった。
「あの女中、偶然見てしまったんです。着替え、外へ逃げだしたので家臣が追いましたが、途中で見失ったため、わたしが臭いをたどり、地蔵堂にいるところを見つけ……」

 お里が白い着物の袖を、横に払った。
 袖口から猫の手がのぞき、長い中爪が鋭く光った。
 お妾のすべすべの頬に白い毛が浮き上がり、半分猫の顔になりかけた。
 お里はふうーと息をつき、興奮した自分を押さえようとした。

 そして人骨の山を背に語りだした。
「あの地蔵堂に近づいたとき、ここに仲間らしき者がいると全身で感じ、ぞくっとなりました。屋敷に帰って女中たちに聞いてみると、あそこはお助け猫地蔵と呼ばれ、願いを叶えてくれるところだと教わりました。いつか訪ねるつもりでしたが、あなたたちのほうから来てくれました。今朝方、塀の上に潜むあなたたちの姿を目撃したとき、じつは、懐かしいような気持ちがこみあげ、どこかほっとさえしていたのです」

 お里の瑠璃色の瞳の色が緩んだ。
「わたしは人間とも猫ともつかず、山のなかで一人で生きてきました。自分のような生き物はこの世のどこにもおらず、自分は永遠に孤独の身なのだと覚悟を決めておりました。望んでもいないこのような生き方をしなければならないのは、わたしの知らない遠い過去に、よほどの理由でもあったのかと考えながら月を見、星を眺め、長い歳月を過ごしてまいりました」
 
 永劫の生活をふり返るお里の目が、宙に据えられた。
 又七郎のトラがうなずき、静かに口を開いた。
「自分たちも確かに化け猫です。長い旅をつづけ、ある日、駿河台坂下の地蔵堂に住みつきました。偶然にもそこは猫地蔵と呼ばれ、お江戸の住民たちの願掛けの場所にもなっていました。

わたしたちが地蔵堂に住んだのは、平和な日々を過ごしたいという気持ちもあったのですが、実は大勢の人々が住む大きな都に、もしかしたら自分たちの仲間の一匹や二匹くらいがいるかもしれない、ひょっとしたらその者と出遭えるかもしれない、という期待もありました。そして憶測どおり、あなたに巡り遭えました。でも箴言ともなりましょうが、人の肝を食べるような生き方は、やはり止めなければならないということです」

「お里さん、人殺しをつづける訳にはいかないのですよ」
 三毛は、胸毛をそっと手で撫でながら口をそろえた。
「おっしゃる通りです。でもわたしは化け猫として、人肉や肝がなければ生きていけない身に生まれてしまったのです」

 お里が切れ長の目をふせ、溜息をついた。
「わたしは山に生まれ、山で生きていました。旅人を家に誘ってお泊めし、肝を食べていました。そんな生活がどのくらいつづいたのか、孤高の生き物としてのわたしは記憶する努力をとっくに放棄してしまいました。長い年月を生きたその日、変化をもたらす出来事が突然やってまいりました。佐武藩藩主、佐武盛之助様が山に見えたのです」
 密閉された奥の空間に、お里の声が静かにこぼれた。

6 
 戸板の上に男がいた。
 佐武藩藩主佐武盛之助である。
 山を越え、谷を渡り、急峻な路を登ってきたのだ。
 男たちは戸板を置くと、我先に逃げていった。
 雇われた村人たちだった。
 一人だけ、付き添いの若い侍が残った。

「山姥よ。こちらのお方はわれらが佐武藩藩主、佐武盛之助でござる。わが殿は不治の病を得、人の肝を食う以外、助かる道はないと宣告された」
 正座の姿勢だった。

 山に、ひょうと風が吹いた。
 山には山姥が住んでいた。
 ときどき村人が影を目撃したが、歳がいっているわりには動きがはやく、はっきり姿を確認した者はだれもいなかった。

 正体不明の山姥は、人々に悪魔のように恐れられていた。
 ほんとうは美しい若い娘であることなど、だれも想像すらしていなかった。
「山姥殿、調べはついておる。いるのはわかっておるのだ」
 物陰に潜んでいるであろう山姥に、家来が呼びかけた。

「おまえは人の生肝を食しているであろう。わが藩主にも生肝が必要である。しかし市井で人の生肝など食する訳にはいかぬのだ。もしおまえの力で殿の病を治すことができれば、そちを殿の御用係としてお召し抱えようぞ。よいな」

 そう呼びかけると、家来は自らの着物の腹をたぐった。
 初めから覚悟ができていたのだ。
 刀が光った。
 清冽な山の空気に、血の匂いがこぼれた。

 若い家来が腹を切ったのだ。
「でてこい山姥」
 若者は唇がゆがめ、頭上に肝をかかげた。
 あふれる鮮血が肘を伝い腕や胸を染めた。
 それが遠く背後の山の峯々に濡れて輝く。

 山姥は気押された。
 絡めとられるように、ふらりと物陰からでてきた。
「この肝を殿に……残りはおまえのものにするがよい」
 若者は、膝元の自らの血溜まりにのめった。

 山姥は眩暈を感じた。
 何日も獲物がなかった。
 空腹が思考を麻痺させ、体が空気のように揺らめいた。
 物陰からでてきた山姥は、帯に挟んだ小刀を手によろりと近づいた。
 無我夢中、肝を切りとった。

 肝は、一口分を切り取るたび、鮮血をほとばしらせた。
 隣に一人、生きている男がいた。
 男は仰向けになり、目を閉じていた。
 かすかな息遣いが感じられた。

 着ている着物も、横に置かれた刀も立派だった。
 戸板の上の藩主は不治の病であり、肝を与えれば治ると割腹した家来は告げた。
 顔色は土色がかっていた。
 頬骨ががっしりし、手足の骨が太く、野性的だった。
 よく見ると猫顔でもあった。

「おまえの家来とやらが、おまえの病気にいいと申しておったぞ。自ら腹を切って差し出してくれたものだ」
 生肝の一切れを男の口許に置いてみた。
 反応はなかった。

 山姥は背後の草むらを探り、山の大蒜(にんにく)を抜き採った。
 かたわらの石の上で肝と一緒に磨り潰すと、どろりとした液体になった。