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化け猫地蔵堂 1巻 1話 番町猫屋敷

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 塀ごしに伸びた松の梢の陰だ。
 塀の上にいるトラと三毛を見あげた二つの瞳。
 その瞳が、瑠璃色にまばたいた。

 籠の列が通りすぎた。
 憶測は地蔵堂で物の怪を感じたときからあった。
 二匹のトラと三毛の猫は衝撃をうけた。
 だが、すぐに気をとりなおし、駕籠のあとを追った。

 腰元たちを従えた小さな行列だった。
 田安門を右にながめ、一つ橋門のまえから三河町へむかう。
 先には佐武藩の本邸がある。

 一行の前後に、入れ代わり立ち代り、商人、侍、職人に変装した役人たちが現れた。
 大目付の密偵たちのようだった。
 駕籠は予想どおり、三河町の佐武藩本邸の門のなかに消えた。

 武家屋敷の造りはどこも同じである。
 裏門にちかい塀ぎわに中間や小者などが住む表長屋。
 その手前に中堅の侍たちが住む奥長屋。
 さらに地位のある家臣たちの一戸建ての家屋。

 あとの大部分は本邸である。
 殿様は本邸の奥殿で女中たちと暮らしている。
 本妻はふつう、国元の城にいる。

 トラと三毛は佐武藩本邸の屋根の上にいた。
 黒瓦の家々のむこうに、江戸湾の海が輝く。
 眩い沖の輝きのなかに、帆掛け船が浮いている。

 お江戸の日和は穏やかだ。
 城下にあがる粋筋もの炊煙。
 たおやかな朝。

《奥座敷の台所はどこだ》
 トラと三毛は辺りをうかがった。
《あっちだよ》
 近くの屋根から、うっすらと煙があがった。
 二匹は瓦の上を駆け寄った。

 煙は人肉の臭いそのものだった。
 二匹は奥の院の風取り口から、なかに忍びこんだ。
 足音を殺し、天井裏を急いだ。
 すぐ、妾と藩主の部屋をさがし当てた。

『お殿様、お加減はいかがでございましょうか?』
 二匹は耳をすました。
 小さな谷川の流れのように、静かに澄んだ声だった。
『お里、おまえにばかり苦労をかけ、すまぬのう。そちの元気がなによりである』
 弱々しく、こもった男の声だ。

 お妾さんは、お里という名前だった。
『いよいよ、だめのような気がするであるぞ。お里の膝にこうやって乗せようとしても、自分の腕さえ思うように……』

『お殿様、とにかくお料理をお召しあがりくださいませ。やっと生きのよい肝を手に入れました。みなさんこちらにご用意くだれ』
 お里が声をかける。
 襖がすべり、そそと足音が乱れた。
 別邸の腰元たちだった。

 下拵えをすませ、運んできたのだ。
『生肝のぶつ切り、酢の物、塩焼き、味噌和え、醤油焼き、刺し身、籠蒸し。とにかくお召しありくだされ』
『説明を聞いて匂いを嗅いでいるだけでも元気が……起きる。いや、だいじょうぶだ。自分でやれる』

 すぐ、ぴちゃぴちゃと舌の音がした。
 箸も自分で使っているみたいだ。
『この生肝は特別いい味のような気がする。このように目を閉じると全身に、ああ、じんと滲みてくるであるぞよ』

『こちらの刺し身もお召しあがりくだされ』
 お里がすすめる。
 また、ぴちゃぴちゃ舌堤を打つ音。
 殿様は夢中である。
 息づかいと舌の音だけが聞こえる。

『いかがでございしましょう』
『体が急に火照ってきたであるぞ。ふしぎである』
 にわかに、声にも張りがでてきた。
 人の生肝を薬としているのだが、どれほど効果があるのかトラと三毛にはわからない。
 しかし、確かに病人が元気になろうとしていた。

『うふふふ、力も湧いてきたであるぞ。どっこいしょ』
『まあ、にわかに立ち上がられては、お体に』
『なにくそ。これを見よ』
 あれ、と腰元たちの声。
 ついで、ほほほと小さな笑い声。

『みなのもの、さがれ、さがれい』
 殿様が命じる。
 あっという間に元気になっているようすであった。
 あわてた小刻みな足音。
 すとんと、襖が閉められた。

『さあて久しぶりに』
 殿様が、両手をすり合わせているような気配だった。
『お殿様、いくらなんでも急にそのような、いけません。とにかくお座りくだされませ』
『無理などはしてはおらん。だが、そちがそのように申すのであれば……どれ、どっこい』
 座りなおした。

『若い男の肝は、やはり効きますのかいのう』
『若くて健康で、すこぶる生きの良い肝は効く。さあこっちに。うん、そうだ、それでよい……そちは相変わらず毛深いのう。この辺までざらざらしておる。ああ、なつかしいであるぞよ』
『わらわも、とてもなつかしゅうございます。お殿様』
 にやおう、と甘えるような声だった。

 若き佐武藩藩主、佐武盛之助は不治の病だった。
 後継者がいないまま殿様が死んでしまえば、藩はお取り潰しである。
 藩がなくなれば家来たちは禄を失い、路頭に迷う。
 だから家来たちは藩をあげ、必死に殿様の命を守ろうとする。

 初期の徳川家は、常に直轄地の拡大に積極的だった。
 藩主の急死などは『お上より藩地をいただきながら主が病にかかるなど、もってのほか』と理不尽な理由で世継ぎの申請を拒んだ。
 藩はそれで終わってしまうのだ。


 二人とも髪が赤っぽい。
 一人は薄く縦縞の黒毛が混じっている。
 もう一人はどこか肌が白い。
 トラ猫が主、撫で肩の三毛猫が家来だ。
 耳に丸みをつけたし、目もゆるやかに微笑むようにした。

 連れだち、佐武藩別邸の脇門を叩いた。
 お里はすでに、三河町の本邸から戻っていた。
 脇門の提灯には火が灯っていた。
 いつもの門番が姿を見せた。

「奥方様におとりつぎを願いたい。拙者、猫又七郎(ねこまたしちろう)でござる。そう申せばわかっていただける」
 トラ猫は、わざと猫又七郎などと名乗った。

「この前は大山十兵衛というやつがきたが、今夜は猫又七郎か?」
 門番は鼻で笑い、細い目で二人を睨んだ。
 門番の姿が消え、しばらくすると通用門が開いた。

 提灯を手に、腰元たちが並んでいた。
「足もとにお気をつけくださいまし」
 提灯を低くかざし、門番も背後で頭をさげた。
 数奇屋造りの母家だった。篝火がまぶしい。

 玄関にも腰元たちがひかえていた。                   
 奥に案内されると、座敷にいた猫たちが鳴きわめいた。
 緊張感に絶えかね、二匹が走り、二人の行く手をよこぎった。

「静かになさい」
 腰元が猫を叱った。
 また廊下にでた。表の廊下よりも広い。

 廊下の中ほどで、五、六人の男たちがまっていた。
 扉のまえだった。
 座って膝をそろえ、白目で客を見あげた。
「奥方様、お客様をお連れいたしました」
 腰元の穏やかな声だった。

 重たそうな扉が、ぎぎっと動いた。
 扉の内側に並ぶ百目蝋燭の炎が、いっせいにそよいだ。
 トラと三毛は臭いで胸がこみあげそうになった。
 だが、体を強張らせ、ぐっと堪えた。

 白地の山水の柄の着物を着た、若い女だった。
 頬が蝋燭のように白い。
 駕籠の窓からのぞかせた瑠璃色の目である。
 髪は紫がかっていた。

 背後に中年の男と三人の若い腰元が座っていた。
 二人を見つめるつるりとした中年の丸顔の男。
 不審の色でいっぱいだ。
「奥方様、見かけぬ二人をいきなりこのような奥にまで案内なさるなど……」
 客人のまえで意見を述べた。